おせいさんこと女流作家、田辺聖子女史が逝去なさった。芥川賞受賞の『感傷旅行』を始め、古典文学から現代風俗小説まで、幅広い領域にわたった数多くの著作が知られている。私は内なる蓄えが決定的に不足していた若い頃、仁恕溢れる御心の眼が光る御本の中で様々な人生を追体験させて頂き、人の心の機微とはかくなるものかと、世の人の数だけ異なった思いを携えた行路があることを学んだ。改めて書棚に並べた御本を紐解けば、ついに一度も御目にかかる機会がなかったのに、あれからあなた自身は何を経験したの、そして今は何を思い考えているのと、天の高みから優しく尋ねて下さる声が聞こえてくる気がする。
『花衣ぬぐやまつわる-----わが愛の杉田久女』は、近代の女流俳人、杉田久女の波乱万丈の生涯を描いた女流文学賞受賞作品である。克明に記された『杉田久女句集』出版に関する紆余曲折の経緯は、初めて拝読した時から私の心に重く澱の様に沈殿している。「わが愛の」とタイトルにあるように、田辺聖子女史は熱烈なサポーターとして杉田久女に深く共感をお寄せになり、そして透徹した眼と筆力を駆使しブレインとして一大論陣をお張りになっている。以て瞑すべし、彼の御方はいまや憂き世の此岸を解脱した処においでなのだろう。本書ほど心尽くしの香華はない。
本書で開陳される俳諧の師と弟子の有様は、表現型が異なるとも等しく熱く激しい。元来気虚体質の私などは、噴出するマグマに当てられへたりそうであった。今ふと軒下の幽かな涼風に揺れる釣り忍が脳裏を横切ったが、この風情の様な俳人のイメージを浮かべたならば、恐らく殆どが的はずれである。十七文字に磨き上げるべく絶え間なく余剰を截断する行動様式は、胡乱な遅疑逡巡とは敢然と袂を分かっている。その果断で峻烈な精神なくして斯界の道は究められぬものなのだろう。
昨年ようやく入手した昭和27年刊行の『杉田久女句集』は、片掌に載るほどの華奢で繊細な装丁の句集である。薄幸な最期から時を経て悲願の刊行が果たされる迄、実に六年の時を要している。
参考資料:
田辺聖子:「花衣ぬぐやまつわる わが愛の杉田久女」, 集英社, 1987
杉田久女:「杉田久女句集」, 角川書店, 1952