上智と下愚は移り難いと言った時、孔子は子路のことを考えに入れていなかった。欠点だらけではあっても、子路を下愚とは孔子も考えない。孔子はこの剽悍な弟子の無類の美点を誰よりも高く買っている。それはこの男の純粋な没利害性のことだ。この種の美しさは、この国の人々の間に在っては余りにも稀なので、子路のこの傾向は、孔子以外の誰からも徳としては認められない。むしろ一種の不可解な愚かさとして映るに過ぎないのである。しかし、子路の勇も政治的才幹も、この珍しい愚かさに比べれば、ものの数でないことを、孔子だけは良く知っていた。
(弟子│「李陵・山月記」, p32)
仲由弁人、字子路。一字季路。少孔子九歳。有勇力才藝。以政事著名。為人果烈而剛直。性鄙而不達於變通。仕衛為大夫。遇蒯聵與其子輒爭國。子路遂死輒難。孔子痛之。曰、自吾有由、而惡言不入於耳。
仲由は弁人、字は子路。一の字は季路。孔子より少きこと九歳。勇力才藝有り。政事を以て名を著す。人と為り果烈にして剛直。性、鄙にして變通に達せず。衛に仕へて大夫と為る。蒯聵と其の子輒と國を爭ふに遇ふ。子路遂に輒の難に死す。孔子之を痛む。曰く、吾、由有りて自り惡言耳に入らず、と。
(七十二弟子解 第三十八│「孔子家語」, p455-456)
*蒯聵(かいがい):荘公、衛の第31代君主。
*輒(ちょう):出公、衛の第30代および第33代君主。蒯聵の子。
讀書の月 / 月岡芳年「月百姿」/ 57 Reading by the moon-----Zi Luo / Yoshitoshi’s one hundred aspects of the moon
-----両親が没した今、かつての藜藿(れいかい;アカザと豆の葉、転じて粗食)を食し、両親の為に米を背負い百里の道をゆかんと願っても、もはやこの身に叶うものではありません。疾駆する馬を隙間からちらと見る様に、父母の寿命は瞬きの間に尽きてしまいました。-----かかる子路の言上に師がおかけになった言葉は、「由成事親、可謂生事盡力、死事盡思者也。」(由や親に事(つか)ふること、生けるに事ふるには力を盡し、死せるに事ふるには思ひを盡す者と謂ふべきなり)(観思 第八│「孔子家語」, p106-107)であった。
『世説新語』には「子路亡、子曰、噫、天祝予。何休曰、祝者、斷也。天將亡夫子耳。」(傷逝第十七篇 劉義慶注│「世説新語」, p813-814)とあり、“祝”が命を断つを意味することが示され、非業の最期を遂げた愛弟子の訃報に接し、孔子が「天が私を亡ぼそうとしている」と慟哭した《祝予之歎》が記されている。
参考資料:
中島敦著:新潮文庫「李陵・山月記」, 新潮社, 1973
宇野精一著:新釈漢文大系53「孔子家語」, 明治書院, 1996
目加田誠著:新釈漢文大系78「世説新語 下」, 明治書院, 1978
金谷治訳注:岩波文庫「論語」, 岩波書店, 2012
Stevenson J:Yoshitoshi’s one hundred aspects of the moon, Hotei Publishing, 2001