三国志圖會内 玄徳風雪二孔明を訪フ│月岡芳年 明治十六年
蜀志、諸葛亮字孔明、琅邪陽都人。躬耕隴畝、好為梁父吟、毎自比管仲樂毅。時人莫之許。惟崔州平徐庶與亮友善、謂爲信然。時先主屯新野。徐庶見之謂曰、諸葛孔明臥龍也。將軍豈願見之乎。此人可就見、不可屈致。宜枉駕顧󠄁之。
先主遂詣亮。凡三往反乃見。因屛人與計事善之。於是情好日密。關羽張飛等不悅。先主曰、孤之有孔明、猶󠄁魚之有水也。願勿復言。及稱󠄁尊號、以亮為丞相。漢晉春秋曰、亮家南陽鄧縣襄陽西、號曰隆中。
蜀志にいふ。諸葛亮字は孔明、琅邪陽都の人なり。躬(みづか)ら隴畝(ろうほ)に耕し、好んで梁父の吟を為し、毎に自ら管仲・楽毅に比す。時の人之を許す莫し。惟崔州平・徐庶のみ亮と友とし善く、謂ひて信に然りと為す。時に先主新野に屯(たむろ)す。徐庶之に見え謂ひて曰く、
諸葛孔明は臥竜なり。将軍豈に之を見んことを願ふか。此の人は就いて見る可く、屈致す可からず。宜しく駕を枉げて之を顧みるべし、と。先主遂に亮に詣(いた)る。凡そ三たび往きて乃ち見る。因つて人を屏(しりぞ)け與に事を計り之を善しとす。是に於て情好日々に密なり。關羽・張飛等悦ばず。先主曰はく、孤の孔明有るは、猶ほ魚の水有るがごとし。願はくは復た言ふこと勿かれ、と。尊號を稱󠄁するに及び、亮を以て丞相と為す。漢晋春秋に曰く、亮南陽の鄧縣陽城の西に家し、號して隆中と曰ふ、と。
*先主:劉備玄徳
*猶󠄁魚之有水:水魚の交わり
孔明臥龍 呂臨非熊│早川光三郎著:新釈漢文大系「蒙求 上」, p148-150, 明治書院, 1977