花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

学校検診にて

2016-07-21 | 日記・エッセイ


毎年、4月から6月にかけて近隣の幼稚園から中学校までの学校検診が一斉に行われる。耳鼻咽喉科検診で私も何か所に伺うのだが、先頃、本年最後の検診に出向いた。母親の膝に抱かれていても泣きじゃくる子供達が多い年少の3歳児、付き添いなしで検診を受けられる様になったはものの、いまだ体がこちこちに固まっている年中の4歳児、そして検診なんてどうってことはないと余裕をかまして受けられる様になった年長の5歳児と、一年一年、確実に成長が続く。

検診が終わった後に、何人かのぼくやわたしがその場を立ち去らない。しばらく下を向いて何か考え込んでいるので、どうしたのかなと思いきや、有難うございましたの大声が唐突に上がる。それからおもむろにくるりと踵を返し、元気な足取りで部屋を出てゆくのである。家庭か幼稚園において、検診終了後にはお礼を言いましょうと事前に言われたに違いない。ところが緊張のあまり、忘れちゃったの状態になり、それでも一生懸命思いだして礼を言ってくれたのだ。ちゃんとやれたという自信と満足感が溢れる後ろ姿に向かって、どういたしましてと声をかけてお返しをした。

そうかと思えば、何時の間にか検診室の入口付近には、こちらを観察する顔、顔、顔が鈴なりに並んでいる。年長さんともなれば、もはや泣きべその顔や不安で押しつぶされそうな顔はない。こちらに向けられた眼は真剣で全く笑っていない。先のお友達が受けている検診状況を興味深々で観察しているのである。こちらも検診の合間にちらちらと負けずに眺め返していたのだが、邪魔になるからと先生がお気遣いなさったのだろう。部屋から見えない所で並ばされたのか、途中から彼等の姿はなくなった。

中には普段当院に通院して来られる旧知の顔が混じっている。見つけたよという風な笑顔をこちらに見せる。こちらもわかっているよとしっかり笑顔で応答したつもりであった。しかしそれでは全く不十分で大いに不満足であったらしい。医院で後日、先生、ぼくいたのにわかってなかったと叱られてしまった。



桔梗(ききょう)

2016-07-18 | 漢方の世界


桔梗(ききょう)はキキョウ科の多年草で、地上の枝葉や星型の花ではなく根を生薬「桔梗」として用いる。化痰止咳平喘剤に分類され、薬性は苦、辛、平で、肺経に属し、効能は宣肺祛痰、利咽、開宣肺気、排膿消腫(肺気の鬱滞を除き、肺の宣発作用を高めて、咽頭症状を改善し、痰を除いて咳を鎮める。化膿部位から膿を排出、腫脹を除く。)である。風寒、風熱の外邪が肺を侵襲して起こる咳嗽、咽頭痛、嗄声や、気道系や皮膚の化膿性疾患に使用される。また肺気の滞りや肺の水道作用の改善は、胃腸の消化管運動、便通の回復(肺と大腸は表裏の関係を持つ)や利尿につながり、便秘、尿閉、排尿困難に対する作用もある。さらに昇浮、昇散の上昇する性質を有し、胸膈以上の上焦の病証において、引経薬として諸薬を上方に導いて薬理作用を助けるdrug deliveryの働きを発揮する。配伍されている方剤には、桔梗湯、参蘇飲、銀翹散、排膿散及湯、清上防風湯などがある。

井上靖著「ある偽作家の生涯」(『井上靖全集』第三巻に収載、新潮社、1995年)には、かつて画人として同じ出発点に立ち、その後「一人の天才とのとの接触に於て相手の重さに打ちひしがれて、自らを磨滅した凡庸な人間の悲劇」のままに堕ちていった人間の半生が、「私」の眼を通して描かれている。いまや仰ぎ見上げるしかない、かつて友であった大家の偽作に手を染める落魄の流転の果てに、密造の花火造りでの爆発で絵師としての右手の手指を永遠に失ない、その男は晩年、濃い桔梗色の花火の打ち挙げに一つの夢を託すのである。

「だって、-------よく言えないけれど、何故か嫌な気がするの。桔梗色の火がぱあっと暗い空に開くのでしょう。」
 「私」の妻が、桔梗色の花火というものに対し吐露した言葉である。
 しかしながら「私」は述懐する。
「芳泉の火薬弄りは、何処かに、火薬そのものが持っているそれと同じような暗い冷たいものが、私にもまた感じられた。しかし私の妻とそれから芳泉未亡人が感じたかも知れぬようには、私には感じられなかった。一人の偽作家がその成れの果てに持たずにはいられなかったようなものとして、私には瞬間夜空に開く桔梗色の何枚かの花弁がむしろある哀しい美しさで眼に映った。
 しかし、やはりその芳泉の夢は決して夜空には開きはしなかったであろうと思う。それを故人に訊いて確かめる術はないが、決して開かない花弁の色であったからこそ、二人の女性の烈しい顰蹙を買ったのではないか。」

と、その寂寞たる孤独な生涯に思いを馳せるのである。

「桔梗色の火がぱあっと暗い空に開く」という花火を思う時、頭上に広がるのは凄涼たる夜色の形象である。李賀の「感諷 五首」其の三において、「一山 唯白暁、漆炬 新人を迎え、幽壙 螢擾擾たり」と詠われた漆炬(漆のように光る松明の火)の鬼火を思わせる「陰火」である。「陰火」は一般に鬼火や人魂を意味するが、中医学、漢方医学的には虚火、虚熱の呼称と同じく、陰証で虚証の人が虚を背景に、発熱、熱感、発赤、口渇などの熱症候を呈する、病的に過剰となった諸々の亢進状態を表現する。
 陰火はいかに燃え上がるとも生の鼓舞へとは繋がらず、自身を周りをも焼き滅ぼしてやまない火である。静かに歳月の彼方に消えゆくまで、それが男の黯い人生行路を照らし続けた唯一の灯りであった。

きちかうのむらさきの花萎む時 わが身は愛しとおもふかなしみ      赤光 斎藤 茂吉

夏期特別講習会2016「かた・かたち・すがた」│大和未生流の花

2016-07-15 | アート・文化


華道、大和未生流の夏期特別講習会が、7月10日、奈良春日野国際フォーラム 甍~I・RA・KA~本館(旧奈良県新公会堂)で開催された。毎年、午前の部は御家元の御講義で、午後の部は副御家元の御指導による実技講習が行われる。「かた・かたち・すがた」の御講義は、創流百周年の節目にあたり流派の原点に回帰することの必要性からお話が始まった。大和未生流の御家元は、御専門の領域のみならず、生け花についての学際的検証を続けてこられた生粋の学者である。これ迄も折に触れて、到達なさった理(ことわり)の一端を平易な言葉で我々に説き聞かせて下さった。本講においては、優れた慧眼が自然の中に存在する目に見える「形(かたち)」を範型化し、この時代を越えて伝承される「型(かた)」は、続く世代において稽古修練を通じて風姿を磨くことにより肉化された「姿(すがた)」となるべきことを、数々の古典を紐解いて御講義になった。
 原文を添えて末尾に掲げたのは、御講義の中で引用なさった岡倉天心著、浅野晃訳『茶の本 The Book of Tea』の一節である。概念的思考ではなく、「芸術的人格の表現(expressions of artistic personality)」としての日常生活における仕草や風体など、具体性とたえず結びついたかたちで日本の精神文化が発祥し形成されてきたことが示唆されている。この一文の御提示により、生け花をひとつのよすがとして、我等が真に進むべき道が何処にあるのかをお示し下さったのである。



午後からの実技実習は、木賊(トクサ)、射干(シャガ)の葉、薔薇(バラ)を用いた前人盛花の生け花であった。副御家元の懇切丁寧な御指導の下に、生け花に興味をお持ちになったばかりの初心者から熟練者の先生方まで、一同打ち揃い和気藹藹と楽しみながら稽古に励んだ。生ける器は御家元が毎年監修なさるその年の花器である。そして講習会が終わった後も稽古は続いている。会場で丁重に包んだ筈の花包みは帰宅後に開けてみたら、不心得な私の姿勢を露呈して木賊が中折れしていた。思案の挙句、庭に伸び放題の藺草(イグサ)を替わりに用いて、講習会でお教え頂いたことを反芻しながら生け直してみた。実習会場では花が傷まない程度に最小限の水を器に入れるのだが、今度は心置きなくまんまんと水を湛えた。本年の器、信楽焼の丸水盤は、水を帯びるとさらに肌色が深く沈んだ落ち着いた色になる。藺草は木賊より細いので丈を長く取って上を伸びやかに涼しく、炎上の夏、心火逆上とならぬ様に下方の緑を多くして重心を下げてみた。


「宗教では「未来」がわれわれの背後にある。芸術では「現在」が永遠である。茶人はこう考え た、芸術の真の鑑賞は、芸術から生きた感化をうける人にとってのみ可能なのだ、と。そういうわけで茶人は、茶室で得られた風雅の高い標準をもって、おのが日常生活を律してゆこうと力めた。いかなる場合にあっても心の落ちつきを失ってはならない。着物の裁ち方からその色、身のこなし、歩きぶりに至るまでが、ことごとく芸術的人格の表現となることができた。これらはか りそめにも軽視されてはならないことどもであった。それというのは、自分自身を美しいものになし得ないうちは、人は美に近づく権利をもたないからである。」
In religion the Future is behind us. In art the present is the eternal. The tea-masters held that real appreciation of art is only possible to those who make of it a living influence. Thus they sought to regulate their daily life by the high standard of refinement which obtained in the tea-room. In all circumstances serenity of mind should be maintained, and conversation should be conducted as never to mar the harmony of the surroundings. The cut and color of the dress, the poise of the body, and the manner of walking could all be made expressions of artistic personality. These were matters not to be lightly ignored, for until one has made himself beautiful he has no right to approach beauty.
(岡倉天心著『茶の本 The Book of Tea』, p190-191,講談社, 1998)






Windows 10アップグレード騒動記

2016-07-12 | デジタル


7月29日期限のWindows 10無償アップグレードが巷を賑わせている。私の私用デスクトップPCもWindows 7から10への衣替えを完了した。忘れもしない5月某日、スライド作りに疲れてPCを立ち上げたまま、階下でコーヒーを飲む為にしばし席を離れた時である。部屋に戻るとモニターには見慣れぬカウントアップが表示され、デスクトップPCが当方の意向を無視したまま、勝手にアップグレードを開始しているではないか。
 丁度その頃、日本東洋医学会学術講演会での演題発表を控えて、安定した現行のPC環境に悪影響がでるかもしれないアップグレードを、少なくとも学会前には行うまいと心に固く決めていた。何度もしつこく出現するアップグレード予約のお誘いメッセージに対し、堅く御辞退申し上げると片端からモグラたたきばりにブロックしていた筈だった。
 幸いWindows 10 proへのアップグレード後は、通常使うプリンターを管理設定する必要があった以外、何かが動作しなくなったという類の問題は現在まで生じていない。進行中にひたすら蒼い顔で心配していたのだが、発表予定のスライドファイルも無傷であった。 

振り返れば、否応なく清水の舞台から落とされるが如き、このような仕儀に追い込まれることがなければ、優柔不断な私は何時までもアップグレードの踏ん切りがつかなかっただろう。一つ経験したお蔭ですっかり鼻息が荒くなり、敬愛する華岡青洲先生の御言葉、「内外合一、活物窮理」の文字を刻印したWindows 8.1 proのVAIO Pro11を、今度は積極的にアップグレードするぞという気になったのである。しばらく雑用が続いたのでVAIO Pro の方は先週に行ったが、こちらも恙なく完了することが出来た。勿論今回は、バックアップ、リカバリーディスクの準備を含む準備万端の上で行ったことは言うまでもない。
 ところで今回のWindows 10の何処が目玉なのか、いまだに少しも理解出来ていないのがいささか情けない。時流に乗ればいいというものではないかもしれないが、時流に乗ったら初めて見えて来るものもあるに違いないと自分に言い聞かせている。

キャッチボール

2016-07-10 | 日記・エッセイ


勤務医であった若き頃の話である。術後順調に回復なさり無事に退院日をお迎えになった朝に、病棟から連絡があり慌てて駆けつけると患者さんの姿は消えていて、ものの見事に病室には何も残っていなかった。その後の顛末がどうなったのか、未払いの一件は主治医の手から離れた。
 数年の後、とある公園でその患者さんをお見かけした。公園内に設けられた駐車場の横で、満面の笑みで子供さんと楽しそうにキャッチボールをしておられた。もう私の顔など覚えておられなかったかもしれなかったが、そ知らぬふりでそっとその場を後にした。
 歩きながら、二度と振り返らない後ろに向かって、お元気でしたかと無言で問いかけた。わざわざ聞くまでもないやろと答えるかの様に、はしゃいだ幼い笑い声が追いかけてきた。 
 遥か彼方に古都のたたなづく青垣が見えた。


領域講習を受講する

2016-07-09 | 日記・エッセイ


再び専門医更新に必須である単位付与講習の話である。本年度から日本耳鼻咽喉科学会関連の学術講演会や研究会では、領域講習受講証明書が配布されることになった。5月の総会では「受講証明書顛末記」に記した通り、受講証明書は参加登録時に渡される引換券と引き換えに、個々の講習修了後の退出時に手渡される方式が取られた。専門医制度の変更を余儀なくされた他学会のHPを覗いてみたが、どれも似たり寄ったりである。この方式の採択は、証明書を先に渡せば必ず途中で会場を抜け出す不逞の輩が出るとの見解に基づいているに違いない。各学会首脳部の先生方は、日夜、粉骨砕身、学会運営にしのぎを削っておられるのだが、外野に向かい、
「我等一同を、小人閒居して不善を為し至らざる所なしとお思いか。そのような不心得者は一人なりとも居りません!」
と啖呵のひとつもお切り下さったのだろうか。

強制的に会場に留まる仕組みを作りあげようとも、参加者が拝聴し己が血肉と為すかは別物である。一方、参加証取得だけが目的で講演途中で抜けようと計る者が出たとして、惜しむらく明日からの診療の糧となるtake-home messageをもらい損なっているかもしれない。どのような道を選んだかの結果は良く悪くも自分に返る。その成行きを見通した上で如何に行動してゆくかの選択は個々に委ねられるべきであり、与えられた自由裁量を生かすも殺すも自業自得である。十目に視られずとも十手に指さされずとも、「君子は必ずその独を慎しむなり。」を行うが、あらまほしき大人の道というものだろう。紳士淑女の学徒が集まる学会などと言うつもりは更々ないが、我々は小学生か幼稚園児か。否、小さな彼等も頭ごなしに型にはめれば反発に終わるだけである。この頃は、先の総会で長い行列に並んだ挙句に頂戴した受講証明書が、はるか昔にもらって喜んでいた筈の「たいへんよくできました」の花丸に見えてならない。




スイッチングHUBが壊れた

2016-07-08 | デジタル


今週の水曜日、午前診では支障なく動いていた電子カルテシステムであったが、午後診療に際し受付PCからサーバーPCにリンク不能となった。既に待合室には患者さんが沢山お待ちである。再起動しても院内LAN接続不可の事態は改善しない。こうなればサーバーPCで受付入力して午後診療を行うと試みたが、レーザープリンター、インクジェットプリンターともに動作せず、領収書や院外処方箋が印刷できないことに気付いた。断腸の思いで午後診療中止を決断し、折角来院して下さった患者さんには平謝りで事情を御説明し、日を改めて診療させて頂く旨を申し述べて御詫びをした。

為す術なく茫然としていたが、ふと受付PC横のHUBが全く点灯していないことが目に映り、原因部位が此処だと初めて理解した。何か手立てはないかと棚にしまっておいた問題機器の空箱を開けたら、何時入手したかも覚えていない別社製のひと回り小さなHUBが納まっている。これに駄目元でLANケーブルを順番に繋いでみると、陸の孤島であった受付PCが目出度くネットワークに再認識された。プリンター連中も壊れたHUBにぶら下がっていた為に印刷不可であったことが解り、この後は機嫌よく動き出した。回復しましたので診療を始めさせて頂きますと、駐車場でお帰り支度をなさっていた患者さんをお詫びとともに呼び戻し、既に帰宅された方宅にも診療開始の御連絡を差し上げた。

逆上した頭が冷えてきた頃にゆっくりと考えたら、まずは壊れたHUBを外し、受付PCおよびプリンターの一機を直接に壁のLANポートに接続さえすれば慌てることはなかったのである。仕事柄、緊急時の心構えは多少なりともある筈なのにまだまだ修行不足とみえる。トラブルが発生しなければそれに越したことはない。しかし何も起こらぬ保障は何処にもない。日頃色々な緊急事態を想定して、その際に取るべき行動をお浚いしておくことが肝要と今更ながら反省した。

これまでに公私ともにHDが飛んだことがあり、器械はいつか壊れるものと頭では理解しているつもりである。されど診療業務開始の時点で突然、今回の様なトラブルが起きると、元来肝っ玉が小さいのでひたすら焦る。それにつけても存在をすっかり忘れ去っていた小さなHUBには大いに助けられた。急場をしのいだ翌日にはすみやかに、何時も何かとお世話になっている泉代表が伝送速度が速い新規のHUBを接続して下さり、一件はようやく無事に落着した。小さなHUBは再び空箱の中に帰ったのであるが、この後二度と出番がなくとも安全管理における守り神として、どうぞ新参者のHUBが元気に働いている姿を其処から静かに見守っていて欲しいと思っているのである。


星夜の品定め

2016-07-01 | 日記・エッセイ
勝気な母も九十九髪の老女になり、父が逝った後の一年間はこのまま一緒にゆくのかと思う程に気落ちして傍を大いに心配させた。現役を既に引退して久しいが、今でも私が定期購読している医学雑誌の何冊かにはかかさず目を通して、こちらにトレンディな話題を振って鋭い質問を投げかけてくる。論説、論文に顔写真が添えられている時などは、まずそれを拝見してから読むか読まないかを決めると言う。単純な美醜だけが選択基準でもないらしい。一体何を考えているのと呆れたら、「人生には限りがあるのです。」と高らかに宣言して断固としてその主義を譲らない。

製薬会社から送付される雑誌の中に、座右の銘を揮毫なさった色紙とともに、各大学教授の先生方の御顔の写真が数方ずつ連載されていたものがあった。雑誌が届くたびに毎回、この御方は字も残念ねえとか、あら鄙にはもったいない御顔とか、好き放題な品定めを聞かされた。母の名誉挽回の為に申せば、その書は年とともに手が震えて今や駄目になってしまったが、以前は巻紙に筆で書かせたら圧巻で楷書から草書まで実に流麗な字であった。その母がかつて父に一筆書きましょうかと申し出たら、読めない字の手紙なんかはいらんと断ったらしい。