花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

敵国滅びては則ち謀臣亡ぶ│「韓非子」

2024-11-28 | アート・文化


越王攻呉王、呉王謝而告服。越王欲許之。范蠡大夫種曰、不可、昔天以越與呉、呉不受、今天反夫差、亦天禍也。以呉予越、亦拜受之、不可許也。大宰嚭遺大夫種書曰、狡兎盡則良犬烹、敵國滅則謀臣亡、大夫何不釋吳而患越乎。大夫種受書讀之、太息而歎曰、殺之、越與呉同命。 
越王呉王を攻む。呉王謝して服を告ぐ。越王之を許さむと欲す。范蠡・大夫種曰く、不可、昔天は越を以て呉に與へしに、呉受けず、今天夫差に反す、亦天禍なり。呉を以て越に予ふ、亦拜して之を受けよ、許す可からざるなり。大宰嚭、大夫種に書を遺りて曰く、狡兎盡きては則ち良犬烹られ、敵國滅びては則ち謀臣亡ぶ、大夫、何ぞ呉を釋(ゆる)して越を患(うれ)へしめざる、と。大夫種書を受けて之を讀み、太息して歎じて曰く、之を殺さむ、越と呉と命を同じうす。
(内儲説下 六微第三十一│「韓非子 上」, p430-431)

故事成語「狡兎良狗」の出典。敏捷な兎を追う忠実な猟犬の如く功績のあった参謀の家臣は、敵国が滅び戦闘が終われば有害無用となり見捨てられる。大宰嚭からの書は、呉を存続させて越王の患いの種にしておくのが身の保証という意であった。不倶戴天の呉と越。范蠡と大夫種のその後の運命は。

参考資料:
竹内照夫著:新釈漢文大系「韓非子 下」, 明治書院, 1977
楠山春樹著:新釈漢文大系「淮南子 下」, 明治書院, 2010


根拠なき自信

2024-11-23 | 日記・エッセイ


昨年度のNHK大河ドラマ《鎌倉殿の13人》、第9回のタイトルは「根拠なき自信」であった。根拠に基づかない自信とは、evidenceを欠いた、他人様の承認御無用の自己陶酔である。鵜の目鷹の目の槍衾が突き刺さる世間の只中で、萎んで縮みがちな己をいかに膨らませるか、どのように愉快に保ち世過ぎ見過ぎしてゆくか。やたら持ち重りする生身を終点まで運ぶ責務がある人生行路にて、「根拠なき自信」はひとつの必需品には違いない。

ところで「根拠ある自信」とは。検証されるべきは担保となる根拠の質である。韓非子の「守株待兎」、童謡「待ちぼうけ」(北原白秋作詞、山田耕筰作曲)で詠われた如く、兎が木の根っこ転んだのは単なる僥倖である。剣呑なのは、不如意に陥り持ち札が寂しいと、嘗て上手く運んだという妄執に囚われがちになることである。生滅流転の世相は立ち止まる者など一顧だにしない。常住ではない無常の現世で、待ちぼうけが通用する余地は寸分も残されていない。

宋人有耕田者。田中有株。兎走觸株、折頸而死。因釋其耒而守株、冀復得兎。兎不可復得、而身爲宋國笑。今欲以先王之政、治當世之民、皆守株之類也。
宋人に田を耕す者有り。 田中に株有り。兔走りて株に触れ、頚を折りて死す。 因りて其の耒を釈てて株を守り、復た兔を得むとを冀ふ。 兔は復た得可からずして、身は宋国の笑と為れり。今、先王の政を以て、当世の民を治むと欲するは、皆株を守る類なり。
(五蠹第四十九│「韓非子」, p826-829)

参考資料:
竹内照夫著:新釈漢文大系「韓非子 下」, 明治書院, 1976

江南の憶い│「夢江南」李煜

2024-11-16 | アート・文化


  夢江南 一   李煜
千萬恨      千万の恨み
恨極在天涯    恨みの極まるは天の涯にあり
山月不知心裏事  山にかかる月は知らず心の裏(うち)の事
水風空落眼前花  水もふく風に空しく落つ眼の前りの花
揺曳碧雲斜    揺曳として碧雲斜めなり

  夢江南 二
梳洗罷      梳洗(そせん)罷(おわ)り
獨倚望江樓    独り望江の樓に倚る
過盡千帆皆不是  過ぎ尽くす千帆皆是れならず
斜暉脈脈水悠悠  斜めの暉(ひ)ざしは脈脈たり 水は悠悠たり
腸斷白蘋洲    腸は断つ白蘋の洲
 村上哲見注:中国詩人全集「李煜」, 岩波書店, 1990 

*李煜(りいく):五代十国時代の南唐最後の君主、詩人皇帝、南唐後主。亡国の後、北宋の地で三年間の軟禁生活を送る。馬銭子から成る牽機薬で最期を迎えたとされる(王銍著「黙記」上巻に記載)。
*馬銭子:馬銭(マチン)は学名Strychnos nux-vomica.L.、マチン科マチン属の常緑高木で、猛毒性のstrychnineを含む代表的植物である。成熟果実の種子を基原とする生薬が馬銭子で、性寒・味苦・有大毒、帰経は肝・脾経、効能は通絡止痛、散結消腫である。

涙の枕草子

2024-11-15 | 日記・エッセイ


<My Favorite Things(わたしのお気に入り)>は、ミュージカル映画、The Sound of Music(1965年)中の一曲である。歌いだしの‘Rindrops on roses and whiskers on kittens’から若い女性が推しの事物が続き、珠玉の小さな物語一つひとつが彼女の脳裏に鮮やかに蘇るのだろう。そして歌のラストは‘When I’m feeling sad, I simply remember favorite things. And then I don’t feel so sad’で締められる。
 一見これに似て、心が喚起され思ひ増した外界物象を挙げる段が殊に多い『枕草子』は、「ころは」、「とくゆかしきもの」、「過ぎにし恋しきもの」、「心地よげなるもの」から、「あぢきなきもの」、「うちとくまじきもの」等々まで、お気に入りでない並びもあり、これらの選別ははるかに独創的で余人をもって代え難い。
 されど『紫式部日記』に言わせれば、「艶になりぬる人は、いとすごうすずろなるも、もののあはれにすすみ、をかしきことも見すぐさむほどに、おのづから、さるまじく、あだなる様にもなるにはべるべし」(風流ぶる人は、もの寂しく面白くない折も感動的に振舞い、わずかな趣を見逃すまいとするうちに、おのずとそうあるべきでない浮ついた有様になるのだろう。)となり、取るに足らない審美眼を浅薄に展開してみせた風流遊戯と矮小化される。

外的事物と心機との関係を窺えば、遡る『万葉集』の相聞歌には、正述心緒(物に寄せずに直截に思いを述べる)、寄物陳思(物に寄せて思いを陳べる)、譬喩歌(思いを表に出さず隠喩的に詠む)などの表現形式がある。果たして『枕草子』に於て事物に託された思いは、「をかし」、「うれし」や「わろし」、「にくし」などの言葉を以て全てが語り尽くされているのだろうか。其処には、塵世に生きて心にのみ籠めて言わずもがなと決した、心の機微が深く秘められているのではないか。冒頭の‘When I’m feeling sad’のフレーズを振り返る時、其の性を知る善馭を得た如く自在無碍に駆けて、只管讃仰する御主に奉仕申し上げた久遠の物語が封じられていると思えてならない。
 最後に、「謂應せて何か有(言ひおほせて何かある)」(すべてを言い尽くせば後に何が残るのか)は、『去来抄』の中の松尾芭蕉の言である。生死無常の有様、どうしようもない人間の相をもらさず記す手法で貫かれた『源氏物語』は、謂うならば「言ひおほさずして何かある」(すべてを言い尽くさずして何が残るのか)の物語である。そして今やうは何事も「言ひおほす」の行動や信条が是とされる時代である。 

参考資料:
潁原退蔵校訂:「去来抄・三冊子・旅寝論」, 岩波書店, 1966
松尾聰, 永井和子校注・訳:「枕草子」, 小学館, 2017
阿部秋生, 秋山虔, 今井源衛, 鈴木日出男校注・訳:「源氏物語②」, 小学館, 2016
小谷野純一著:「紫式部日記」, 笠間書院, 2013

桂の黄葉

2024-11-09 | 日記・エッセイ

当院玄関横の黄葉(もみぢ)した桂の木、落葉は芳香を放つ。今宵は上弦の半月

黄葉する時になるらし 月人の桂の枝の色づく見れば        
   万葉集・巻第十 



清少納言と紫式部

2024-11-01 | 日記・エッセイ


清少納言と紫式部は宮仕えの時期が異なり、実際には面識がなかったというのが通説である。『紫式部日記』の清少納言に関する悪罵と冷笑に満ちた一文からは、一筋縄では行かない紫式部の人となりの一端が窺える。ともに誇り高く、御主を守り抜かんという心ばせの両者は、例え一堂に会しても到底相容れる相手ではなかったろう。謡曲<葵上>で、枕に立ち寄りちやうと出小袖を打つのは、瞋恚の炎に身を焦がした六条御息所である。お得意の言葉を刃に敵視する相手を苛むか、それとも扇ではっしと打ち据えるかの違いがあるとも、紫式部と六条御息所の心習ひは何処か似通った所がある。

「我が民族性の持つ一種の淡々たる明るさ、灰汁ぬけのした清楚な好みは、原始的なものながらに既に後世の「潔さ」を尚ぶ道徳の源を遺憾なく暗示してゐるとみられる。つまり毒々しくあくどいもの、しつこいことは初めから嫌ひな國民なので、いかなる意味でもさっぱり、あっさり、すつきりといふことが趣味に合ふのである。」は、長與善郎著『東洋の道と美』の一節である。虚無恬淡には甚だ程遠い我が身であるが、古典に初めて触れた年少から齢重ねた現在に至るまで、紫式部の様なタイプが一番苦手である理由が此処にある。

現在人気を博し放映中のNHK大河ドラマ「光る君へ」は、原典『源氏物語』の設定と歴史上の登場人物とを相互投影させた演出が光る、通説とは異なった独自の発想による創作ドラマである。勿論、主人公である紫式部最上の主題は揺るぎない。件の一文が誹謗中傷ではなく、確固たる理由に基づく正当な批判と印象づける為なのだろう、第41話では清少納言が藤壺への“殴り込み”をかける場面が創作されていた。もし『清少納言日記』があれば、果たして紫式部を如何様に物しただろう。否否、腹がふくるる思いがあるとも敢えて一切取り上げることはなかったのではないか。そして最後に、素人了見の戯言と御容赦頂きたい。先のシーンは清少納言sageの目標を見事に完遂したに違いない。なれど『枕草子』に表出する清少納言の稟質と颯然とした風姿には最もそぐわない振舞の創出であり、奸策に満ちた演出であった。