花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

藤袴にほふ│花信

2024-10-13 | アート・文化


  ふぢばかまをよめる
主しらぬ香こそにほへれ 秋の野に誰ぬぎかけし藤袴ぞも
   古今和歌集・巻第四 秋上   素性法師

  蘭をよめる
ふぢばかま主はたれともしら露の こぼれてにほふ野辺の秋風
   新古今和歌集・巻第四 秋歌上   公猷法師




群馬県六合村の秋草│花信

2024-10-04 | アート・文化

ホトトギス(杜鵑草)、フジバカマ(藤袴、紫紅と白)、ハゴロモフジバカマ(羽衣藤袴)、ショウジョウソウ(猩生草)、ダリア(天竺牡丹)、シュウメイギク(秋明菊)、コスモス(秋桜)

秋の野を分けゆく露にうつりつつ わが衣手は花の香ぞする
   新古今和歌集・巻第四 秋歌上   凡河内躬恒








老驥伏櫪 志在千里│曹操孟徳

2024-09-29 | アート・文化

南屏山昇月 曹操/月岡芳年「月百姿」
3 Rising moon over Mount Nanping --- Cao Cao


  歩出夏門行(神龜雖壽)  曹操孟徳
神龜雖壽 猶有竟時  神亀 壽なりと雖も 猶お竟くる時有り
騰蛇乘霧 終爲土灰  騰蛇 霧に乗るも 終には土灰と為る
老驥伏櫪 志在千里  老驥 櫪に伏するも 志は千里に在り
烈士暮年 壯心不已  烈士の暮年 壮心 已まず
盈縮之期 不但在天  盈縮の期は 但だ天に在るのみならず
養怡之福 可得永年  養怡の福 永年を得可し
幸甚至哉 歌以詠志  幸甚 至れる哉 歌いて以て志を詠ぜん
 楽府詩集│「曹操・曹丕・曹植詩文選」, p61-63

*蛇足の独り言:魏の曹操孟徳は群雄割拠の後漢末期における、慧眼無双、文武両道の覇者である。『三国志演義』を基本に制作されたテレビドラマ「三国志 Three Kingdoms」のDVDを毎日一話ずつ視聴していた頃、桃園の誓いや三顧之礼、単騎救主、出師の表等々が偲ばれる蜀の英雄群像推しの眼には、第84話「麦城に敗走す」以降の蜀の落日が甚だ傷ましく、未だに全てを見終わっていない。
 「おごれる人も久しからず、唯春の夢のごとし。たけき者も遂には滅びぬ、偏に風の前の塵に同じ」は『平家物語』の冒頭である。風塵の如く歴史の彼方に消えゆくとも、其の上には時世に挑み力の限り生きた烈士達がいた。両書はともに私の愛読書である。自らの人生は清淡虚無には程遠いが、卑怯陋劣とは無縁でありたいと切に思う。

参考資料:
川合康三編訳:「曹操・曹丕・曹植詩文選」, 岩波書店, 2024
吉川英治著:吉川英治歴史時代文庫「三国志」, 講談社, 2012
落合清彦校注:「完本三国志」絵本通俗三国志, ガウスジャパン, 2006
井波律子訳:講談社学術文庫「三国志演義」, 講談社, 2019
小川環樹, 金田純一郎訳:岩波文庫「完訳三国志」, 岩波書店, 2012
羅貫中著:中国古典文学読本叢書「三国演義 」, 人民文学出版, 2019
Stevenson J: Yoshitoshi’s one hundred aspects of the moon, Hotei Publishing, 2001
市古貞次校注・訳:日本古典文学全集「平家物語」, 小学館, 2014




孔明臥龍「蒙求」│三顧之礼

2024-08-02 | アート・文化

三国志圖會内 玄徳風雪二孔明を訪フ│月岡芳年 明治十六年

蜀志、諸葛亮字孔明、琅邪陽都人。躬耕隴畝、好為梁父吟、毎自比管仲樂毅。時人莫之許。惟崔州平徐庶與亮友善、謂爲信然。時先主屯新野。徐庶見之謂曰、諸葛孔明臥龍也。將軍豈願見之乎。此人可就見、不可屈致。宜枉駕顧󠄁之。
先主遂詣亮。凡三往反乃見。因屛人與計事善之。於是情好日密。關羽張飛等不悅。先主曰、孤之有孔明、猶󠄁魚之有水也。願勿復言。及稱󠄁尊號、以亮為丞相。漢晉春秋曰、亮家南陽鄧縣襄陽西、號曰隆中。 


蜀志にいふ。諸葛亮字は孔明、琅邪陽都の人なり。躬(みづか)ら隴畝(ろうほ)に耕し、好んで梁父の吟を為し、毎に自ら管仲・楽毅に比す。時の人之を許す莫し。惟崔州平・徐庶のみ亮と友とし善く、謂ひて信に然りと為す。時に先主新野に屯(たむろ)す。徐庶之に見え謂ひて曰く、諸葛孔明は臥竜なり。将軍豈に之を見んことを願ふか。此の人は就いて見る可く、屈致す可からず。宜しく駕を枉げて之を顧みるべし、と。先主遂に亮に詣(いた)る。凡そ三たび往きて乃ち見る。因つて人を屏(しりぞ)け與に事を計り之を善しとす。是に於て情好日々に密なり。關羽・張飛等悦ばず。先主曰はく、孤の孔明有るは、猶ほ魚の水有るがごとし。願はくは復た言ふこと勿かれ、と。尊號を稱󠄁するに及び、亮を以て丞相と為す。漢晋春秋に曰く、亮南陽の鄧縣陽城の西に家し、號して隆中と曰ふ、と。
*先主:劉備玄徳
*猶󠄁魚之有水:水魚の交わり 


孔明臥龍 呂臨非熊│早川光三郎著:新釈漢文大系「蒙求 上」, p148-150, 明治書院, 1977

老驥千里を思う│清少納言

2024-07-28 | アート・文化


  元輔がむかしすみけるいへのかたはらに、清少納言住みしころ、
  雪のいみじくふりて、へだてのかきもなくたふれて、みわたされしに、
跡もなく雪ふるさとのあれたるをいづれむかしのかきねとかみる

一五八│「赤染衛門集全釈」 / 巻第十六 雑歌上│「新古今和歌集」

女一人住む所は、いたくあばれて、築土などもまたからず、池などある所も、水草ゐ、庭なども蓬にしげりなどこそせねども、所々、砂子の中より青き草うち見え、さびしげなるこそあはれなれ。物かしこげに、なだらかに修理して、門いたくかため、きはぎはしきは、いとうたてこそおぼゆれ。
一七一│「枕草子」



参考資料:
関根慶子, 阿部俊子, 林マリヤ, 北村杏子, 田中恭子共著:私家集全釈叢書1「赤染衛門集全釈」, 風間書房, 1989
峯村文人校注・訳:新編日本古典文学大系「新古今和歌集」, 小学館, 2012
松尾聰, 永井和子校注・訳:新編日本古典文学大系「枕草子」, 小学館, 2017




藤の花のこと│「今昔物語」と「伊勢物語」

2024-07-16 | アート・文化

四十九 藤│「四季の花」春之部・貳, 芸艸堂, 明治41年

  ムラサキノクモトゾミユルフヂノ花イカナルヤドノ
  シルシナルラム

  (紫の雲とぞみゆる藤の花 いかなる宿のしるしなるらむ)
ト.若干ノ人皆此レヲ聞テ、胸ヲ扣テ、「極ジ」ト讃メ喤ケリ。大納言(藤原公任)モ人々ノ皆、「極ジ」ト思タル気色ヲ見テナム、「今ぞ胸ハ落居ル」トゾ、殿(藤原道長)ニ申シ給ヘル。
 此ノ大納言ハ、万ノ事皆止事無カリケル中ニモ、和歌読ム事ヲ自モ自嘆シ給ひケリ、トナム語リ伝ヘタルトヤ。
(巻第二十四、公任大納言読屏風和歌語第三十三│「今昔物語」, p330-332)

  咲く花のしたにかくるる人おほみ
    ありしにまさる藤のかげかも

(あるじ在原行平のはらから(兄弟)、すなわち在原業平が詠んだ歌に対して、人々が)「などかくしもよむ」といひければ、「おほきおとど(藤原良房)の栄華のさかりにみまそかりて、藤氏のことに栄ゆるを思ひてよめる」となむいひける。みな人そしらずなりにけり。
(百一段│「伊勢物語」, p117-118)

蛇足の独言:華めき時めくもの。時移り消えゆくもの。阿り諂うもの。面従し腹背するもの。拱手し傍観するもの。花開き花落ちて人は幾たびか換る。

参考資料:
馬淵和夫, 国東文麿, 稲垣泰一校注・訳:新編日本古典文学全集「今昔物語③」, 小学館, 2008
渡辺実校注:新潮日本古典集成「伊勢物語」, 新潮社, 2004