昔のクルマには、今のクルマにない魅力があると言われますが、
その理由はどういうところにあるのでしょうか。
クルマの歴史の中で、どのあたりまでが昔のクルマで、
どのあたりからが最近のクルマなのでしょうか。
本当に今のクルマの魅力は昔のクルマよりも劣っているのでしょうか。
数十年前、昔のクルマが発売された時点で、
今の僕らが感じているのと同じ魅力がすでにあったのでしょうか。
数十年後、今のクルマが昔のクルマと呼ばれるようになったとき、
昔のクルマはよかったと言ってもらえるのでしょうか。
「昔のクルマは魅力があった」と、ひとくくりに賞賛されるのは、
昔のクルマの中で、名車だけが今も語り継がれているからであって、
本当は昔から駄作のようなクルマはたくさんあったのでしょうか。
クルマのメカニズムは確実に進歩し続けているはずですから、
値段的にほぼ同じクラスの新旧のクルマを比較して、
性能面、機能面が昔よりも衰えることはまず考えられません。
となると、昔のクルマと今のクルマの魅力の違いは、
結局はデザインだけの問題になるのでしょうか。
あるいはもっと他に昔より劣っている面があるのでしょうか。
僕は特に旧車マニアというわけではなく、
最近のクルマにも好きなものはたくさんありますが、
本当にしみじみとカッコよさに感動し、
間違いなく永遠の名車だと感じられる比率は、
どうしても昔のクルマに偏ってしまう気がします。
少なくとも、いつの時代につくられたものであろうが、
造り手(メーカー)の情熱やロマンが込められていないクルマに、
たいした魅力は感じられないはずです。
また、コストと使い勝手ばかりを優先したデザインに、
美しさを感じることはおそらくないはずです。
そう考えると、
「無駄」や「遊び心」をうまくデザインに取り入れ、
コストをかけて美しいボディラインづくりを優先したクルマが、
クルマ好きの目には魅力的に映る、ということなのでしょうか。
なかなかこれという結論に到達できず、たいへん申し訳ありませんが、
こうしたテーマは、これからもじっくり考えていきたいと思います。
本当は、ノスタルジックカーショーの残りの写真を紹介しようと思って、
その前置きのつもりで書き始めたのですが、
知らず知らずのうちにこんな長文になってしまったので(笑)、
写真はまた改めて掲載することにいたします。
その理由はどういうところにあるのでしょうか。
クルマの歴史の中で、どのあたりまでが昔のクルマで、
どのあたりからが最近のクルマなのでしょうか。
本当に今のクルマの魅力は昔のクルマよりも劣っているのでしょうか。
数十年前、昔のクルマが発売された時点で、
今の僕らが感じているのと同じ魅力がすでにあったのでしょうか。
数十年後、今のクルマが昔のクルマと呼ばれるようになったとき、
昔のクルマはよかったと言ってもらえるのでしょうか。
「昔のクルマは魅力があった」と、ひとくくりに賞賛されるのは、
昔のクルマの中で、名車だけが今も語り継がれているからであって、
本当は昔から駄作のようなクルマはたくさんあったのでしょうか。
クルマのメカニズムは確実に進歩し続けているはずですから、
値段的にほぼ同じクラスの新旧のクルマを比較して、
性能面、機能面が昔よりも衰えることはまず考えられません。
となると、昔のクルマと今のクルマの魅力の違いは、
結局はデザインだけの問題になるのでしょうか。
あるいはもっと他に昔より劣っている面があるのでしょうか。
僕は特に旧車マニアというわけではなく、
最近のクルマにも好きなものはたくさんありますが、
本当にしみじみとカッコよさに感動し、
間違いなく永遠の名車だと感じられる比率は、
どうしても昔のクルマに偏ってしまう気がします。
少なくとも、いつの時代につくられたものであろうが、
造り手(メーカー)の情熱やロマンが込められていないクルマに、
たいした魅力は感じられないはずです。
また、コストと使い勝手ばかりを優先したデザインに、
美しさを感じることはおそらくないはずです。
そう考えると、
「無駄」や「遊び心」をうまくデザインに取り入れ、
コストをかけて美しいボディラインづくりを優先したクルマが、
クルマ好きの目には魅力的に映る、ということなのでしょうか。
なかなかこれという結論に到達できず、たいへん申し訳ありませんが、
こうしたテーマは、これからもじっくり考えていきたいと思います。
本当は、ノスタルジックカーショーの残りの写真を紹介しようと思って、
その前置きのつもりで書き始めたのですが、
知らず知らずのうちにこんな長文になってしまったので(笑)、
写真はまた改めて掲載することにいたします。