花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

謹賀新年│令和七年乙巳

2025-01-01 | 日記・エッセイ


   新正書懐  大沼枕山
無事逢春懶更加  無事 春に逢うて 懶 更に加わる
枕頭香迸小梅花  枕頭 香は迸(ほと)ばしる 小梅花
一年又是甘人後  一年 又是れ人後に甘んぜん
晏起追暄汲井華  晏起 暄(あたた)かきを追うて 井華を汲む
 日野龍夫注:江戸詩人選集「成島柳北 大沼枕山」, p233-234, 岩波書店, 2001

新年の益々の御多幸と御健勝を謹んでお祈り申し上げます。
何卒本年も宜しくお願い申し上げます。

令和六年甲辰歳末

2024-12-30 | 日記・エッセイ


石上布留野の小笹霜を経て ひと夜ばかりに残る年かな
     新古今和歌集・巻第六 冬   摂政太政大臣

本年賜りました御厚情に謹んで御礼申し上げます。
良いお年をお迎えください。

やはりさっぱりと

2024-12-01 | 日記・エッセイ


華道の文目も分かぬ初学の頃からお導き頂いた大和未生流の花は、『東洋の道と美』の言葉そのままに「さっぱり、あっさり、すっきり」である。<さっぱりと│引き算の美学(2018/9/05)>に記した様に、耳鼻咽喉科医として花の道においても先輩の母が折に触れて聞かせてくれたのは、初代御家元が「さっぱりと、さっぱりと」と絶えず仰いながら、女学生の作品後方から次々と御指導の鋏をお入れになった思い出である。その“さっぱりと”の花姿を一枝一葉一花、過不足なく厳格に定める事は甚だ容易ではない。謂わば限定されたダイナミックレンジに美の快適レベルを経営位置するのであり、単に間引けば侘しく減張を欠いた貧相な花になり、反対に蛇足に走れば執拗(しつこ)く冗漫な“人戯え(ひとそばえ)の花”になる。そして今年もはや師走、正月花の花材取り寄せの予約時期となった。

根拠なき自信

2024-11-23 | 日記・エッセイ


昨年度のNHK大河ドラマ《鎌倉殿の13人》、第9回のタイトルは「根拠なき自信」であった。根拠に基づかない自信とは、evidenceを欠いた、他人様の承認御無用の自己陶酔である。鵜の目鷹の目の槍衾が突き刺さる世間の只中で、萎んで縮みがちな己をいかに膨らませるか、どのように愉快に保ち世過ぎ見過ぎしてゆくか。やたら持ち重りする生身を終点まで運ぶ責務がある人生行路にて、「根拠なき自信」はひとつの必需品には違いない。

ところで「根拠ある自信」とは。検証されるべきは担保となる根拠の質である。韓非子の「守株待兎」、童謡「待ちぼうけ」(北原白秋作詞、山田耕筰作曲)で詠われた如く、兎が木の根っこ転んだのは単なる僥倖である。剣呑なのは、不如意に陥り持ち札が寂しいと、嘗て上手く運んだという妄執に囚われがちになることである。生滅流転の世相は立ち止まる者など一顧だにしない。常住ではない無常の現世で、待ちぼうけが通用する余地は寸分も残されていない。

宋人有耕田者。田中有株。兎走觸株、折頸而死。因釋其耒而守株、冀復得兎。兎不可復得、而身爲宋國笑。今欲以先王之政、治當世之民、皆守株之類也。
宋人に田を耕す者有り。 田中に株有り。兔走りて株に触れ、頚を折りて死す。 因りて其の耒を釈てて株を守り、復た兔を得むとを冀ふ。 兔は復た得可からずして、身は宋国の笑と為れり。今、先王の政を以て、当世の民を治むと欲するは、皆株を守る類なり。
(五蠹第四十九│「韓非子」, p826-829)

参考資料:
竹内照夫著:新釈漢文大系「韓非子 下」, 明治書院, 1976

涙の枕草子

2024-11-15 | 日記・エッセイ


<My Favorite Things(わたしのお気に入り)>は、ミュージカル映画、The Sound of Music(1965年)中の一曲である。歌いだしの‘Rindrops on roses and whiskers on kittens’から若い女性が推しの事物が続き、珠玉の小さな物語一つひとつが彼女の脳裏に鮮やかに蘇るのだろう。そして歌のラストは‘When I’m feeling sad, I simply remember favorite things. And then I don’t feel so sad’で締められる。
 一見これに似て、心が喚起され思ひ増した外界物象を挙げる段が殊に多い『枕草子』は、「ころは」、「とくゆかしきもの」、「過ぎにし恋しきもの」、「心地よげなるもの」から、「あぢきなきもの」、「うちとくまじきもの」等々まで、お気に入りでない並びもあり、これらの選別ははるかに独創的で余人をもって代え難い。
 されど『紫式部日記』に言わせれば、「艶になりぬる人は、いとすごうすずろなるも、もののあはれにすすみ、をかしきことも見すぐさむほどに、おのづから、さるまじく、あだなる様にもなるにはべるべし」(風流ぶる人は、もの寂しく面白くない折も感動的に振舞い、わずかな趣を見逃すまいとするうちに、おのずとそうあるべきでない浮ついた有様になるのだろう。)となり、取るに足らない審美眼を浅薄に展開してみせた風流遊戯と矮小化される。

外的事物と心機との関係を窺えば、遡る『万葉集』の相聞歌には、正述心緒(物に寄せずに直截に思いを述べる)、寄物陳思(物に寄せて思いを陳べる)、譬喩歌(思いを表に出さず隠喩的に詠む)などの表現形式がある。果たして『枕草子』に於て事物に託された思いは、「をかし」、「うれし」や「わろし」、「にくし」などの言葉を以て全てが語り尽くされているのだろうか。其処には、塵世に生きて心にのみ籠めて言わずもがなと決した、心の機微が深く秘められているのではないか。冒頭の‘When I’m feeling sad’のフレーズを振り返る時、其の性を知る善馭を得た如く自在無碍に駆けて、只管讃仰する御主に奉仕申し上げた久遠の物語が封じられていると思えてならない。
 最後に、「謂應せて何か有(言ひおほせて何かある)」(すべてを言い尽くせば後に何が残るのか)は、『去来抄』の中の松尾芭蕉の言である。生死無常の有様、どうしようもない人間の相をもらさず記す手法で貫かれた『源氏物語』は、謂うならば「言ひおほさずして何かある」(すべてを言い尽くさずして何が残るのか)の物語である。そして今やうは何事も「言ひおほす」の行動や信条が是とされる時代である。 

参考資料:
潁原退蔵校訂:「去来抄・三冊子・旅寝論」, 岩波書店, 1966
松尾聰, 永井和子校注・訳:「枕草子」, 小学館, 2017
阿部秋生, 秋山虔, 今井源衛, 鈴木日出男校注・訳:「源氏物語②」, 小学館, 2016
小谷野純一著:「紫式部日記」, 笠間書院, 2013

桂の黄葉

2024-11-09 | 日記・エッセイ

当院玄関横の黄葉(もみぢ)した桂の木、落葉は芳香を放つ。今宵は上弦の半月

黄葉する時になるらし 月人の桂の枝の色づく見れば        
   万葉集・巻第十 



清少納言と紫式部

2024-11-01 | 日記・エッセイ


清少納言と紫式部は宮仕えの時期が異なり、実際には面識がなかったというのが通説である。『紫式部日記』の清少納言に関する悪罵と冷笑に満ちた一文からは、一筋縄では行かない紫式部の人となりの一端が窺える。ともに誇り高く、御主を守り抜かんという心ばせの両者は、例え一堂に会しても到底相容れる相手ではなかったろう。謡曲<葵上>で、枕に立ち寄りちやうと出小袖を打つのは、瞋恚の炎に身を焦がした六条御息所である。お得意の言葉を刃に敵視する相手を苛むか、それとも扇ではっしと打ち据えるかの違いがあるとも、紫式部と六条御息所の心習ひは何処か似通った所がある。

「我が民族性の持つ一種の淡々たる明るさ、灰汁ぬけのした清楚な好みは、原始的なものながらに既に後世の「潔さ」を尚ぶ道徳の源を遺憾なく暗示してゐるとみられる。つまり毒々しくあくどいもの、しつこいことは初めから嫌ひな國民なので、いかなる意味でもさっぱり、あっさり、すつきりといふことが趣味に合ふのである。」は、長與善郎著『東洋の道と美』の一節である。虚無恬淡には甚だ程遠い我が身であるが、古典に初めて触れた年少から齢重ねた現在に至るまで、紫式部の様なタイプが一番苦手である理由が此処にある。

現在人気を博し放映中のNHK大河ドラマ「光る君へ」は、原典『源氏物語』の設定と歴史上の登場人物とを相互投影させた演出が光る、通説とは異なった独自の発想による創作ドラマである。勿論、主人公である紫式部最上の主題は揺るぎない。件の一文が誹謗中傷ではなく、確固たる理由に基づく正当な批判と印象づける為なのだろう、第41話では清少納言が藤壺への“殴り込み”をかける場面が創作されていた。もし『清少納言日記』があれば、果たして紫式部を如何様に物しただろう。否否、腹がふくるる思いがあるとも敢えて一切取り上げることはなかったのではないか。そして最後に、素人了見の戯言と御容赦頂きたい。先のシーンは清少納言sageの目標を見事に完遂したに違いない。なれど『枕草子』に表出する清少納言の稟質と颯然とした風姿には最もそぐわない振舞の創出であり、奸策に満ちた演出であった。

亢龍悔い有り

2024-10-12 | 日記・エッセイ


豊臣秀吉が、織田信長や徳川家康等、継嗣の若様育ちの武将と決定的に異なるのは、下積時代の生活環境である。碌な装備もないままに酷暑、極寒下の野営や夜駆けもあったろう。”ブラック企業“で長年にわたり心身を酷使した生活習慣が、生来蒲柳の質でなかろうと、後年、他者に先んじ腎虚を発症する要因となったことは想像に難くない。亢龍悔い有り。位人臣を極める頃に躰が容赦なく衰え潰える不安と恐怖。晩期の無慙な闇堕ちには、其の身から失われる性命への渇仰と、いまや躍りて淵に在るわかうどに向けた遺恨が、一筋の黯い底流として流れてはいなかったか。
南無阿弥陀仏。合掌。

男と女のこと│「源氏物語」と「鬼平犯科帳 本所・桜屋敷」

2024-09-21 | 日記・エッセイ


古今、セーフティーネットがなければ、堕ち行く先は奈落の底である。駿馬の骨やら卒都婆小町等々は、袖にされた野郎共や政敵がざまあ見ろと噂したであろう老残の風姿である。(尤も貶めたつもりが、描かれた彼女等は老驥櫪に伏すともの気概に満ちる。)それでも有力な後見がない桐壺更衣や生家没落後の定子皇后には、桐壺帝、一条天皇からの真摯な寵愛があった。光源氏が関係を結んだ女性陣を同居させた六条院はさしずめ高級介護施設である。「つれなき人の御心をば、何とか見たてまつりとがめん。そのほかの心もとなくさびしきこと、はた、なければ」(君の情けは薄いが、ほかに不安で心細いことは何もないから)(「源氏物語」三、初音)は、この時代の現実を見据えた紫式部の本音だろう。かばかりの御心にすがって年経るしかなかった女性陣の心中は果たして如何なるものであったか。

時代が下るが、大家池波正太郎著、鬼平犯科帳「本所・桜屋敷」は、ドラマや劇場版に繰り返し映像化された名作である。長谷川平蔵が盟友、岸井左馬之助と若かりし頃に通った道場の隣家、桜屋敷の純真無垢な娘、おふさが、時世に翻弄され悪意に晒された挙句、荒み切った姿で白洲に引き出されてくる。
 「女という生き物には、過去(むかし)もなく、さらに将来(ゆくすえ)もなく、ただ一つ、現在(いま)のわが身あるのみ-----ということを、おれたちは忘れていたようだな」(「鬼平犯科帳1」, 本所・桜屋敷)は、平蔵や左馬之助を忘れ去ったおふさを見送った後の平蔵の述懐である。真に気骨と力量がなければ、来し方を今に今を行く末に繋げる事は出来ない。後味の苦さとして残るのは、自暴自棄になり堕ちていった女の無力であり、そして二十数年間憧れただけに終わり、かつて身分の差を越えて女の窮地を救えなかった男の無力である。しづやしづのおだまき繰り返し、昔を今になすよしもがな。今年もまた独り佇み、万朶の桜を見上げる左馬之助の姿は傷ましく悲哀に満ちる。さりながらその後姿は、光芒と希望に満ち憧憬に彩られた自らの青春を懐かしみ、脳裏に蘇る残映に慰撫されているだけにも見える。 

参考資料:
阿部秋生, 秋山 虔, 今井 源衛, 鈴木日出男校注・訳:新編日本古典文学全集22「源氏物語」三, 小学館, 1996
池波正太郎著:文春文庫「鬼平犯科帳1」, 文藝春秋, 2016