花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

紅葉と楓をたずねて│其の二・能「六浦」

2016-08-22 | アート・文化
相模国六浦(むつら)の称名寺で、都の僧が夏木立の如く一葉も紅葉していない一本の楓を見出す。通りすがりの里の女がその謂れを語り始める。昔、冷泉為相卿が先駆けて紅葉していたこの楓の木を、「如何にしてこの一本にしぐれけむ 山に先だつ庭のもみじ葉」とお詠みになった。楓は詠歌を誉れとして、「功成り名遂げて身退くは、これ天の道なり」という古き詞(ことば)を深く信じて守り、以降は常盤木の如く紅葉することをやめたのである。里の女は楓の精であった。楓の精は四季折々の自然の移ろいを語り舞う。やがて夜が明けて、木の間の月が朧に霞みゆくように消えて行くのである。

「功成り名遂げて身退くは(功成名遂行身退)、これ天の道なり」の言葉は、『老子道徳経』第九章、「功遂身退,天之道也」からの引用である。『老子道徳経』第八章には「上善は水の如し」(最上の善なるあり方は水の様なものだ)とも記されている。しかと心に留め置くべく、末尾に岩波文庫『老子』から引用した一節を掲げた。なお本書では、「「功」は仕事の意。「遂」は「成」の意味なので、「功遂」を「功成」とし「名」を加えて「功成名遂」とするテキストが多いが、帛書乙本は「功遂」、帛書甲本は「功術」、楚簡は「攻述」であり、「攻」は「功」の借字、「述」は「遂」と通じるので「功遂」のままがよい。「成」「名」は後世の挿入であろう。」と論述されている。

持而盈之,不如其已。揣而鋭之,不可長保。金玉滿堂,莫之能守。富貴而驕,自遺其咎。功遂身退,天之道也。
持して之を盈(み)たすは、其の已(や)むるに如かず。揣(し)して之を鋭くするは、長く保つべからず。金玉の堂に満つるは、之を能く守る莫し。富貴にして驕れば、自ら其の咎を遺(のこ)す。功遂げて身退くは、天の道なり。

盈ちたりた状態を失わぬように保ち続けるのは、やめておいた方がよい。刃物を鍛えて鋭くするのは、長く切れ味を保てない。金銀財宝が部屋いっぱいにあるのは、守り続けることができない。富貴で驕慢ならば、みずから災難を招く。仕事をなし遂げたら身を退ける、それが天の道というものだ。
(岩波文庫「老子」, 蜂谷邦夫訳注, p42-44, 岩波書店, 2012)

  
「老荘の思想を読む」館野正美著、大修館書店、2007
第一章・老荘思想とは何か、<道>の実践---<無為>の章において、第九章については「ゆきすぎやりすぎをしないこと」と簡潔明瞭にその意をお示し下さっている。御本を賜って以来、大切にして折に触れて拝読している座右の書である。)
「道徳経・通玄経」悟唯等編, 京華出版, 2009
「観世流大成版 六浦」廿四世宗家訂正著, 檜書店, 1952



紅葉と楓をたずねて│其の一「夕霧」の帖

2016-08-15 | アート・文化


『源氏物語』第三十九帖、夕霧の源氏香図の下に寄り添う牡鹿と牝鹿が描かれた版画である。十月の花札の絵柄「鹿に紅葉」では一頭の鹿が佇み、「ひとり寝やいとど寂しきさ牡鹿の朝臥す小野の葛の裏風」(新古今集 秋歌下 藤原顕綱朝臣)と、心ならずも朝まで独り寝をしてしまった鹿かもしれない。

牡鹿は妻を恋い慕って鳴くという。その妻は牝鹿とは限らない。「我が岡にさを鹿来鳴く初萩の花妻どひに来鳴くさを鹿」(万葉集 巻第八 太宰師大伴卿)と詠われたように、妻である萩の花(萩は別名、鹿鳴草ともいう)を妻問いて鳴くこともある。夕霧の帖では、牝鹿を恋い慕う牡鹿の声を耳にして、我とても劣らじと落葉宮に迫る夕霧の歌が、「里遠み小野の篠原わけて来て我も鹿こそ声も惜しまね」である。

夕霧の帖には、「女ばかり身をもてなすさまも所狭う、あはれなるべきものはなし。」(女ほど身の処し方の狭められた切ないものがあろうか。)というくだりがある。版画を見直してみれば、意気揚々と頭を挙げた牡鹿に比べて、牝鹿は面を伏せて心にのみ籠めているかのようである。鳴く牡鹿がいれば、鳴かぬとした牝鹿がいる。同床異夢の夜の闇は深いのか、それとも同じ夢を見たとて「ふたりぬるとも憂かるべし、月斜窓に入る暁寺の鐘」(閑吟集)なのだろうか。

母は奈良市内で生まれ育ち、かつて春日山から聞こえた鹿の声は、幾つになってもの哀しく心を揺さぶられたと言う。いつしか立秋も過ぎて、「奥山に紅葉踏みわけ鳴く鹿の声きく時ぞ秋はかなしき」(古今和歌集 秋歌上 読人しらず)の季節が近づいている。


蒲黄(ほおう)

2016-08-14 | 漢方の世界
大国主の命が因幡の白兎をお助けになる物語をはじめて読んだのは、子供の頃に買ってもらった絵本である。童謡の大黒さまにおいて「がまのほわたにくるまれば、うさぎはもとの白うさぎ」と唄われた通り、ほわたがうさぎの傷を治したのかとその頃は素直に納得し、次から次へと大国主の命やうさぎに対して阿漕な仕打ちをする、いけずな兄弟の神様達には大いに憤慨した。生薬名に「蒲黄」があると知ったのは、それから何十年も経てからである。
 生薬の「蒲黄」はガマ科のヒメガマなどの成熟花粉から得られ、止血薬に分類される。薬性は甘平、帰経は肝、心包経、効能は止血、化瘀、利尿である。各種の出血症、瘀血証による胸痛、腹痛、月経痛や、血淋(排尿痛、血尿を来す尿路感染症、結石や腫瘍などに相当する)などに用いられる。なお子宮収縮作用があり、妊婦には禁忌である。古事記に記載された「稲羽の素菟(しろうさぎ)」の原文を末尾に掲げる。

於是大穴牟遲神、敎告其菟、今急往此水門、以水洗汝身、即取其水門之蒲黄、敷散而、輾轉其上者、汝身如本膚必差。故、爲如敎、其身如本也。此稻羽之素菟者也。於今者謂菟神也。
ここに大穴牟遅の神、その菟に教へ告りたまひしく、「今急かにこの水門(みなと)に往き、水をもちて汝が身を洗ひて、すなわちその水門の蒲黄(かまのはな)を取りて、敷き散らして、その上に輾転(こいまろ)べば、汝が身本の膚の如、必らず差(い)えむ。」とのりたまひき。故、教への如せしに、其の身本の如くなりき。これ稲羽の素菟なり。今者(いま)に菟神と謂ふ。
(『岩波文庫 古事記』、倉野憲司校注、大国主神 稲羽の素菟、p48-49、1991)

大国主神、大穴牟遅神は、兎に教え給いました。
「今すみやかに河口に行き、真水で身を洗うがよい。
 それから蒲穂の花粉を取り敷き散らした上に寝転べば、
 汝の肌は必ず元通りに癒えるぞ。」
そして兎のからだはその通りに癒えることができました。
これが因幡のしろうさぎ、後に兎神と呼ばれました兎です。



龍田大社の風

2016-08-13 | 日記・エッセイ


風の神、龍田の風神として信仰を集める、奈良県生駒郡三郷町の龍田大社に参拝した。御祭神は、天地宇宙の「気」を御守護下さる、天御柱大神、国御柱大神の御二柱の神様である。JR三郷駅に降り立たった昼前、すでにアスファルトからの照り返しは容赦なく、いまだ処暑には遠い残暑である。何度も道端の木蔭で一服しながら、大社に続く参道の坂道をひたすらもくもくと歩いて行った。止め処もなく滴り落ちてくる汗を拭きつつ、見上げた夏空には雲一つ浮かんではいない。道の端には丈高く繁茂する夏草に混じって、すでに芒の穂が顔を出し始めている。炎上の夏には原色の花々が似合うが、すでに盛りは過ぎたのか、あちらこちらに名残の花弁が散っていた。


 
龍田大社の御神紋は八重の楓である。現在の竜田川は大和川水系の支流で、生駒郡斑鳩町で大和川に合流する。古来、歌枕として詠まれた紅葉の名所としての竜田川は、現在の竜田川か、龍田大社の南を流れる大和川本流なのかは明確でない。本年も大和未生流いけばな展が9月に開催される予定で、私も出瓶者の一人であるが、今回は楓を花材にした盛花の御指示を頂いた。古来より有名な龍田川(竜田川)の景色である。これを流派ならではの楓の生け方で臨まねばならず、総身が引き締まる思いで一杯である。このたびの参拝は楓を生けるにあたり、楓を慈しんでおられる御祭神の前に静かに頭を垂れて、恬惔虚無の無心になろうと思い立ったが故である。濃い樹々の緑が影を落とす境内に立つと、何処より来る風か、一陣の涼風が身体を吹き抜けて行った。



東洋医学的に、五行(木、火、土、金、水)の特性と、五臓(肝、心、脾、肺、腎)の生理機能は密接な関係を有する。「木」の特性は木が伸長する姿で象徴され、成長、上に伸びる、のびやかさなどの性質や作用を示す。「木」と関連ある臓が「肝」であり、木が枝葉を伸ばし成長する様に、「肝」は条達(伸ばす)を好み、撓める、抑制されることを嫌う。「肝」の働きとしては、気の運動と流通、脾胃の消化吸収、体内の血液貯蔵と血液量の調節、精神、情動機能などの調節が含まれるが、この内の疏泄機能(疏は疎通、通じる、泄は発散、排出の意味である)により、体内の気血が滞りなく流れて臓腑や器官の働きが正常に営まれる。さらにはいらいらと腹をたてる、憂鬱になるということもなく、精神をゆったりと保つことができるのである。また風について関して申せば、風、寒、暑、湿、燥、火の六気は本来、自然界の四季の気候変化であるが、異常気候や正気の減弱のために、六淫あるいは六邪と呼ばれる病因にもなる。風の邪(風邪)の侵襲が起こす病証が「外風」で、揺れ動いて病状が変化しやすく病巣が定まらず、あたかもあちこちに吹く風を連想させる「風」の症候を示す。風邪が起こす病気は特に春に多く、上半身などの陽位を侵襲し、寒、湿、燥、熱などの他邪と組んで人体に侵入することが多い。一方、外因ではなく身体の中で「風」が生まれた病証を「内風」と言い、特にさきの肝の機能失調と関連が深く、「内風」は肝風とも称するのである。