早いもので今年も余すところ一日、二大万葉歌人への処方箋という話を御紹介して、本年最後の「花紅柳緑~院長のブログ」と致したい。今年、三谷和男先生御診療の陪席に伺っていた時に「香蘇散は柿本人麿に、半夏厚朴湯は大伴家持に」というお話が出て、帰宅後に花輪壽彦先生の『漢方診療のレッスン』(金原出版)を改めて読み返してみた。ちなみに香蘇散は、香附子、紫蘇葉、陳皮、甘草、生姜の生薬から構成され、作用は疏散風寒、理気和中であり、中焦・脾胃の気の滞りを整えて、体表面の風寒の邪を取り除く漢方方剤である。そして半夏厚朴湯は、半夏、厚朴、茯苓、紫蘇葉、生姜を含み、作用は行気開鬱、降逆化痰であり、気の流通を改善し鬱滞を開き、痰の上逆を下に引き下ろす方剤である。
『漢方診療のレッスン』では、香蘇散と半夏厚朴湯の処方鑑別として、「香蘇散は本態は中枢性の気うつにあるが、発現する部位のフォーカスは定まらないことが多い。半夏厚朴湯は本態は同じく中枢にあるが、末梢に具体的な症状を示す気うつに用いる。」(p408)と記載されている。さらに同書のコラム「「心もしのに」には香蘇散、「心疼く」は半夏厚朴湯」(p187-188)には、下記の二首を挙げて、「心もしのに」と気が滅入り心がくたくたになった人麻呂には香蘇散を、「心疼く」と身体表現をしている家持には半夏厚朴湯の処方をしてさしあげたいと、実に興味深い見解を述べておられる。本年度の綴喜医師会学術講演会発表の演題「後鼻漏の漢方治療」におけるスライドの一枚にも、この二首の話を取り上げさせて頂いた。まこと漢方は臨床と浪漫が共存する大人の医学である。
近江の海 夕波千鳥 汝が鳴けば 心もしのに いにしえ思ほゆ 柿本人麿 万葉集巻三・二六六
移り行く時見る毎に 心疼く 昔の人し 思ほゆるかも 大伴家持 万葉集巻二十・四四八三
ところで柿本人麿であるが、かつて『隠された十字架』(新潮社)に続き『水底の歌』(同)、『梅原猛著作集、さまよえる歌集』(集英社)等々と、哲学者、梅原猛先生が上梓された御本に魅了されてひたすら読み漁っていた時期があった。従来の契沖、真淵が唱えた下級官吏としての柿本人麿像に異議を唱え、高官からの左遷という流罪の後に非業の最期を遂げた人麿像を提唱なさったのが『水底の歌』である。この御本は、宮廷歌人である非凡なる歌聖が政治的事件に巻き込まれ失脚してゆく過程を辿り、反骨と好色に溢れた強く激しい人生を生きた人麻呂に対する、哀惜に溢れた挽歌である。そして同じく万葉歌人として忘れることの出来ない大伴家持もまた、古代氏族の御曹司に生まれ、藤原氏の台頭の下、傾いてゆく名家の総領として一族をひきいて現世での生き残りをめざしたに違いない男であった。「わが宿の いささ群竹 吹く風の 音のかそけき この夕べかも」(万葉集巻十九・四二九一)は、私が一番好きな歌である。そこはかとない寂寥を感じさせる歌であり、一見、セレブ階級のシティボーイが漂わせる憂鬱風であるが、決してその様なたやすい歌ではない。
振り返れば京教大付属高校時代の漢文の時間に、日本では詩人といえば世俗を超越し浮世離れした、感傷的で気弱なイメージを思い浮かべるかもしれないが、中国の詩人は時の政に非を唱え積極的に現世にかかわろうとした人が少なくないという意味の話を伺い、国が異なればそういうものかと感心したものだった。改めて人麿や家持に思いを馳せるとき、今はどれ程の違いがあるだろうかと思い始めている。常人にはない鋭い感性の持ち主の詩人であるならば、ひたひたと迫り来る諸々の黒い影に気が付かぬままに、或はそれらをそ知らぬふりで黙してやり過ごすことなど決してできはしない。そこに詩人の心を持ったが故の悲劇がおこるのだろう。
末筆ながら、御縁がありこのブログを見て下さった皆々様に、本年の最後にあたり心より御礼を申し上げたい。
どうぞ良いお年を!
『漢方診療のレッスン』では、香蘇散と半夏厚朴湯の処方鑑別として、「香蘇散は本態は中枢性の気うつにあるが、発現する部位のフォーカスは定まらないことが多い。半夏厚朴湯は本態は同じく中枢にあるが、末梢に具体的な症状を示す気うつに用いる。」(p408)と記載されている。さらに同書のコラム「「心もしのに」には香蘇散、「心疼く」は半夏厚朴湯」(p187-188)には、下記の二首を挙げて、「心もしのに」と気が滅入り心がくたくたになった人麻呂には香蘇散を、「心疼く」と身体表現をしている家持には半夏厚朴湯の処方をしてさしあげたいと、実に興味深い見解を述べておられる。本年度の綴喜医師会学術講演会発表の演題「後鼻漏の漢方治療」におけるスライドの一枚にも、この二首の話を取り上げさせて頂いた。まこと漢方は臨床と浪漫が共存する大人の医学である。
近江の海 夕波千鳥 汝が鳴けば 心もしのに いにしえ思ほゆ 柿本人麿 万葉集巻三・二六六
移り行く時見る毎に 心疼く 昔の人し 思ほゆるかも 大伴家持 万葉集巻二十・四四八三
ところで柿本人麿であるが、かつて『隠された十字架』(新潮社)に続き『水底の歌』(同)、『梅原猛著作集、さまよえる歌集』(集英社)等々と、哲学者、梅原猛先生が上梓された御本に魅了されてひたすら読み漁っていた時期があった。従来の契沖、真淵が唱えた下級官吏としての柿本人麿像に異議を唱え、高官からの左遷という流罪の後に非業の最期を遂げた人麿像を提唱なさったのが『水底の歌』である。この御本は、宮廷歌人である非凡なる歌聖が政治的事件に巻き込まれ失脚してゆく過程を辿り、反骨と好色に溢れた強く激しい人生を生きた人麻呂に対する、哀惜に溢れた挽歌である。そして同じく万葉歌人として忘れることの出来ない大伴家持もまた、古代氏族の御曹司に生まれ、藤原氏の台頭の下、傾いてゆく名家の総領として一族をひきいて現世での生き残りをめざしたに違いない男であった。「わが宿の いささ群竹 吹く風の 音のかそけき この夕べかも」(万葉集巻十九・四二九一)は、私が一番好きな歌である。そこはかとない寂寥を感じさせる歌であり、一見、セレブ階級のシティボーイが漂わせる憂鬱風であるが、決してその様なたやすい歌ではない。
振り返れば京教大付属高校時代の漢文の時間に、日本では詩人といえば世俗を超越し浮世離れした、感傷的で気弱なイメージを思い浮かべるかもしれないが、中国の詩人は時の政に非を唱え積極的に現世にかかわろうとした人が少なくないという意味の話を伺い、国が異なればそういうものかと感心したものだった。改めて人麿や家持に思いを馳せるとき、今はどれ程の違いがあるだろうかと思い始めている。常人にはない鋭い感性の持ち主の詩人であるならば、ひたひたと迫り来る諸々の黒い影に気が付かぬままに、或はそれらをそ知らぬふりで黙してやり過ごすことなど決してできはしない。そこに詩人の心を持ったが故の悲劇がおこるのだろう。
末筆ながら、御縁がありこのブログを見て下さった皆々様に、本年の最後にあたり心より御礼を申し上げたい。
どうぞ良いお年を!