事挙げすればさらに暑いが、暑熱に立ち向かうべく、昨年に続いて令和元年「松竹水聲涼」第三弾である。梅雨が開けてひたすら暑い本格的な夏が到来した。近年の命を脅かす酷暑は我執を捨て内心を調えてもどうにかなるレベルではない。くれぐれも熱中症予防に御留意を。
『俵屋宗達筆 松島図屏風-----座敷からつづく海』は、絵は語るシリーズ全十二巻の六巻目で、金沢湯涌夢二館館長、金沢美術工芸大学名誉教授、太田昌子先生が1995年に上梓された御本である。フリーヤ美術館蔵、俵屋宗達筆「松島図屏風」を名所松島の絵とだけ見てよいのだろうか、という問題提議に始まり、描かれた二つのキー・イメージ「荒磯」と「州浜」が日本の「海」を象徴すること、そして「海」といえば想起されるこれらの図像が深層の「イメージ・マップ」として民族の集団的想像力の領野につねに存在し続けていることなどの論述が、数多くの資料を引いて精力的に展開する。共有される「イメージ・マップ」は、個人の経験を超え無意識の深層に存在するとユングが喝破した「集合的無意識」の概念と重なる。
以下は本書に引用された『作庭記』における一節で、最も庭園の完成された様式とされる「大海の様式」である。『作庭記』の作者にとって、庭園とは海に囲まれた日本人が海への思いを地上の一角に象徴的に構成したものに他ならないとの論述が続く。
「6,石をたつるにハやうやうあるべし
大海のやう、大河のやう、山河のやう、沼池のやう、葦手のやう等なり
一、大海様ハ、先あらいそのありさまを、たつべきなり。そのあらいそハ、きしのほとりにはしたなくさきいでたる石どもをたてて、みぎハをとこねになして、たちいでたる石、あまたおきざまへたてわたして、はなれいでたる石も、せうせうあるべし。これハミな浪のきびしくかくるところにて、あらひいだせるすがたなるべし。さて所々に洲崎白はまみえわたりて、松などあらしむべきなり。」
(「作庭記」, p13)
大海の姿、大河の姿、山河の姿、沼地の姿、蘆手の姿などである。
「大海様の石立ては、何はさておき、荒磯の情景に石立てをすべきである。荒磯というのは-----波の当たる前方だけが、中途半端に洗い出されている石を岸辺に立てる、そして、波うち際の岩床から立ち上がっている部分が波間から顔を出している石も、たくさん沖の方へ立て続けて、さらに岸近くにあるそれらの石とは離れて波間に顔を出している石も多少はある-----そのような情景なのであるが、これらはすべて波がはげしくかかる所であるため、洗い出されて生じた形状である。そうして所々に、洲崎や白砂の浜が広がっていて、松などが生えているのがよい。」
(「図解 庭師が読み解く作庭記・山水并野形図」, p40-41)
フリーヤ美術館蔵、俵屋宗達筆「松島図屏風」│『俵屋宗達筆 松島図屏風-----座敷からつづく海』に収載
「一視野の画面」は著者御提唱の言葉で、一度に自然に視野にはいる範囲を示している。全体が一目で視野に入る、額に入ったタブロー画を主とする近代絵画とは絵の見方、関わり方が屏風絵においては異なる点が強調されている。すなわち元来、座敷に立てて座して眺める「松島図屏風」のような屏風絵においては、ある瞬間に「一視野の画面」を注視していても同時に全体を視野の外延として感じていること、視線および身体はつねに動いて、順次、部分と部分(「一視野の画面」と別の「一視野の画面」)あるいは部分と全体を動的な関係に見ているのだ、との興味深い御指摘があった。このことは一つの屏風絵の中に四季の花木や景物を並べて描く画面構成に対峙する時も同様であろう。
思えばいけばな展において、会場の作品群の前を歩きながら、一つの作品の前に立ち止まり、接近してまた遠ざかり、また右方向や左方向から眺める際の、身体感覚全てを動員して鑑賞する体験と類似する。芸術とは全く無縁の学会における口演発表にても、同時に一つのスライドしか提示できなくとも(今思うに、むしろ「一視野の画面」が移り変わることが効果的なのかもしれない)、順繰りの一連のスライド構成を通して、いかに主題の理論構造を「イメージ・マップ」として抱いてもらえるかどうかが鍵である。
さらに本書では、屏風絵の画題論争に端を発し、さらに他の絵画作品であっても、現代人が犯しやすい過ちとして三つの点が挙げられていた。第一に、自分の関心に合わせて(恣意的に)特定の意味を深読みすること、第二に、作品のみを切り取って(全体構造を見ずに)写真図版的構図論のような理論に陥ること、第三に、その時代にどのように(文化的、宗教的に)受容されていたかを無視することの三点が指摘されている。私など特に領域外の書を読む時にはこれら全てをやらかしている気がする。
最後になるが、川や海など土砂が水面から盛り上がった所を「洲(洲)」、この洲が大きくなった海岸の海辺を「州浜(洲浜)」と称し、庭園の水際に敷き詰めた玉石、小石を同様に「州浜」と呼ぶことが、『日本庭園と風景』
(園池と風景│p16)で『万葉集』海上潟(うなかみがた)の歌とともに紹介されている。「夏麻(なつそ)引く」は海上潟の枕詞、歌の意味は、海上潟の沖の砂州に鳥は群がり騒ぐが、あなたは訪れてもくださらぬである。
夏麻引く 海上潟の 沖つ洲に 鳥はすだけど 君は音かも
(萬葉集・巻第七・1176)
荒磯に波のよるを見てよめる
大海(おほうみ)の 磯もとどろに 寄する波 破(わ)れて砕けて 裂けて散るかも
(金槐和歌集・641)
京都・蘆山寺│源氏庭
参考資料:
太田昌子著:絵は語る6「俵屋宗達筆 松島図屏風-----座敷からつづく海」, 平凡社, 1995
林家辰三郎校注:「作庭記」, <リキエスタ>の会, 2001
小埜雅章著:「図解 庭師が読み解く作庭記・山水并野形図」, 学芸出版社、2016
飛田範夫著:「日本庭園と風景」, 学芸出版社、1999
青木生子,井出至, 伊藤博, 清水克彦, 橋本四郎校注:新潮日本古典集成「萬葉集二」, 新潮社, 1978
樋口芳麻呂校注:新潮日本古典集成「金槐和歌集」, 新潮社, 2016