花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

流派の花

2019-05-26 | 日記・エッセイ


自分の流派ならばこう生けるというバイアスのかかった眼を外し、他流派のいけばな作品を虚心坦懐に拝観するということは容易ではない。ひとつの流派に入門して幾許かの学びを得た眼には、研鑽が未だ不十分であろうとも、既にささやかな色眼鏡が張り付いている。
 しかしながら他流派のいけばな展に伺い、属する流派とは当然、方向性が全く異なる造形を前にして、どう生けるかなどという当方の勘案をものの見事に吹き飛ばしてくれる御作に出会うことがある。空間構成を異とする他流派の作品から感動を頂いた場合、極言すれば、その挿法が心の琴線に触れたのではない。あたかも深層意識の元型が呼び起こされて眼前に屹立するかの如く、内奥から奔騰するしたたかなかたちに圧倒されるのである。
 所属流派の優品に接する時、ともすればこの型、組み方、線の長さか角度かと凝視して、さらに学ぶべき挿法の解析ばかりに関心が向きがちである。分ったつもりの色眼鏡を外して観照することは、属する流派のいけばなに対峙する方が本当は遥かに難しいのかもしれない。

初夏に頂いた花を生ける│大和未生流の稽古

2019-05-17 | アート・文化


丹精込めてお育てになったシャクヤク、マーガレット、ユキノシタ、ミヤコワスレなどの花を御近所から頂戴した。ボヘミアガラスの花器は華道の恩師ゆかりの御品である。かつてお稽古で莞爾と笑いながら迎えて下さった御姿が偲ばれる白芍を生けてみる。頂いた花は全て一本も余さず三杯に生けた。流派の花とは些か異なるも、この様な機会もまた大切な稽古である。


谷村医院からのお知らせ│医院ホームページの件

2019-05-10 | 谷村医院関連
谷村医院(京田辺市三山木中央二丁目)のホームページが5月より御覧頂けない状態になっております。鋭意、工事を進めておりますので、なおしばしの御猶予を賜ります様、お願い申し上げます。診療日、診療時間を含む従来の医院体制に変更はありません。
このたびは大変御迷惑をおかけ致しまことに申し訳ございません。 





初夏の竹を生ける│大和未生流の稽古

2019-05-06 | アート・文化


  竹    萩原朔太郎
ますぐなるもの地面に生え、
するどき青きもの地面に生え、
凍れる冬をつらぬきて、
そのみどり葉光る朝の空路に、
なみだたれ、
なみだをたれ、
いまはや懺悔をはれる肩の上より、
けぶれる竹の根はひろごり、
するどき青きもの地面に生え。

(竹とその哀傷│角川文庫「月に吠える」, p28, 角川書店, 1963)

夏山は蒼翠にして滴るが如く│林泉高致

2019-05-05 | アート・文化


「真山水之雲气、四時不同:春融冶、夏蓊郁、秋疏薄,冬黯淡。」
(張瓊元編「林泉高致」, p36, 黄山書社, 2016)
真の山水の雲気は、四時(四季)同じからず。春は融冶(ゆうや;穏やかで和やかなさま)、夏は蓊鬱(おううつ;草木が盛んに繁るさま)、秋は疏薄(そはく;淡々と稀薄なさま)、冬は黯淡(あんたん;薄暗いさま)。

「真山水之烟嵐,四時不同:春山澹冶而如笑,夏山蒼翠而如滴,秋山明浄而如粧,冬山惨淡而如睡。」(同, p36)
真の山水の烟嵐(えんらん;山中にかかる靄)は、四時同じからず。春山は澹冶(たんや;simple and elegant)にして笑うが如く、夏山は蒼翠(そうすい;blue-green、verdant)にして滴るが如く、秋山は明浄(めいじょう;pure)にして粧うが如く、冬山は惨淡(さんたん;gloomy)として眠るが如く。

目に青葉の麗しい季節になった。上記は中国北宋の郭熙の山水画論集『林泉高致』の一節である。季語の「山笑う」(春)、「山滴る」(夏)、「山粧ふ」(秋)、「山眠る」(冬)の語源となる表現を見出すことができる。郭熙は「山有三遠」で始まる山水画の構図法「三遠(高遠、深遠、平遠)」を提唱した山水画家である。

万緑や狐狸の山浅く    鈴木真砂女
(平成十年│「句集 紫木蓮」,p233, 角川書店, 1998)





五月待つ花橘の香をかげば

2019-05-02 | 日記・エッセイ
五月待つ花橘の香をかげば 昔の人の袖の香ぞする

五月になると思い浮かんでくる花橘の歌は、『和漢朗詠集』、『古今和歌集』夏の部にあり、『伊勢物語』六十段では一つの物語に仕立てられている。現代訳は、五月を待って咲く花橘の香をかげば、昔親しかった人の袖に薫きしめていた香がするである。高校時代、「五月を待つのではなく、五月になれば飛来する郭公(ほととぎす)を待って咲くのである。その花橘の様に自分の訪れを待ちわびていてくれた人を思い起こしているのだ。」と熱く断じる古文の講義があった。世をまだ知らぬ一人の高校生は、五月を待つのも郭公を待つのも何の違いがあるのや、と思いながら分かった風に神妙に席に座っていた。

郭公は初夏の到来を告げる鳥である。時節は巡りふたたび、詠み人は郭公に、そして其の上の想い人は花橘になり面影がよみがえる。かつての逢瀬の一時、想い人が衣に薫しめていた香、その時の言葉や佇まいなど、すべてがいみじく匂い満ちてその身に燻りかかるのであろう。六十段の件であるが、我が許を去り、今や天皇の勅使となったこの身を接待する下の位の祇承の官人の妻となった女に、女あるじにかわらけとらせよ(盃を持ってこさせなさい)と己が到来を知らしめた男は何を得んとしたのか。この後の六十二段はさらに容赦がない。黙して去ぬという選択はなかったのかと惜しむのは私だけだろうか。



むかし、男ありけり。宮仕へいそがしく、心もまめならざりけるほどの家刀自、まめに思はむといふ人につきて、人の国へいにけり。この男、宇佐の使にて行きけるに、ある国の祇承(しぞう)の官人の妻(め)にてなむあると聞きて、「女あるじにかはらけとらせよ。さらずは飲まじ」といひければ、かはらけ取りて出したりけるに、さかななりける橘をとりて、

 五月待つ花橘の香をかげば むかしの人の袖の香ぞする

といひけるにぞ、思ひ出でて、尼になりて、山に入りてぞありける。

(伊勢物語 六十│渡辺実校注:新潮日本古典集成「伊勢物語」, 72-73, 新潮社, 1976)

令和元年皐月朔日を慶す

2019-05-01 | 日記・エッセイ
  天皇、香具山に登りて望国(くにみ)したまふ時の御製歌

大和には 群山あれど とりよろふ 天の香久山 登り立ち 国見をすれば 国原は 煙立ち立つ 海原は 鷗立ち立つ うまし国ぞ 蜻蛉島(あきづしま) 大和の国は
(万葉集・巻第一)