花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

水丹を為す│『夢渓筆談』

2016-05-28 | アート・文化


ふたたび沈括著『夢渓筆談』、このたびは仙薬の水丹を作る話である。その精製法は「以清水入土鼎中,其下以火然之,少日則水漸凝結如金玉,精瑩駭目」(清水を土製の鼎に入れて加熱すると、金か玉の様に凝結してきらきらと輝く。)と至って単純である。特別なものを加える必要はなく、「但調節水火之力。毫髪不均,即復化去。此坎、離之粹也」(要諦は水と火の調節だけで、均衡がくずれるとすぐに元に戻る。これは坎(水)と離(火)の粹(真髄)なのだ)と説明が続く。

一文の結語は「凡變化之物,皆由此道,理窮玄化,天人無異,人自不思耳。深達此理,則養生治疾,可通神矣」(凡そ変化するものはすべて此の様な道程によるのであり、理が窮まり玄が化すのは天界も人間界も同じである。人はそのことに思い至らない。この理に通暁するなら養生治疾が可能となり、神に通じることが出来るのだ。)である。いずれの場においても其処を貫く厳然たる理(ことわり)に通じねばならぬと一文は諭している。末尾に掲げたのがその原文である。

水丹の話は筋書だけを辿れば眉唾物のファンタジーである。だがそのような皮相で浅薄な見解を凌駕して余りあり、清水を沸騰させて聖薬を為す、春分、秋分に水面に薄氷の如き水の花が生まれるくだりの景象表現はひたすら美しく厳かである。水火之力を調節してゆく時に取るべきとされる入念周到かつ緩急自在な体勢は、現代医学の実践において膠着した病態に一手を繰り出し治癒に向かい舵を切らんとする時に求められるものと、どれだけの違いがあるだろう。生け花における、自分と眼前の花との啐啄同時のせめぎ合いもまた同じである。この一本を挿すか挿さないか、その枝葉を払うか払うべきでないかと推し量り、形が定まらんとする際の微妙なバランスを詰めて行くのであるのである。

「士人李,忘其名,嘉祐中為舒州觀察支使,能為水丹。時王荊公為通判,問其法,云:「以清水入土鼎中,其下以火然之,少日則水漸凝結如金玉,精瑩駭目。」問其方,則曰:「不用一切,但調節水火之力。毫髪不均,即復化去。此坎、離之粹也。」曰「日月各有進退切度。」余不得其詳。推此可以求養生治病之理。如仲春之月,劃木奮發,鳥獸孳乳,此定氣所化也。今人于春、秋分夜半時,汲井滿大瓮中,封閉七日,發視則有水花生于瓮面,如輕冰,可採以為藥;非二分時則無。此中和之在物者;以春、秋分時吐翕咽津,存想腹胃,則有丹砂自腹中下,璀然耀日,術家以為丹藥。此中和之在人者。凡變化之物,皆由此道,理窮玄化,天人無異,人自不思耳。深達此理,則養生治疾,可通神矣。」
(『唐宗史料筆記 夢渓筆談』補筆談巻三582, p311-312, 中華書局、2015)

花材を選ぶということ│大和未生流の稽古

2016-05-26 | アート・文化
いけばなの稽古において各自に配られる花材で、ときに自分のものだけが面白味なく映ることがある。ちらちらと周囲を伺いながら、引き比べた手元の枝ぶりがいかにも見劣りして、情けないことに隣の花は赤く見えるのである。そうかと思えば、ごく平平凡凡すぎる枝をしばらく手にしておられた後に、ものの見事に美しい花形にまとめ上げてゆかれる方が居る。私の眼にはつまらないとしか映らなかった花木の中に、確かな花のかたちを見極めておられるのである。

自分にどの様な良い花材が当たるか当たらぬかに拘わる限り、永遠に何処にも辿り着くことは出来ないのかもしれない。限られた条件下で、どれだけのものを其処から引き出すことができるか、問われるのはこちらの素の力量である。求めれば色々のものが容易に手に入る時代であるだけに、極限状況と言うにはあまりもささやかかもしれないが、あえて何かが欲しい何かが足りない舞台に身を置いたまま、己の技だけを最大限に揮って此処で一勝負を賭ける、という姿勢は大切である。これはいけばなだけに限らない。




受講証明書顛末記

2016-05-21 | 日記・エッセイ


第117回日本耳鼻咽喉科学会通常総会・学術講演会に参加した。新専門医制度は各学会が中心の専門医認定・更新制度から、厚労省から独立した第三者機関としての日本専門医機構主導に変わった。その構造変革の一環として、耳鼻咽喉科専門医も含まれる18の「基本領域専門医」と「サブスペシャルティ専門医」の二段階に専門医構造が階層化された。学術講演会では毎年、特別講演、招待講演、宿題報告、教育セミナー、臨床セミナー、モーニングセミナー、パネルディスカッション、シンポジウム、および一般口演・ポスター発表などが行われる。本年度より参加登録の際には4枚の「耳鼻咽喉科領域講習受講証明書引換券」が渡されるようになった。耳鼻咽喉科領域講習となる臨床セミナーを受講するとセミナー終了時に、専門医更新に必要な学術業績・診療以外の活動実績を証明する「受講証明書」が引換券との交換で渡されるのである。

医院を休診にした学会初日、自宅を5時半起床で新幹線に乗った。辿り着いた名古屋国際会議場の臨床セミナー会場前には、すでに老若男女の長蛇の列ができている。生存競争に敗れた身は立ち見のセミナー初回受講になった。職業上、長時間立つことなど慣らされてきた筈だが、ただ手も動かさず受け身で立っているとたかが一時間にもかかわらず、眼は霞み、肩は凝るし腰も痛い。私より御年輩の先生方は心底お疲れになったことだろう。そして一つのセミナーが終われば、先に会場に入った者がその日の席を独占してしまう弊害を防ぐ為に、聴衆全員が退場を促される。次のセミナーを同じ会場で続けて拝聴したい場合も、すでに会場前で長々と伸びた入場待ちの行列の最後尾に改めて並びにゆかねばならない。この行列の長さは日毎に伸び行き九十九折になり、まさに人生はつづら折りなる長坂である。

会場の中はといえば、常時、最前列から最後尾の席までひとつ残らず満席である。壁際の立ち見を余儀なくされた先生方の中には、初日の私の如くすっかり疲労困憊しきったお顔が混じる。また講演終了5分前頃になると、多くの聴衆は一斉に壇上の演者にくるりと背を向けて、出口方向に向かいフロアに立ち並ぶ。次の入室の順番取りを考えると悠長に座ってはいられず、既定の時間が過ぎて後方の扉が開くなり出るべしと待ち構えるからである。壇上でいまだ熱弁を奮っておられるのだから、非礼この上もない。最後まで拝聴したい講演内容でも、それでも諸事情の為に已んぬる哉。さらに受講を重ねた参加者は、前方に座ると出室までに時間がかかる事実を学習する。その結果、入場するやいなや、すぐさま扉に近い後方から席が埋まってゆくという現象が当たり前になっていった。

本会場の他には初日から同時放映のサテライト会場が設営されていて、また録画ビデオでの追加講演が初日と3日目にも行われ(これらの会場情報はオンライン演題検索システムのMyスケジュールアプリで参加者に提供され、リアルタイムで知ることが出来た。)、十分過ぎるほど参加者に配慮して下さっている運営であった。だがいかんせん参加の人数が例年に比べてはるかに上回っていたに違いない。他科の学会の学術講演会も恐らく似たり寄ったりの騒動になっていることだろう。言うまでもなく、一般参加者にとって学会に参加して専門知識を新たにすることは大切である。それと同時に専門医の更新や旧資格からの移行に際して不可欠な「受講証明書」の確保もまた外せず、誰がそれを無視することが出来るだろう。本学会以降もこれから延々と狂想曲を経験せねばならないのかと思うといささか気が滅入る。それでも、受講証明書を大切に携え眼の下に隈を作り帰って参りました、これだけで終わってたまるかいという気概が今頃になってふつふつと湧いてきた。一寸の虫ならぬ市井の町医者にも五分の魂、来週から一味も二味も違う診療にせずしてなんとする。何はともあれ、御主催、御講演そして御参加の皆々様は御無事に御帰宅の途につかれただろうか。お疲れ様でございました。

正午牡丹その二│猫があらわす意味

2016-05-04 | アート・文化


吉祥図案「正午牡丹」の第二弾で、下図は別書の解説である。「猫」(mao1、第一声)と「耄」(mao4、第四声、年老いる)が同じ拼音の発音であることから長寿の寓意もあり、先の富貴全盛に併せて「福寿双全」(幸福と長寿)を表わすことが述べられている。耄碌(もうろく)を連想してはいけない、健康長寿の意を示す「耄」である。

ちなみに「耄」は『礼記』曲礼上に、「人生十年曰幼,学。二十曰弱,冠。三十曰壮,有室。四十曰強,而仕。五十曰艾,服官政。六十曰耆,指使。七十曰老,而傳。八十九十曰耄,七年曰悼,悼與耄,雖有罪,不加刑焉。百年曰期,頤。」とある中の「八十九十曰耄」である。その意味する所は以下の通りである。
-------人生初めの十年は「幼」と称する、学の道に入る。二十は「弱」、元服の初冠(ういこうぶり)である。三十は「壮」、一家を構える。四十は「強」、正式に仕官する。五十は「艾」、朝廷の政に参与する。六十は「耆」、経験豊かに部下を指揮する。七十歳は「老」、育てた後任に伝授し譲る。八十年、九十は「耄」。七歳未満の「悼」と「耄」は有罪でも罰してはならぬ。そして最高齢の百は「頤」、頤はおとがい、養うの意であり、周囲が大切に遇し保養せねばならない。
 なお五十の「艾」は、艾(もぐさ)、生薬艾葉(がいよう)となる多年生植物ヨモギであり、白髪混じりのヨモギ頭(葉の裏面には白い毛が密生している)となる年頃である。


(『中華吉祥画与伝説』 劉秋霖他編著、p116、中国文聯出版、2003)



正午牡丹│牡丹花と猫

2016-05-03 | アート・文化


皆様の豊穣と安寧を心よりお祈り申し上げて、「正午牡丹」の話をここに掲げる。
本年も庭に牡丹の花が咲き競う時節が来た。冒頭写真は一昨年に植えた中国安徽省産、鳳丹皮の薬用牡丹の花である。牡丹には「正午牡丹」という吉祥を表わす意匠があり、満開の牡丹花に猫を取合せて描かれる。下図はその「正午牡丹」の解説で、北宋の政治家、沈括著『夢渓筆談』からの引用とともに、正午には牡丹が真っ盛りとなることから、「正午牡丹」には富貴が極まるという寓意があることが述べられている。


(『中華伝統吉祥図案知識全集』王連海編著、 p.299、気象出版、2015)


《原文》 歐陽公嘗得一古畫牡丹叢,其下有一貓,未知其精粗。丞相正粛吴公與歐公姻家,一見曰:“此正午牡丹也。何以明之?其花披哆而色燥,此日中時花也;貓眼黒睛如線,此正午貓眼也。有帯露花,即房斂而色澤。貓眼早暮即睛圓,日漸中狹長,正午即如一線耳。”此亦善求古人之意也。
(『唐宗史料筆記 夢渓筆談』巻十七、書畫、p.159、中華書局、2015)
(拙訳) 欧陽修が下に一匹の猫がいる古い牡丹の群生図を手に入れたが、その精粗がどうもわからない。欧公と姻戚である宰相の呉育がこれを一見して述べた。「これは正午の牡丹です。何故ならば花弁が開き花色は乾いていて、まさに真昼の花です。また猫の黒い瞳は糸の様であり正午の猫の眼を示しています。牡丹に関して申せば、露を帯びている時なら花房はすぼまって花色は潤いが有る筈です。次に猫の眼ですが、朝夕には瞳は丸く日が高くなるにつれ細長くなり、正午には一本の糸の様になることから明らかです。」これは古人が描いた意をよく汲み取ったものと言える。
(参考資料:『ワイド版東洋文庫 夢渓筆談』全3巻、梅原郁訳注、平凡社、1995)


大阪市立東洋陶磁美術館では現在、眞葛焼の創始者で明治を代表する陶芸家、宮川香山(みやがわこうざん)の特別展「没後100年 宮川香山」(会期:平成28年4月29日(金)~7月31日(日))が開催されている。末尾に掲げたのは特別展図録(平成28年2月24日発行)の表紙で、この展示作品番号17「高浮彫牡丹二眠猫覚醒蓋付水差」の猫は丸い瞳である。一方続く18「高浮彫牡丹二眠猫覚醒大香炉」はまさに猫眼黒睛如線なのである。後者は正午に目覚めた姿に違いない。