花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

新型コロナウイルス感染症におけるTCM│「新型冠状病毒肺炎診療方案」(試行第六版)

2020-02-24 | 医学あれこれ
新型コロナウイルスの名称が「2019-nCoV」から「SARS-CoV-2」(severe acute respiratory syndrome coronavirus 2)(国際ウイルス分類委員会(International Committee on Taxonomy of Viruses:ICTV発表))に変更され、新型コロナウイルス感染症の疾患名が「COVID-19」(coronavirus disease 2019)に決定した(WHO発表)。重篤な急性呼吸器感染の可能性を有するCOVID-19に関する世界規模の報告が続く中で、いまだ現時点で根本的な治療法は確立されていない。

「新型冠状病毒肺炎診療方案」(試行第六版、2020年2月19日発布)(novel coronavirus pneumonia diagnosis and treatment plan, provisional 6th edition)は、中国国家衛生健康委員会から出されているSARS-CoV-2関連肺炎に関する中西結合医療のガイドラインである。本稿では中国伝統医学(Traditional Chinese Medicine:TCM)における病期分類、治療に関する章に注目し編訳及び考察を行った。本文(中文)はWEB上で全文閲覧、DL可能である。 
 最新の試行第六版では従来の臨床治療期分類(初期:寒湿鬱肺、中期:疫毒閉肺、重症期:疫毒閉肺、恢復期:肺脾気虚)から「軽型、普通型、重型、危重型、恢復期」の5期、9病証に改変された。一連の診療方案に関する解説では、病因・病態に関する考察として「新型冠状病毒感染的肺炎当属‘寒湿(瘟)疫’、是感受寒湿疫毒而発病」、「従病位即邪气攻撃的臓腑来看,主要是」(試行第四版)、「本病属于中医疫病范疇、病因為感受疫戻之気、病位在肺、基本病機特点為“湿、熱、毒、瘀”」(試行第五版)の論述がある。

1.医学観察期
臨床表現1:乏力伴胃腸不適(消化管不調を伴う脱力感)
推薦中成薬:藿香生気胶嚢(カプセル)(丸・水・内服液)
臨床表現2:乏力伴発熱(発熱を伴う脱力感) 
推薦中成薬:金花清感顆粒、連花清瘟胶嚢(顆粒)、疏風解毒胶嚢(顆粒)

*関連方剤(方剤名、出典、組成、効能)
〇藿香生気散《和剤局方》(霍香、蘇葉、白芷、大腹皮、厚朴、半夏、陳皮、茯苓、甘草、白朮、生姜、大棗、桔梗):解表化湿、理気和中
*中成薬の主要配合生薬(薬品名、組成、効能):
〇金花清感顆粒(金銀花、浙貝母、黄芩、牛蒡子、青蒿等):疏風宣肺、清熱解毒
〇連花清瘟胶嚢(連翹、金銀花、炙麻黄、炒苦杏仁、石膏、板藍根、綿馬貫衆、魚腥草、広藿香、大黄、紅景天、薄荷、甘草):清瘟解毒、宣肺清熱
〇疏風解毒胶嚢(虎杖、連翹、板藍根、柴胡、敗醤草、馬鞭草、芦根、甘草):疏風平熱、解毒利咽
*中成薬配合生薬の分類:
◎解表薬:<発散風寒薬>白芷、生姜、麻黄;<発散風熱薬>牛蒡子、薄荷、柴胡
◎清熱薬:<清熱瀉下薬>石膏、芦根;<清熱燥湿薬>黄芩;<清熱解毒薬>金銀花、連翹、板藍根、貫衆、魚腥草、敗醤草;<清虚熱薬>青蒿
◎瀉下薬:<攻下薬>大黄
◎利水滲湿薬:<利水消腫薬>茯苓;<利水退黄薬>虎杖
◎芳香化湿薬:霍香、厚朴、
◎理気薬:大腹皮、陳皮、
◎化痰止咳平喘薬:<温化寒痰薬>半夏;<清化熱痰薬>桔梗、浙貝母;<止咳平喘薬>杏仁
◎補虚薬:<補気薬>白朮、紅景天、大棗、甘草


2.1臨床治療期(確信病例)
清肺排毒湯
活用範囲:适用于軽型、普通型、重型患者,危重型患者。
基礎方剤:麻黄、炙甘草、杏仁、生石膏(先煎)、桂枝、沢瀉、猪苓、白朮、茯苓、柴胡、黄芩、姜半夏、生、紫菀、冬花、射、細辛、山薬、枳実、陳皮、藿香。
(服用方法、生薬処方量および中成薬注射液の投与量(処方に際し加減が必須)は引用を省略。以下同文。)

*清肺排毒湯が含む方意をもつ関連方剤(方剤名、出典、組成、効能):
〇麻杏甘石湯《傷寒論》(麻黄、杏仁、石膏、甘草):辛涼宣泄、清肺平喘
〇射干麻黄湯《金匱要略》(射干、麻黄、生姜、五味子、細辛、紫苑、欵冬花、大棗、半夏)
〇小柴胡湯《傷寒論》(柴胡、半夏、人参、黄芩、大棗、生姜、甘草):和解少陽
〇五苓散《傷寒論》(沢瀉、茯苓、猪苓、白朮、桂枝):利水滲湿、通陽化気
*抽出成分を考慮した煎じ方法:有効成分が溶出困難な鉱物や毒性の強い薬草は初めから加えて長時間煎じる(先煎)。芳香性・揮発性のある薬草や大黄などの瀉下作用発揮を目的とする場合は、煎じ終わる前の時期を見計らって投入する(後下)。

2.2 軽型
(1)寒湿郁肺証
臨床表現:発熱、乏力、周身酸痛、咳嗽、喀痰、胸緊憋気、納呆、悪心、嘔吐、大便粘膩不爽。舌質淡胖歯痕或淡紅、苔白厚腐膩或白膩、脉濡或滑。
(発熱、脱力感、全身の筋肉痛、咳嗽、喀痰、胸の拘束・閉塞感、食欲不振、悪心、嘔吐、粘稠な便・残便感。淡白舌、胖大あるいは淡紅舌、厚い白色腐膩苔あるいは白膩苔、濡脈あるいは滑脈)
推薦処方:生麻黄、生石膏、杏仁、羌活、葶藶子、貫衆、地竜、徐長卿、藿香、佩蘭、蒼朮、雲苓(茯苓)、生白朮、焦三仙、厚朴、焦檳榔、煨草果、生姜。
(2)湿熱蘊肺証
臨床表現:低熱或不発熱、微悪寒、乏力、頭身困重、肌肉酸痛、干咳痰少、咽痛、口干不欲多飲、或伴有胸悶脘痞、無汗或汗出不暢、或見嘔悪納呆、便溏或大便粘滞不爽。舌淡紅、苔白厚膩或薄黄、脉滑数或濡。
(微熱あるいは発熱なし、軽度の悪寒、脱力感、全身が重だるい、筋肉痛、乾性咳嗽・痰は少量、咽頭痛、口腔・咽頭の乾燥感があるが水分をほしがらない、胸腹部が痞えて苦しい、無汗或いは汗がすっきりと出ない、悪心・嘔吐・食欲不振、軟便・残便感。淡紅舌、厚白膩苔あるいは薄黄苔、渇数脈あるいは濡脈。)
推薦処方:檳榔、草果、厚朴、知母、黄芩、柴胡、赤芍、連翹、青蒿 (後下)、蒼朮、大青叶、生甘草。

*関連方剤:
〇麻杏甘石湯《傷寒論》(麻黄、杏仁、石膏、甘草):辛涼宣泄、清肺平喘
〇達原飲《温疫論》(檳榔、厚朴、草果、知母、芍薬、黄芩、甘草):開達膜原、避穢化濁
*寒湿(cold-dampness):寒邪と湿邪が結びついた病態。六淫(six pathogenic factors)は発病原因の邪気となる「風・寒・暑・湿・燥・火」の六気の季節の異常変化であり、六邪(風邪、寒邪、暑邪、湿邪、燥邪、火邪)とも呼ばれる。また六淫はあらゆる外感病(affliction by exo-pathogen;外邪が体に侵入して起こる疾病)の病邪や季節・地域により異なる気候環境因子を含んだ概念であり、病因となる外界因子を網羅した総称でもある。
 寒湿は、六淫病邪の寒邪による外寒寒湿、および体内で生じる内生寒湿に分類される。湿邪は寒邪を伴う場合と熱邪を伴うもの(湿熱)がある。「寒湿郁肺証」に比し「湿熱蘊肺証」は湿多熱少の寒熱錯雑の病態を示している。ウイルス性気道感染症の初期症状では、悪寒、発熱などの表証とともに、肺気の宣発・粛降の失調と津液の運行失調が生じて咳嗽や喀痰などの呼吸器症状が出現する。


2.3 普通型
(1)湿毒鬱肺証
臨床表現:発熱、咳嗽痰少、或有黄痰、憋悶気促、腹脹、便秘不暢。舌質暗紅、舌体胖、苔黄膩或黄燥、脉滑数或弦滑。
(発熱、咳嗽・痰は少量あるいは黄色痰、胸の痞え・呼吸促迫、腹部膨満感、便秘傾向。暗紅舌、胖大舌、黄膩苔あるいは黄燥苔、渇数脈あるいは弦滑脈。)
推薦処方:生麻黄、苦杏仁、生石膏、生薏苡仁、茅蒼朮、広藿香、青蒿草、虎杖、馬鞭草、干芦根、葶藶子、化橘紅、生甘草。
(2)寒湿阻肺証
臨床表現:低熱、身熱不揚、或未熱、干咳、少痰、倦怠乏力、胸悶、脘痞、或嘔悪、便溏。舌質淡或淡紅、苔白或白膩、脉濡。
(微熱、熱感があるが体表には甚だしい熱を触れない、あるいは発熱なし、乾性咳嗽、痰は少量、倦怠感、胸腹部に膨満感があり痞える、悪心・嘔吐、軟便。淡白舌あるいは淡紅舌、白苔あるいは白膩苔、濡脈。)
推薦処方:蒼朮、陳皮、厚朴、藿香、草果、生麻黄、羌活、生姜、檳榔。

*関連方剤:
〇麻杏薏甘湯《金匱要略》(麻黄、杏仁、薏苡仁、甘草):発汗解表、祛風利湿
〇藿香生気散《和剤局方》(霍香、蘇葉、白芷、大腹皮、厚朴、半夏、陳皮、茯苓、甘草、白朮、生姜、大棗、桔梗):解表化湿、理気和中
*湿(dampness):湿邪は重濁粘滞(heaviness, turbidity and viscosity)の性質があり、寒邪と同様に陰邪で人体の陽気を損傷する。汚濁する性質により体内で長期にわたり蓄積、滞留すれば湿毒(toxic dampness)が生まれる。その病的過程で津液の消耗につながる化熱が生じることがあり、熱と湿の両者の性質を持った症候(湿熱、damp-heat)は水分代謝障害を伴う炎症性反応と考えられる。湿邪がからむ疾病は一般に経過が遷延し再発が多い。また消化管障害を招来しやすいことが特徴の一つである。脾気虚、脾陽虚があると運化機能失調(消化管の運動機能障害)と内湿の悪循環を生み、さらに同気相求(似たものは自然に寄り集まる)として、さらに外来の湿邪の侵襲を受け易くなるので外湿と内湿は混在することが多い。
 軽・普通型を通じて見られる、低熱あるいは無熱、身熱不揚(湿邪が熱邪を覆い隠す)、微悪寒あるいは悪寒なし、頭身困重、口干不欲多飲(湿邪が鬱阻して脾気が昇らず津液が行き渡らない)、悪心・嘔吐・腹脹、便溏などの臨床症状と膩苔、濡脈は、湿邪、湿毒が枢機となる病証を示唆している。
*芳香化湿薬:辛温温燥の性質を有し、化湿運脾(脾胃の運化を促進し湿濁を除く)作用を持つ。属する生薬には霍香、佩蘭、蒼朮、厚朴、砂仁、小豆蒄、草果があり、中医学的に寒湿疫毒の感受が病因・病態と考えられる本疾患の病態で多用されている。「醒脾」は芳香化湿薬を用いて無力となった脾気を高める治法である。


2.4 重型
(1)疫毒閉肺証
臨床表現:発熱面紅、咳嗽、痰黄粘少、或痰中帯血、喘憋気促、疲乏倦怠、口干苦粘、悪心不食、大便不暢、小便短赤。舌紅、苔黄膩、脉滑数。
(発熱・ 顔面紅潮、咳嗽、黄色・粘稠痰、血痰、喘鳴・呼吸促迫、疲労倦怠感、口渇・口が苦く粘る、悪心・食欲減退、大便不調、尿量が少なく尿色が濃い。紅舌、黄膩苔、渇数脈。)
推薦処方:生麻黄、杏仁、生石膏、甘草、藿香 (後下)、厚朴、蒼朮、草果、法半夏、茯苓、生大黄(後下)、生黄耆、葶藶子、赤芍。
(2)気営両燔証
臨床表現:大熱煩渇、喘憋気促、譫語神昏、視物錯瞀、或発斑疹、或吐血、衄血、或四肢抽搐。舌絳少苔或無苔、脉沈細数、或浮大而数。
(高熱で強い口渇、喘鳴・呼吸促迫、うわごと・意識混濁、視力障害、皮下出血斑、吐血、鼻出血、四肢痙攣。絳舌、少苔あるいは無苔、沈細数脈あるいは浮大かつ数脈。)
推薦処方:生石膏(先煎)、知母、生地、水牛角(先煎)、赤芍、玄参、連翹、丹皮、黄連、竹叶、葶藶子、生甘草。
推薦中成薬:喜炎平注射液、血必浄注射液、熱毒寧注射液、痰熱清注射液、醒脳静注射液。

*関連方剤:
〇麻杏甘石湯《金匱要略》(麻黄、杏仁、薏苡仁、甘草):発汗解表、祛風利湿
〇宣白承気湯《温病条辨》(生石膏、生大黄、杏仁、栝楼皮):宣肺通腑
〇清瘟解毒飲《疫疹一得》(生石膏、生地黄、犀角、黄連、山梔子、桔梗、黄芩、知母、赤芍、玄参、連翹、甘草、牡丹皮、鮮竹葉):清熱解毒、凉血瀉火
〇化斑湯《温病条辨》(石膏、知母、生甘草、玄参、犀角、白粳米):清気凉血
*中薬注射剤の主要成分(薬品名、組成、効能):
〇喜炎平注射液(穿心蓮成分):清熱解毒、止咳止痢
〇血必浄注射液(紅花、赤芍、川芎、丹参、当帰):化瘀解毒
〇熱毒寧注射液(青蒿、金銀花、山梔子):清熱疏風解毒
〇醒脳静注射液(麝香、欝金、冰片、山梔子):清熱解毒、凉血活血
*疫毒(疫気、癘気、疫癘、異気、戻気)(epidemic toxin/pathogen):一般的な六淫病邪とは性質が異なる外邪で強力な伝染性・流行性を有する特殊な邪気と定義される。『黄帝内経素問遺残篇』刺法論に「五疫之至、皆相染易、無問大小、病状相似。」(五疫の疾病が至ると皆が感染し大小問わず病状が相似る)、明代の呉又可著『温疫論』に「瘟疫之為病、非風、非寒、非暑、非湿、乃天地間別有一種異気所感。」(瘟疫の発病は、風・寒・燥・湿いずれでもない天地の間に在る一種の異気を感受する為である)の記述がある。疫毒が発生し感染性(infectivity)、病原性・毒性(virulence)を発揮する重要な条件として、六淫病邪(SARS-CoV-2関連肺炎で留意すべきは湿邪、そして寒邪)あるいは特殊な形で邪毒となった六淫病邪の関与を考えねばならない。
*気営両燔(きえいりょうはん):気分の熱邪が盛んで営分に波及し、気分証と営分証が同時に存在する病態。衛気営血弁証は主として熱性の外邪を感受して発症する温病の病期・病位の捉え方であり、衛分証(温熱の邪が初めて人体を侵襲する、病位が浅く病状は軽い初期)から、気分証(邪が表から裏に侵入する、病位が深く病状が重い中~極期)、営(血)分証(病位が最も深く病状が最も重篤、津液を灼傷し脱水状態を来す、意識障害や出血症状が出現する)の四証に分けられる。

2.5 危重型(内閉解脱証)
臨床困難:呼吸困難、動輒気喘或需要机械通気、伴神昏、煩燥、汗出肢冷、舌質紫暗、苔厚膩或燥、脉浮大無根。
(呼吸困難、通常呼吸不全で人工呼吸器の導入、随伴症状として意識障害、不穏、発汗、末梢性チアノーゼ。紫暗舌、厚膩苔あるいは燥苔、浮大脈で無根。)
推薦処方:人参、黒順片(附子) (先煎)、山茱萸、送服蘇合香丸或安宮牛黄丸。
推薦中成薬:血必浄注射液、熱毒寧注射液、痰熱清注射液、醒脳静注射液、参附注射液、生脉注射液、参麦注射液。

*関連方剤:
〇参附湯《正体類要》(人参、附子):益気回陽救脱
〇蘇合香丸《和剤局方》(白朮、青木香、犀角、香附子、朱砂、訶子、白檀香、安息香、沈香、麝香、丁香、蓽撥、竜脳、乳香、蘇合香油):芳香開竅、行気止痛
〇安宮牛黄丸《温病条弁》(牛黄、犀角、麝香、真珠、朱砂、雄黄、黄連、黄芩、山梔子、欝金、冰片):清熱解毒、鎮惊開竅
推薦処方に含まれる山茱萸は補益肝腎、収斂固渋の作用を有する固渋薬である。
*中薬注射剤の主要成分:
〇参附注射液(紅参、黒順片):回陽救逆、益気固脱
〇生脉注射液(紅参、麦門冬、五味子):益気養陰、復脈固脱
〇参麦注射液(紅参、麦門冬):益気固脱、養陰生津
重型と危重型は、重症呼吸困難、低酸素血症、ARDS、敗血症性ショックなどの重篤な症候を生じる時期で西洋医学との結合医療が不可欠である。中医学的には熱毒が心包に深陥して心竅を内閉した熱入心包が生じ、さらに津液を消耗して陽気が解脱の方向に進行した非常に危険な病態が「内閉外脱」である。


病毒感染或合并軽度細菌感染:喜炎平注射液、熱毒寧注射液、痰熱清注射液。
高熱伴意識障碍(高熱を伴う意識障害):醒脳静注射液。
全身炎症反応総合証或/和多臓器功能衰竭:血必浄注射液。
免疫抑制:参麦注射液。
休克(shock):参附注射液。
(本項の末尾に記されている重型、危重型の症例に対する中薬注射剤の推薦用法である。生理食塩液に混合して投与された中薬注射剤名(加減を要する投与量は省略)を掲示した。)

*全身性炎症反応症候群(systemic inflammatory response syndrome;SIRS):各種の侵襲により誘発される高サイトカイン血症に伴う全身性の急性炎症反応。多臓器障害(multiple organ dysfunction syndrome;MODS)に至る前段階の重篤な病態である。
*生理食塩液:生食、血漿と等張で塩化ナトリウムを0.9w/v%含有の食塩水


2.6 恢復期
(1)肺脾気虚証
臨床表現:気短、倦怠乏力、納差嘔悪、痞満、大便無力、便溏不爽。舌淡胖、苔白膩苔。
(息切れ、倦怠感・脱力感、食欲不振・悪心嘔吐、大腸の蠕動運動低下、胸脘部の痞え、軟便・残便感。淡白舌、胖大舌、白膩苔。)
推薦処方:法半夏、陳皮、党参、炙黄耆、炒白朮、茯苓、藿香、砂仁(後下)、甘草。
(2)気陰両虚証
臨床表現:乏力、气短、口干、口渇、心悸、汗多、納差、低熱或不熱、干咳少痰。舌干少津,脉細或虚无力。
(気力低下、息切れ、口内乾燥、口渇、動悸、多汗、食欲不振、微熱或いは発熱なし、乾性咳嗽・痰は少量。舌は乾燥・津液不足、細脉あるいは虚脉で無力。)
推薦処方:南北沙参、麦冬、西洋参、五味子、生石膏、淡竹叶、桑叶、芦根、丹参、生甘草。

*関連方剤:
〇香砂六君子湯《万病回春》(人参、白朮、茯苓、甘草、陳皮、半夏、香附子、縮砂):
〇沙参麦門冬湯《温病条辨》(沙参、玉竹、甘草、桑葉、扁豆、天花粉、麦門冬):清養肺胃、生津潤燥
〇竹葉石膏湯《傷寒論》(淡竹葉、石膏、甘草、粳米、麦門冬、半夏、人参):清熱生津、益気和胃
邪熱が消退した回復期は正虚で気血津液不足であり、また余邪や余熱は完全には除かれていない。呼吸器疾患の回復期には「肺脾気虚」がみられ、消化吸収機能(脾胃の機能)を向上させて障害を受けた肺機能の回復をはかる必要がある。体に潤いをもたらす体液(津液)は加齢とともに減少傾向を示す。発汗を伴う熱性疾患で消耗・乾燥が進行すると津液不足がおこり、気虚に陰虚を兼ねた「気陰両虚」の病態が起こる。「肺脾気虚」の推薦処方構成は補気薬の人参と黄耆を含む参耆剤である。「気陰両虚」における西洋人参は、補気養陰、清熱生津の作用を示し補気とともに熱を冷ます作用がある。











生世話物・魚屋宗五郎の時代

2020-02-17 | アート・文化


魚屋宗五郎(さかなやそうごろう)の妹、お蔦は旗本屋敷に側室として御奉公に上がっている。そのお蔦が有ろう事か御手討という悲報が届く。だが磯部家から頂くお手当で家中何不自由ない暮らしであった御恩を思い、嘆き怒り悲しむ家族をなだめる宗五郎である。そしてこの断腸の夜、御女中からの御依頼と酒樽が届く。宗五郎は酒乱の身を慎んで金毘羅様に断酒の願をかけていた。だがついに禁を破り杯を重ねて次第に陽気に出来上がってゆくのがなんとも切ない。尤も陽気に見える心中は尋常ではない。お蔦に何ら落ち度なしと、酒樽を届けてきた妹の朋輩から真相を聞いた宗五郎をもはや抑える術はない。怒髪天を衝くばかりの勢いで旗本屋敷に殴り込む。彼も同じ運命を辿るところ、道理を弁えた家老のとりなしで一命をとりとめる。宗五郎の酔いが醒めた後、殿様は己が短慮な行いを詫びて讒言の用人成敗を約束され、弔慰金と二人扶持を下される。宗五郎は女房ともども御高配に深謝して矛を収める。

一寸の虫にも五分の魂、なめたらいかんぜよ。あまつさえ殿様が俺等に詫びて頭を下げた、御詫び金や後々の補償金まで御配慮下さった。有り得ないからこそ、大向こうを唸らせるお芝居になる。観る者は宗五郎に肩入れし日頃の鬱憤をはらして大いに溜飲を下げる、のであったに違いない。さて現代の宗五郎はこの展開に納得出来るのか。これが謝って済む話か。銅臭に群がる凡俗の徒輩と見縊るな。ますますヒートアップで大団円には程遠い。どだい殿様が頭をさげた重みなど判ろうか。今の世に殿様のたぐいは絶滅し其処も彼処も遍くボーダーレスである。其の位に在らざれば其の政を謀らず。なんの議会制民主主義で選出された一国の長も位卑言高の言辞を浴びる時代である。此処は頭のスイッチを切り替えて江戸時代にワープです。しかと前置きせねば、生世話物(きぜわもの)の意味も情趣も伝わらない現代、日夜御精進の役者さん方は如何なる思いを胸に舞台にお立ちになっておられるのだろう。

近鉄電車「合格祈願吊り革」第3・4・5弾

2020-02-11 | 日記・エッセイ






近鉄電車の「幸せを運ぶ、きんてつの吊り革」の内、有難いことにまたもや「合格祈願吊り革」に遭遇する機会を得た。先日の第1弾と第2弾「宇賀多神社」に続いて、第3弾「東寺」、第4弾「道明寺天満宮」と第5弾「結城神社」のだるまさんである。第3弾は9日、大和未生流研究会に出席した奈良からの帰途であった。そして第4弾と第5弾は、京都府医師会館で開催された「新型コロナウイルス感染症対策」説明会に参加した本日、奇しくも行き帰りの往復の列車である。「合格祈願吊り革」は、最後まで諦めず、あと一歩の努力で合格を掴んでいただきたいとの願いが込められているそうである。振り返れば、当方の場合は5回とも医学や華道に関連した外出での遭遇であった。両方の道とも最後の最後まで怠ることなく日々努力して精進せよとの啓示に違いない。

山川異域 風月同天│「唐大和上東征伝」

2020-02-10 | アート・文化


山川異域風月同天寄諸佛子共結來縁│「唐大和上東征伝」

時に大和尚、揚州大明寺に在して衆の為に律を講す。榮叡、普照、大明寺に至りて大和上の足下に頂禮して具(つぶ)さに本意を述て曰く、佛法東流して日本國に至れり。其の法有りと雖も傳法に人無し。日本國に昔、聖徳太子と云ふ人有り。曰く、二百年の後、聖教日本に興らんと。今此の運に鍾(あた)る。願はくは大和尚東遊して化(け)を興したまへと。大和上答へて曰く、昔し聞くに南岳の思禪師、遷化之後、生を倭國の王子に託して仏法を興隆し、衆生を濟度すと。又聞く、日本國の長屋王、佛法を崇敬して千の袈裟を造て、此の佛の大徳、衆僧に棄施す。其の袈裟の縁上に四句を繍著(しゅうちゃく)して曰く、山川域を異にすれども、風月は天を同じうす。諸の佛子に寄せて、共に來縁を結ばん。此を以て思量するに、誠に是れ佛法興隆に有縁之国也。今我が同法の衆中に、誰か此の遠請に應して日本國に向ひ法を傳ふる者の有んや。時に衆黙然(もくねん)として一りも對ふる者の無し。良久して僧祥彦(しょうげん)と云ふもの有り。進て曰く、彼の國太た遠くして生命存し難く、滄海淼漫(びょうまん)として百に一りも至ること無し。「人身は得難く中國に生し難し。」進修未だ備はらず、道果未だ剋(きざ)さず。是の故に衆僧緘黙して對ふる無きのみ。大和上曰く、是れ法事の為也。何ぞ身命を惜しまん。諸人去(ゆ)かずんば、我れ卽ち去かんのみ。祥彦曰く、和上若し去かば、彦も亦随ひて去かん。

時大和尚在揚州大明寺爲衆講律榮叡普照至大明寺頂禮大和尚足下具述本意曰佛法東流至日本國雖有其法而無傳法人日本國昔有聖德太子曰二百年後聖教興於日本今鍾此運願大和尚東遊興化大和尚答曰昔聞南岳思禪師遷化之後託 生倭國王子興隆佛法濟度衆生又聞日本國長屋王崇敬佛法造千袈裟棄施此國大德衆僧其袈裟縁上繍著四句曰山川異域風月同天寄諸佛子共結來縁以此思量誠是佛法興隆有縁之國也今我同法衆中誰有應此遠請向日本國傳法者乎時衆黙然一無對者良久有僧祥彦進曰彼國太遠生命難存滄海淼漫百無一至人身難得中國難生進修未備道果未剋是故衆僧緘黙無對而已大和尚曰是爲法事也何惜身命諸人不去我卽去耳祥彦曰大和尚若去彦亦随去
(「宝暦十二年版本 唐大和上東征伝」, 19-20)

参考資料:
蔵中進編:和泉書院影印叢刊12「宝暦十二年版本 唐大和上東征伝」, 和泉書院, 1979
安藤更生著:人物叢書「鑑真」, 日本歴史学会, 1989

新型コロナウイルス(2019-nCoV)感染症の続報

2020-02-08 | 医学あれこれ
新型コロナウイルス(2019-nCoV)肺炎に関する続報で、Lancet誌のWebに公開され閲覧可能である。
Nanshan Chen.et al.: Epidemiological and clinical characteristics of 99 cases of 2019 novel coronavirus pneumonia in Wuhan, China: a descriptive study. Lancet, 2020

2019-nCoV感染症と診断された2020年1月1日から20日までの武漢市金銀潭医院(Wuhan Jinyintan Hospital)入院患者99例の検討である。病原体診断は既報と同様にreal-time RT-PCRで行われ、咽頭ぬぐい液は入院時に全例採取された。性別は男性67例、女性32例、平均年齢55.5±13.1歳、49例(49%)が華南海産物市場(Huanan seafood market)での暴露感染が示唆され、50例(51%)が慢性疾患の既往歴を有し、心血管・脳血管性疾患40例(40%)、内分泌疾患13例(13%)、消化管疾患11例(11%)等を認めた。症状は発熱82例(83%)、咳嗽81例(82%)、息切れ31例(31%)、筋肉痛11例(11%)、以下意識障害9%、頭痛8%、咽頭痛5%、鼻漏4%、胸痛2%、下痢2%、悪心・嘔吐1%である。
RT-PCR(reverse transcription-polymerase chain reaction):RNAを鋳型としてDNAを合成、逆転写反応により合成されたcDNA(complementary DNA)をPCR(核酸ポリメラーゼ連鎖反応)で十分な検出感度まで増幅する。微生物特有の遺伝子をターゲットにしてウイルスや細菌を検出する手法である。

胸部のCT画像所見は両側性肺病変75例(75%)、一側性病変25例(25%)、多発性の斑状およびすりガラス状陰影(multiple mottling and ground-glass opacity)14例(14%)、気胸1例(1%)を認め、17例(17%)が急性呼吸窮迫症候群(Acute Respiratory Distress Syndrome;ARDS)を合併した。1月25日時点で31例(31%)が退院、11例(11%)が短期間に増悪、多臓器不全に至り不幸な転帰をとった。重症肺炎、ARDSの早期死亡2例の臨床経過の提示があり、両者とも慢性の基礎疾患は認めず長年の喫煙習慣を有した。61歳男性例は呼吸不全、心不全、敗血症を合併、69歳男性例は低酸素血症が持続、呼吸不全、敗血症性ショックを合併し、症状発現から人工呼吸器導入までの日数は3日と10日、入院第11病日と第9病日に死亡した。これまでに報告された死亡率はSARS10%以上、MERS35%以上であったのに比し、本症例群における2019-nCoV感染症は11%であった。ウイルス性肺炎の死亡リスクを予測するMuLBSTAスコアでの評価が上記の重篤な2症例の予後と一致したことが指摘され、有効活用の為の検討が望まれると記されている。
MuLBSTA score: multilobular infiltration(多小葉性浸潤)、hypo-lymphocytosis(リンパ球減少)、bacterial coinfection(細菌の混合感染)、smoking history(喫煙歴)、hyper-tension(高血圧)、age(年齢)の6項目からなる。

入院時の一般血液検査では、白血球増多24例(24%)白血球減少9例(9%)、好中球増加38例(38%)リンパ球減少35例(35%)、血小板増加4例(4%)、血小板減少32例(32%)、ヘモグロビン低下50例(50%)を認めた。2019-nCoVのリンパ球への作用、特にTリンパ球への指向性、Tリンパ球障害が病態悪化の重要因子であること、サイトカインストームの惹起とARDS、敗血症ショック、多臓器不全に至る病態についての論述が続き、絶対的リンパ球減少がクリニックにおける新規感染例の一つの診断指標となりうることが指摘されている。
絶対的リンパ球減少症:成人では、成人では 1000/μl 以下、正常値は1000~4800/μl、リンパ球の約75%がT細胞、25%がB細胞である。

治療薬は、オセルタミビル(oseltamivir))、ガンシクロビル(ganciclovir)、ロピナビル(lopinavir)・リトナビル(ritonavir)などの抗ウイルス薬が投与された(投与期間3~14日、平均3日)。抗菌剤投与70例(70%)の内、25例(25%)が単独投与、45例(45%)が抗ウイルス剤との併用療法であり、抗真菌剤投与は15例(15%)、ステロイド剤投与19例(19%)、免疫グロブリン製剤投与27例(27%)であった。混合感染例で検出された細菌はAcinetbacter baumanni(近年多剤耐性アシネトバクターによる難治性感染症が世界的な問題となっている)、Klebsiella pneumoniae(肺炎桿菌)、真菌ではAspergillus flavusCandida glabrataCandida albicansである。
 著者等は考察末尾の結論で、2019-nCoV感染症は集団発生であったが、合併症を有する高齢者男性ほどより感染傾向が増加し、ARDSの様な重篤で致死的な呼吸器疾患を来す重症化リスクの可能性があると注意喚起を行っている。




初期万葉の自然観に思う

2020-02-06 | アート・文化


霊的なものへの意識は薄れ、人力の極みと神助が廓然と響き合う刹那を失った時代に我等は生きている。花を立てて依代とする“影向の花”、神仏への供花・献花は寺社関連の儀礼と化し、巷に流布するいけばなは神聖なものに誘われ感応して真向かう花ではなく、何処までも個我が纏わりついた“わたしの花”である。展開するのは自己の好尚や審美で截取した自然であり感慨と見識を投入した世界である。然すれば畢竟、その花も自然もおのれ語りのレトリックに過ぎない。

光エネルギーの刺激が物理的に網膜の受容体に生じる興奮は、たかが千年の時代を隔てた万葉人と現代人との間に何ほどの相違もないだろう。一方、大脳皮質の視覚野に至る視覚情報処理や視覚的認識は、時代の自然観・世界観に修飾された心性を基盤に結束するがゆえに、古今で遥かに異なる展開をみせるのが道理である。「野にあるように」の山野自然は千古不変であるが、いまや近代人の自然観が色濃く投影された自然に導かれて花を為すとも、其処に森羅万象との間に生まれた霊的・神秘的共感が残っているのだろうか。

山河自然を観照の対象として叙景詩に歌い「自然の姿態のすべてを描写し極めようとした」(万葉集と比較文学│「白川静著作集11 万葉集」, p537)謝霊運に比して、万葉的叙景歌では「万葉びとは、自然がその霊的な姿を一瞬とらえればよかったのである。」(同, p537)との論述をみる。「霊的な姿を一瞬とらえる」という切口に思い起こすのは、時代が下る『三冊子』の「物の見へたるひかり、いまだ心にきえざる中にいひとむべし。」(「去来抄・三冊子・旅寝」, p104)である。混沌の淵におのづから立ち現れて消えゆく瞬間を「見ゆ」・「見れど飽かぬ」と応じ、それがとどまりて歌や花になる。白川静博士が御提唱になった《初期万葉》の自然観は、不肖の一門下にかくあるべしとお導き下さった華道大和未生流の精神に繋がるものがある。

参考資料:
白川静著:「白川静著作集11 万葉集」, 平凡社, 2000
潁原退蔵校注:岩波文庫「去来抄・三冊子・旅寝論」, 岩波書店, 1966
片岡寧豊著:「万葉の花 四季の花々と歌に親しむ」, 青幻舎、2010


「白川静著作集 万葉集」を読む

2020-02-02 | アート・文化


東洋学、文字学の泰斗である白川静博士の御著『白川静著作集 万葉集』には、中国の『詩経』と日本の『万葉集』の比較文学論的研究である「初期万葉論」、「後期万葉論」と「万葉集と比較文学」が収められている。本書の冒頭には「いずれの文化民族も、その古代における原体験というべきものを、古代詞華集として結集し、そこに民族精神の回帰点を求めている。」(「白川静著作集 万葉集」p,7)との印象的な御言葉がある。『詩経』と『万葉集』の古代歌謡にみられる歴史的条件、自然観の類似性を学ばせて頂くにあたり、『万葉集』の作歌基盤と関連する『詩経』の「興」を踏まえておこう。

「興と言う語の本来的な意味は、その字形が示すように、同(酒器の形)を倒(さかさま)にして、酒を地に注ぐ意である。儀礼的な行為のとき、まず土主に酒を注いで漢鬯(かんちょう)の礼を行い、地霊を興起させ、地霊を鎮めてのち儀礼を行う。地霊は酒気に敏感に反応して、たちあらわれる。その自己発動的な、内部衝迫的な力を興という。文学の上では、[詩経]の発想法にいう興が、そのような力をよび起こす発想法、また発想法として用いる呪的言語、その修辞法である。」(p,436)



白川博士が成立基盤に基づいて分類された『万葉集』の世紀は、柿本人麻呂にはじまり山辺赤人に終わる白鳳の《初期万葉》と天平の《後期万葉》である。「持統期の人麻呂を頂点とする古代的な呪歌の伝統のきわめて濃密な時期と、聖武以降、旅人、憶良や家持などの生活体験を直接に歌う生活的な歌の時期とに大きく分つことができよう。」(p,182)との見解を示され、これらの呼称に関して「前後に両分するならば、前期・後期でもよいが、文学の創出の意味をも含めて、平分的な前後の称を避け、人麻呂を中心とする[万葉]の時期を、特に初期とよぶことにしたのである。」(p,505)との判断をお示しになっている。
 《初期万葉》では、人は自然と融即的な関係にあり霊的な世界と自然を感知し、それを言葉で歌うことが自然へ呼びかける交渉方法であり、歌う言葉自身も言霊として働く。「自然の風姿やその微妙な変化、あるいは鳥獣のふるまいでさえも、なんらかの神霊の示現」(p,546)とみる自然観の下、自然諷詠であるとも叙景歌ではなく、魂振り・魂鎮めの機能をもつ呪歌、鎮魂、予祝の歌、神霊への讃頌であるとの明言である。この呪的・霊的自然観こそが『詩経』の興的発想と共通する作歌基盤であるとの指摘に加え、「自然の景観を歌うことに主意があるのではなく、聖地の存在態を歌う」(p,116)万葉的叙景というものの特殊性について以下の指摘がある。なおこの《初期万葉》の自然観は、霊的共感を抱く神話的自然から人間的存在の投影としての自然への変遷を辿る《後期万葉》に失われる。 

「[詩経]の詩篇からは、叙景詩は生まれなかった。自然を観照の対象として歌うものは、六朝期の謝霊運まで下らなければならない。西洋ではほとんど近代にはいってからのことである。ひとりわが国では、古代歌謡の時代にすぐつづいて、むしろそれと重なり合いながら、叙景歌が生まれてくる。この不思議な事実は、比較文学としてきわめて注目すべき課題であるといわなければならない。
 人麻呂や赤人の作品のうちに、自然への深い観照をみ出そうとしたのは、アララギの人たちであった。それはたしかにすぐれた発見であったが、しかし人麻呂や赤人の叙景歌にみられるあの力強い律動感は、はたして作者の観照によってのみえられたものであろうか。それはおそらく、山川も神ながらなる神々の世界の余響が、古代王朝の成立期という精神の高まりのなかで、叙景と重なりあうことによって、はじめて可能であったのではないかと思う。それは現実の自然を通して、神々を讃頌する歌であった。その歌がらの大きさと、生命力にあふれた表現は、もともと神のものであったように思われる。」
(p,529)

参考文献:
白川静著:「白川静著作集11 万葉集」, 平凡社, 2000
白川静著:「白川静著作集9 詩経Ⅰ」, 平凡社, 2000
白川静著:「白川静著作集10 詩経Ⅱ」, 平凡社, 2000