三十 凌霄花 くち奈しの花│「四季の花」夏之部・貮, 芸艸堂, 明治41年
「凌霄花」は、ノウゼンカズラ科、ノウゼンカズラ属、つる性の落葉低木であるノウゼンカズラ (凌霄(りょうしょう)、紫葳(しい))、学名
Campsis grandiflora (Thunb.) K. Schumannの花から得られる生薬である。花期は7~8月で遠目からも色鮮やかな黄赤色の円錐花序の花が咲き、吸根を出し樹木などの他物にからみついて成長する。「霄」(しょう)は高い梢の方からの雨、霙(みぞれ)、高い空の意味を表わし、あたかも天空を凌ぐ程にノウゼンカズラが伸長することを示す。「凌霄」(のうぜん)、「凌霄花」(のうぜんか)は夏の季語である。
活血化瘀薬に属し、薬性は酸、微寒、帰経は肝経、心包経、効能は行血袪瘀、凉血祛風(血を巡らせ瘀血による月経不順、腹腔内腫瘤の修復を行う。血熱の熱毒を冷まし全身掻痒を改善する。)である。妊婦には禁忌である。方剤例には凌霄花散などがある。
『詩経』小雅、魚藻の什(十四編)の《苕之華》(ちょうしか)は、ノウゼンカズラの華やかな黄花、青々とした葉の繁茂の様子から始まる。本詩の構成は、『詩経雅頌1』で「三章、前二章は苕之華の興をとる。繁栄するものを以て、衰落するものを點出する反興とよばれる手法である。」
(p335)と詳述されている。
興は『詩経』の詩の六分類、風(ふう)、雅(が)、頌(しょう)、賦(ふ)、比(ひ)、興(きょう)の「六義」(りくぎ)の一つで、一般には、自然物を詠い興(おこ)してから人間界の営為についての主題に移る修辞的な表現作法と定義される。漢文学者、白川静博士は別の御著『興の研究』において、「一言にしていえば、興的発想は原始的な心性のうちに呪的発想として成立し、そういう宗教的心意の衰落するとともに、情緒的に詩想を導く発想へと変質していったものということができる。」
(「詩経Ⅰ」, p572)と総括され、興の本質理解には歴史的な構造分析が不可欠であることを強調なさっている。
『古今和歌集』仮名序には「歌の様六つなり。唐の歌にも、かくぞあるべき。」と記され、本邦の和歌における独自の詠歌法、六種(むくさ)が挙げられている。
苕之華
苕之華、芸其黄矣。心之憂矣、維其傷矣。
苕之華、其葉青青。知我如此、不如無生。
牂羊墳首、三星在罶。人可以食、鮮可以飽。
苕之華 芸(うん)として其れ黄なり
心の憂ふる 維(こ)れ其れ傷む
苕之華 其の葉青青たり
我が此(かく)の如きを知らば 生無きに如かず
牂羊(さうよう) 墳首 三星罶(りう)に在り
人は以て食ふ可きも 以て飽くべきは鮮(すくな)し
(「詩経雅頌1」, p334-335)
八種類の樹木に時の官僚を喩えた諷刺の詩、『白氏文集』の《有木詩八首》其七に詠われたのが「凌霄」である。(八首中で唯一讃えられた其八「丹桂」については、
《ふたたび「桂」│有木詩八首の内・丹桂》(2017/12/30)を御笑覧頂けたら幸いである。)
其七の詩意は以下の通りである。-----凌霄は他の樹に依りかかって成長し、己自身の力では立つことが出来ない。依りかかった肝腎の樹が倒れたならば、当然、寄生した命など一巻の終わりである。身を立てんと志す者は、己がじし自助努力をせよ。凌霄のように自立出来ない柔弱な草木を真似てはならぬ。
有木詩八首 其七 白居易
有木名凌霄、擢秀非孤標。偶依一株樹、遂抽百尺條。
托根附樹身、開花寄樹梢。自謂得其勢、無因有動搖。
一但樹摧倒、獨立暫飄颻。疾風従東起、吹折不終朝。
朝為拂雲花、暮為委地樵。寄言立身者、勿学柔弱苗。
木有り 凌霄と名づく,擢(ぬき)んで秀づるも孤標に非ず
偶々一株の樹に依りて,遂に百尺(ひやくせき)の條(えだ)を抽んづ
根を托して樹身に附き,花を開きて樹梢に寄る
自ら謂(おも)へらく 其の勢ひを得て,動搖有るに因る無しと
一旦 樹の摧(くだ)け倒るるに,獨立 暫く飄颻(へうえう)す
疾風 東より起こり 吹き折りて朝を終えず
朝には雲を拂う花と為るも 暮れには地に委する樵と為る
言を寄す 身を立つる者 柔弱の苗を學ぶ勿かれ
(「白氏文集 一」, p515-516)
参考資料:
白川静訳注:東洋文庫「詩経雅頌1」, 平凡社, 2010
白川静著:白川静著作集9「詩経Ⅰ」, 平凡社, 2000
白川静著:白川静著作集10「詩経Ⅱ」, 平凡社, 2000
岡村繁著:新釈漢文大系「白氏文集 一」,明治書院, 2017
佐伯梅友校注:岩波文庫「古今和歌集」, 岩波書店、1991
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