華道、大和未生流の夏期特別講習会が、7月10日、奈良春日野国際フォーラム 甍~I・RA・KA~本館(旧奈良県新公会堂)で開催された。毎年、午前の部は御家元の御講義で、午後の部は副御家元の御指導による実技講習が行われる。「かた・かたち・すがた」の御講義は、創流百周年の節目にあたり流派の原点に回帰することの必要性からお話が始まった。大和未生流の御家元は、御専門の領域のみならず、生け花についての学際的検証を続けてこられた生粋の学者である。これ迄も折に触れて、到達なさった理(ことわり)の一端を平易な言葉で我々に説き聞かせて下さった。本講においては、優れた慧眼が自然の中に存在する目に見える「形(かたち)」を範型化し、この時代を越えて伝承される「型(かた)」は、続く世代において稽古修練を通じて風姿を磨くことにより肉化された「姿(すがた)」となるべきことを、数々の古典を紐解いて御講義になった。
原文を添えて末尾に掲げたのは、御講義の中で引用なさった岡倉天心著、浅野晃訳『茶の本 The Book of Tea』の一節である。概念的思考ではなく、「芸術的人格の表現(expressions of artistic personality)」としての日常生活における仕草や風体など、具体性とたえず結びついたかたちで日本の精神文化が発祥し形成されてきたことが示唆されている。この一文の御提示により、生け花をひとつのよすがとして、我等が真に進むべき道が何処にあるのかをお示し下さったのである。
午後からの実技実習は、木賊(トクサ)、射干(シャガ)の葉、薔薇(バラ)を用いた前人盛花の生け花であった。副御家元の懇切丁寧な御指導の下に、生け花に興味をお持ちになったばかりの初心者から熟練者の先生方まで、一同打ち揃い和気藹藹と楽しみながら稽古に励んだ。生ける器は御家元が毎年監修なさるその年の花器である。そして講習会が終わった後も稽古は続いている。会場で丁重に包んだ筈の花包みは帰宅後に開けてみたら、不心得な私の姿勢を露呈して木賊が中折れしていた。思案の挙句、庭に伸び放題の藺草(イグサ)を替わりに用いて、講習会でお教え頂いたことを反芻しながら生け直してみた。実習会場では花が傷まない程度に最小限の水を器に入れるのだが、今度は心置きなくまんまんと水を湛えた。本年の器、信楽焼の丸水盤は、水を帯びるとさらに肌色が深く沈んだ落ち着いた色になる。藺草は木賊より細いので丈を長く取って上を伸びやかに涼しく、炎上の夏、心火逆上とならぬ様に下方の緑を多くして重心を下げてみた。
「宗教では「未来」がわれわれの背後にある。芸術では「現在」が永遠である。茶人はこう考え た、芸術の真の鑑賞は、芸術から生きた感化をうける人にとってのみ可能なのだ、と。そういうわけで茶人は、茶室で得られた風雅の高い標準をもって、おのが日常生活を律してゆこうと力めた。いかなる場合にあっても心の落ちつきを失ってはならない。着物の裁ち方からその色、身のこなし、歩きぶりに至るまでが、ことごとく芸術的人格の表現となることができた。これらはか りそめにも軽視されてはならないことどもであった。それというのは、自分自身を美しいものになし得ないうちは、人は美に近づく権利をもたないからである。」
In religion the Future is behind us. In art the present is the eternal. The tea-masters held that real appreciation of art is only possible to those who make of it a living influence. Thus they sought to regulate their daily life by the high standard of refinement which obtained in the tea-room. In all circumstances serenity of mind should be maintained, and conversation should be conducted as never to mar the harmony of the surroundings. The cut and color of the dress, the poise of the body, and the manner of walking could all be made expressions of artistic personality. These were matters not to be lightly ignored, for until one has made himself beautiful he has no right to approach beauty.
(岡倉天心著『茶の本 The Book of Tea』, p190-191,講談社, 1998)