京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。
遊樂萬曲の花種をなすは、一心感力の心根なり。ただ水晶の空躰(くうたい)より火水をなし、櫻木の無色性(むしきしょう)より花實を生ふる如く、意中の景より曲色(きょくしょく)の見風をなさん堪能の達人、これ器物(きもつ)なるべし。およそ風月延年の飾り、花鳥遊景の曲、種々なり。四季折〻の時節により、花葉・雪月・山河・草木・有情・非情に至るまで、萬物の出生(しゅっしょう)をなす器(き)は天下なり。この萬物を遊樂の景躰として、一心を天下の器になして、廣大無風の空道に安器して、是得遊学の妙花に至るべき事を思ふべし。
(遊樂習道風見│川瀬一馬校注「能作書・曲附次第・遊樂習道風見・習道書」, p57-58, わんや書店, 1955)
風を詠む
秋山の 木の葉もいまだ もみたねば 今朝吹く風は 霜も置きぬべく
万葉集・巻第十 雑歌
七夕(しちせき)
秋風の 吹きにし日より 天の川 瀬に出で立ちて 待つと告げこそ
万葉集・巻第十 雑歌
蟋(こほろぎ)を詠む
秋風の 寒く吹くなへ 我がやどの 浅茅が本(もと)に こほろぎ鳴くも
万葉集・巻第十 雑歌
宇治川にして作る歌二首の内
秋風に 山吹の瀬に 鳴るなへに 天雲翔る 雁に逢へるかも
万葉集・巻第九 雑歌
覊旅にして作る
家離(ざか)り 旅にしあれば 秋風の 寒き夕(ゆふへ)に 雁鳴き渡る
万葉集・巻第七 雑歌
朔(つきたち)に移りて後に、
秋風を悲嘆(かな)しびて家持が作る歌一首
うつせみの 世は常なしと 知るものを 秋風寒み 偲ひつるかも
万葉集・巻第三 挽歌
額田王、近江天皇を思ひて作る歌一首
君待つと 我が恋ひ居れば 我がやどの 簾動かし 秋の風吹く
万葉集・巻第四 相聞
人類史のなか中で評判がよい思想は、軸を一つにしてそこに腰をすえ、くりかえしくりかえし、この軸にいろいろの要素をとりこんだ思想であった。思想じしんが、一つの論理軸にそった一つの体系、つまりは共同体をつくりあげる──そのような思想が優勢である。論理の軸が多元的であり、ここからこなたへと旅だつ思想は、敗者であって、記憶されたばあいも、道ばたの道祖神のように、さりげない珍奇さをとどめるにすぎない。共同体型の思想が大勢を制し、交通型の思想は、つねに少数派・マイノリティーとして「正統」思想史によって埋没させられる宿命をもつ。道の思想史とは、こうした敗者の思想を、たどりかえすことではないのか。
(2章 衣通の道─政治と悲恋│山田宗睦著:「道の思想史 神話」, p47-48, 學藝書林, 1969)
万歳(よろづよ)と 三笠の山ぞ 呼ばふなる 天の下こそ たのしかるらし
和漢朗詠集 巻下・祝 仲算法師