<My Favorite Things(わたしのお気に入り)>は、ミュージカル映画、The Sound of Music(1965年)中の一曲である。歌いだしの‘Rindrops on roses and whiskers on kittens’から若い女性が推しの事物が続き、珠玉の小さな物語一つひとつが彼女の脳裏に鮮やかに蘇るのだろう。そして歌のラストは
‘When I’m feeling sad, I simply remember favorite things. And then I don’t feel so sad’で締められる。
一見これに似て、心が喚起され思ひ増した外界物象を挙げる段が殊に多い『枕草子』は、「ころは」、「とくゆかしきもの」、「過ぎにし恋しきもの」、「心地よげなるもの」から、「あぢきなきもの」、「うちとくまじきもの」等々まで、お気に入りでない並びもあり、これらの選別ははるかに独創的で余人をもって代え難い。
されど『紫式部日記』に言わせれば、「艶になりぬる人は、いとすごうすずろなるも、もののあはれにすすみ、をかしきことも見すぐさむほどに、おのづから、さるまじく、あだなる様にもなるにはべるべし」(風流ぶる人は、もの寂しく面白くない折も感動的に振舞い、わずかな趣を見逃すまいとするうちに、おのずとそうあるべきでない浮ついた有様になるのだろう。)となり、取るに足らない審美眼を浅薄に展開してみせた風流遊戯と矮小化される。
外的事物と心機との関係を窺えば、遡る『万葉集』の相聞歌には、正述心緒(物に寄せずに直截に思いを述べる)、寄物陳思(物に寄せて思いを陳べる)、譬喩歌(思いを表に出さず隠喩的に詠む)などの表現形式がある。果たして『枕草子』に於て事物に託された思いは、「をかし」、「うれし」や「わろし」、「にくし」などの言葉を以て全てが語り尽くされているのだろうか。其処には、塵世に生きて心にのみ籠めて言わずもがなと決した、心の機微が深く秘められているのではないか。冒頭の‘When I’m feeling sad’のフレーズを振り返る時、其の性を知る善馭を得た如く自在無碍に駆けて、只管讃仰する御主に奉仕申し上げた久遠の物語が封じられていると思えてならない。
最後に、
「謂應せて何か有(言ひおほせて何かある)」(すべてを言い尽くせば後に何が残るのか)は、『去来抄』の中の松尾芭蕉の言である。生死無常の有様、どうしようもない人間の相をもらさず記す手法で貫かれた『源氏物語』は、謂うならば「言ひおほさずして何かある」(すべてを言い尽くさずして何が残るのか)の物語である。そして今やうは何事も「言ひおほす」の行動や信条が是とされる時代である。
参考資料:
潁原退蔵校訂:「去来抄・三冊子・旅寝論」, 岩波書店, 1966
松尾聰, 永井和子校注・訳:「枕草子」, 小学館, 2017
阿部秋生, 秋山虔, 今井源衛, 鈴木日出男校注・訳:「源氏物語②」, 小学館, 2016
小谷野純一著:「紫式部日記」, 笠間書院, 2013