花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

鹿づくし

2018-08-26 | アート・文化

春日の擔(担)茶屋│大和名所圖會巻之一 添上郡・南都之部

「鹿千年化為蒼、又五百年化為白、又五百年化為玄。」(千年生きれば蒼(青)鹿、さらに五百年経れば白鹿に、それから五百年たてば玄(黒)鹿になる。)は、南朝梁の任昉撰とされる『述異記』巻上の記述である。鹿は仙獣として長寿富貴の象徴である。「鹿」と「禄」は同音(lu4)であり、沢山の様々な姿態の群鹿が描かれた百鹿図は受天百禄を意味する吉祥図である。
 奈良生まれで子供の頃から春日大社の鹿を見慣れていて、立派な角の雄鹿に追いかけられたり、芝生の糞を思い切り踏んだり、鹿煎餅をこっそり齧ってみた懐かしい思い出からは、私にとっては有難い霊獣というより憎めない鹿さん達である。


春日 御水茶屋 火打焼│赤膚焼

天保定爾 俾爾戩穀   
罄無不宜 受天百祿
降爾遐福、維日不足


天 爾(なんぢ)を保定し 爾をして戩穀(せんこく)あらしむ
罄(ことごと)く宜しからざる無きは 天の百祿を受くればなり
爾に遐福(かふく)を降せば 維(あに)日々に足らざらんや
(天がそなたを安んじ給い、そなたに福禄を授けられた。ことごとくが宜しいのは、天からの数多の幸を受けたからである。そなたに授けた大福の、その多いさは日々有り余るほど。)
(「詩経」小雅 鹿鳴之什・天保│石川忠久著:新釈漢文大系「詩経 中」, 明治書院)



再興感染症

2018-08-25 | 医学あれこれ
毎年10月頃、独立行政法人国立病院、南京都病院の御主催で医師向け結核研修会が開催される。8月22日の新聞には、正岡子規の新たな句が収められた歳旦帳が初公開されるという記事が掲載されていた。子規は肺結核、脊椎カリエス(結核性脊椎炎)を発症し三十四歳で夭折した。明治から昭和に至る時代、かつては国民病とまでいわれた結核に罹患し志半ばで斃れた作家、詩人や俳人、芸術家は数知れない。
 結核は空気(飛沫核)感染を起こす伝染病である。飛沫核は咳やくしゃみで口から飛び散った水滴(飛沫)から水分が蒸発した小粒子(直径<5μm、1μmは0.001mm)で、軽いために長時間空気中を浮遊する。吸入された飛沫核は末梢の気道内で沈着し、飛沫核に濃厚暴露されて結核菌感染が成立すると、その後2年以内に発病する人は約6~7%、細胞性免疫で封じ込められた菌を休眠状態で抱えながら発病を免れ天寿を全うされるのが90%、宿主の免疫力が低下した時に、結核菌が休眠状態から再び増殖(内因性再燃)して発病(二次型結核)に至るのが3~4%である。結核の既感染率は年齢が上がるにつれて上昇し、高齢者の多くは気が付かないうちに感染し保菌者となっていると考えられる。そして結核の年代死亡層は、かつての青年層になりかわり、高齢者が占めるようになっている。近年、多剤併用療法から成る標準化学療法が確立され、結核の診断、予防と治療の取り組みは、宿痾と恐れられた時代に比べ隔世の感がある。しかし年次推移で新登録患者数、罹患率は減少傾向にあるも結核撲滅にはなお道遠く、毎年、集団感染の事例報告がなされている。時代のグローバル化に伴う感染者の地球内移動、有効薬剤が効かない多剤耐性結核、免疫抑制宿主における内因性再燃などの課題を含め、結核は克服された過去の病気ではなく、「再興感染症」(発症が一時期は減少し克服できると考えられたが、再び流行する傾向が出ている感染症)と現在位置づけられている。

臥して見る秋海棠の木末かな

秋海棠に鋏をあてること勿れ
   
              明治34年 正岡子規


大正十三年木版画

華展と学会発表

2018-08-23 | 日記・エッセイ

雷公│大津絵・高橋松山

華道大和未生流本部主催の華展は年二回、大阪と奈良で開催される。本年九月初旬の華展は一年ぶりの出瓶予定である。春期の華展は、地域の学校検診や日耳鼻学会、日本東洋医学会の総会・学術講演会と時期が重なるために、毎年裏方も含めて参加を御辞退申し上げている。先日は御家元、副御家元の下、華務職の諸先生、理事や推進委員が参集し、華展前の最終会議と本番前の稽古が行われた。会で頂戴して持ち帰った花は残すことなく用いて、帰宅後一気呵成に様々な形に生けてみた。以前にも書いたが、限られた手元の花材を生けてみる工夫は大いに勉強になる。華展の本番前に家で挿す花は予行演習であり、最適の条件出しの為の予備実験ともいえる。

流派の華展に出瓶する生け花は個展の作品ではない。我意や我執が漂う花であってはならず、一枝一花、流儀の原則を踏まえたものでなければならない。その点壇上で、例え不備を目敏く追及されて集中砲火を浴びるとも、己一人が腹を括り自己の責任にて論説を展開する方が楽といえば楽なのかもしれない。しかし華展の出瓶も学会発表も、一堂に会した御方々の眼前に自分という札を全て晒すことには違いがない。その様な場所に身を置く機会は、知らぬうちに増上慢に陥った行路を正しく照らしてくれるだろう。雲上の雷公様でも時には太鼓を落とすのである、況してや。医師をやめるか花鋏を置く時までは、懈怠なきように心して。



女郎花(おみなえし)│大和未生流の稽古

2018-08-22 | アート・文化
女郎花そも茎ながら花ながら  與謝蕪村



女郎花(オミナエシ)は学名Patrinia scabiosaefolia Fisch.、オミナエシ科、オミナエシ属の多年草である。オミナエシを基原植物とする生薬は「敗醤」(はいしょう)で、性味は苦、辛、微寒、帰経は肺経、大腸経、肝経、効能は清熱解毒、破瘀排膿である。『金匱要略』には腸廱を治療する排膿解毒薬として「敗醤」を用いた薏苡附子敗醤散が挙げられている。腸廱は、急性虫垂炎、腹膜炎、ダグラス窩膿瘍などの腹腔内の種々の感染症、腹腔内膿瘍を指す。

「腸癰の病たる、其の身甲錯、腹皮急、之を按せば濡かに、腫状の如く、腹に積聚なく、身に熱なく、脈数なるは、此れ腹内に癰膿ありとなす。薏苡附子敗醤散之を主る。
薏苡仁附子敗醤散方 薏苡仁十分 附子二分 敗醤五分
右の三味を杵いて末となし、方寸匕を取り、水二升を以て、煎じて半ばを減じ、頓服す。小便まさに下るべし。」
(「金匱要略」、第十八瘡癰・腸癰・浸淫病、脉証治)

「なうその花な折り給ひそ。花乃色は蒸せる粟の如し。俗呼つて女郎とす。戯れに名を聞いてだに偕老を契ると云へり。ましてやこれは男山の名を得て咲ける女郎花の。多かる花に取り別きて。など情なく手折り給ふ。あら心なの旅人やな。」
(「女郎花」(ヲミナメシ))



「草の花は瞿麦。唐のはさらなり。日本(やまと)のも、いとめでたし。
女郎花。桔梗。牽牛子。刈萱。菊。壺菫。 龍胆は、枝ざしなどもむつかしけれど、異花どもの、みな霜枯れたるに、いと花やかなる色あひにてさし出でたる、いとをかし。」
(「枕草子」、第六十四段)

参考資料:
萩谷朴校注:新潮日本古典集成「枕草子 上」, 新潮社, 1977
清水孝之校注:新潮日本古典集成「與謝蕪村集」, 新潮社, 1979
廿四世宗家訂正著:「観世流大成版 女郎花」, 檜書店, 1998
何任著, 勝田正泰監訳:「金匱要略解説」, 東洋学術出版, 1988
三橋博監修:「原色牧野和漢薬薬草大圖鑑」, 北隆館, 1988
南京中医薬大学編著:「中薬大辞典 上」, 上海科学技術出版社, 2006




梶の葉をめぐりて│伝統的七夕

2018-08-17 | アート・文化
「梶の葉(かじのは)」はカジノキの葉で秋の季語である。太陰太陽暦による七夕、星祭の今宵は、牽牛星と織女星が一年に一度、天の川で出逢う。二星に諸芸が上達するように乞い祈り、短冊がわりの梶の葉に思いを込めて願い事を書こう。

  和漢朗詠集・秋 七夕(しつせき)
億得少年長乞巧 竹竿頭上願絲多    白居易
憶(おも)ひ得たり少年にして長く乞巧(きつかう)せしことを
竹竿(ちくかん)の頭上に願絲多し

七夕や秋を定むる世のはじめ      松尾芭蕉


七月七日 乞巧・星の座飾り│嘉門工藝

カジノキ(学名:Broussonetia papyrifera)は、クワ科コウゾ属の落葉高木、縮小名papyriferaは紙にするの意味である。ヒメコウゾ(学名:Broussonetia kazinoki Sieb.)もクワ科コウゾ属の落葉低木である。コウゾ(学名:B. kazinokixpapyrifera)はヒメコウゾとカジノキの種間交雑種と考えられ製紙原料として栽培される。漢字の「楮」は訓読みで「こうぞ」だが、「梶」、「構」、「楮」ともにカジノキの古名である「かじ」の漢字でもあるところが複雑である。『本草綱目』、木部三十六巻の「楮」の項目では「葉有瓣曰楮,無曰構。」とあり、葉の形状で楮と構を区別するものの種別としては「楮」に一括されている。「楮」の葉、「楮葉」の性味は甘,涼、無毒、効能は凉血止血、利尿、解毒で、吐血、衄血(じくけつ)、崩漏、水腫、疝气、痢疾、毒瘡などに有効とされる。


楮│「本草綱目」

「刻楮」、「三年刻楮」、「刻楮三年」の故事成語を生みだした話が、『列子』巻八、説符(道を説いて符節を合するの意)の章にある。片や三年の時を費やし、本物と見間違うばかりの一枚の楮の葉を玉で作り上げて宋国に召し抱えられた職人芸の超絶技巧である。これに対して悠久の天地自然は、造作なし、作為なし、其処彼処の樹木に数多の葉を繁らせる。造化の働きを成しとげるとも能書を垂れず、功績を自らのものとはしない。『韓非子』喩老第二十一(老子について喩えをなすの意)にも同様の「象(象牙)を以て楮葉を為れる」話があり、『老子』第六十四章、「以輔萬物之自然、而不敢為。」を踏まえて、「故曰、恃萬物之自然、而不敢為也。」(故に(老子)曰く、萬物の自然を恃みて、而して敢て為さざるなり、と。)と締め括られる。その意味は『列子』における「聖人は道化を恃んで、智巧を恃まず。」と同じく、萬物の本来のあり方に任せて自分からさしでたことはしない、との教えである。
 もし人間が、天地の力に頼らず森羅万象を意のままにし得ると自らを恃むならば、それは怖れを知らざる分外でしかない。しかし賢しらな計らいと指弾されるとも、政治経済、文化芸術、いや医療にしても、人間の営為は作為、企みなくして成り立たない。宋の工人は己のあらむ限りの技量を尽くし、全身全霊を捧げて自然へのオマージュ作品を為したのではないか。その結果、宋の國の録を食むかどうかは究極の目的ではあるまい。もとよりこれらは私の想像である。

「宋人有為其君以玉為楮葉者、三年而成。鋒殺莖柯、毫芒繁澤、亂之楮葉中而不可別也。此人遂以巧食宋國。子列子聞之、曰:「使天地之生物、三年而成一葉、則物之有葉者寡矣。故聖人恃道化而不恃智巧。」(「列子」説符)
(宋人に其の君の爲に玉を以て楮葉を爲る者有り、三年にして成る。鋒殺(ほうさい)・莖柯(けいか)・毫芒(ごうぼう)繁澤(はんたく)にして、之を楮葉中に亂すに、別(わかつ)つ可からず。此の人遂に巧を以て宋國に食む。子列子之を聞いて曰く、天地の生物をして、三年にして一葉を成さしめば、則ち物の葉有る者寡(すくな)し。故に聖人は道化(だうくわ)を恃んで、智巧を恃まず、と。)

生け花における盛花も作り過ぎれば精巧な箱庭と変わらない。「不気味の谷」現象が引き起こす基盤が生物らしさを感じるアニマシー知覚にあるならば、似せる造形とする対象が人間以外においても成立するだろう。自然に沿うかあるいは対峙するか、自然物をモチーフにする工芸においては写実ないし意匠化が深すぎても浅すぎても不作となる。優品を拝するたびに、携わる御方々は日夜、その至微至妙な加減を推し量ることに精魂を傾けておられるに違いないと何時も思う。


銀河月│月岡芳年「月百姿」 / The moon of the Milky Way

月をこそ ながめなれしか 星の世の 深きあはれを こよひ知りぬる

なにごとも かはりはてぬる 世の中に 契りたがはぬ 星合(ほしあひ)の空

思ふこと 書けどつきせぬ 梶の葉に けふにあひぬる ゆゑを知らばや
               建礼門院右京大夫

参考資料:
Stevenson J: Yoshitoshi’s one hundred aspects of the moon, Hotei Publishing, 2001
川口久雄, 志田信義校注:日本古典文学大系「和漢朗詠集 梁塵秘抄」, 岩波書店, 1974
糸賀きみ江校注:新潮日本古典集成「建礼門院右京大夫集」, 新潮社, 1979
今栄蔵校注:新潮日本古典集成「芭蕉句集」, 新潮社, 1982
葉蓓卿訳注:中華経典名著全本全注全訳叢書「列子」, 中華書局, 2011
小林信明著:新釈漢文大系22「列子」, 明治書院, 1967
竹内照夫著:新釈漢文大系11「韓非子 上」, 明治書院, 1977
蜂屋邦夫:ワイド版岩波文庫349「老子」, 岩波書店, 2012
沈連生主編:「本草綱目彩色図譜」, 華夏出版社, 1998
林弥栄, 古里和夫, 中村恒雄監修:「原色樹木大圖鑑」, 北隆館, 1985
三橋博監修:「原色牧野和漢薬薬草大圖鑑」, 北隆館, 1988
南京中医薬大学編著:「中薬大辞典 下」, 上海科学技術出版社, 2006

基準というもの

2018-08-11 | 日記・エッセイ


生け花において主要な役枝を組み合わせた後に、文字通り重なる枝葉のみならず、同じ方向に延びる枝葉(イメージが重複する)を落とさねば、目指す美しいかたちには至らない。生け花と医業は一見関係はなさそうに見えて、其の実必要とされる行動原理が結構重なる。医療業務は当機立断なくしては成り立たず、例えトリアージが必須な状況とは異なる平時であろうとも、絶えず何かにつけて取捨選択の決断が求められる。諸々に優先順位をつけて処理してゆく習いは職業を通じて否応なく培われた筈である。それでもこの一枚一枝一蕾をどうするかと何時も遅疑逡巡し、花のかたちを造った後になおも後ろ髪を引かれる心情が消せない。初めて花鋏を握ってから幾年月が過ぎただろう。いまだに不得要領なこの身の拙劣さは言うまでもない。それに加えて、生来、背後に残し置くものに果断に引導を渡せない優柔不断な性なのだろう。

かつて数寄者の御方々と美術探訪の旅を御一緒させて戴いた時、これは香合に、あれは茶籠の茶碗に、しかし高台がどうの等々の言葉を沢山伺った。お茶に使えるかという基準に合わせて、先々で出会う様々の異国の器は次から次へと不適格の印が押されていった。かくなる私も器を見れば、良い形だが挿した時のつり合いを考えると口の大きさに比し丈が短いなどと、華道をちびと齧った青二才らしく、今やバイアスがかかった眼で見ることから逃れられない。人が勝手に張り付けた“値札”が何ら普遍的な美的価値を保証するものでなく、一つの選に漏れて捨て置かれたものは一つの基準から外れただけである。思えばどの道を歩くにも、何かをよしとして手元に選び、どれかを不要と棄却してゆかねばならない。その行路を歩き続ける限り、其処で“正しい”とされるものの見方は何処までも追いかけてくる。