風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

そのとき光の旅が始まった

2023年04月28日 | 「新エッセイ集2023」



星と星をつなぐように 小さな光をつないでいく そのとき 光の旅がはじまる 目を病んていたのだろう 朝はまだ闇の中を歩いていた 手さぐりで襖をあけると そこは祖母の家だった うすぼんやりと 記憶の光が射している 毛糸の玉がだんだん大きくなる 古いセーターが生まれかわって 新しい冬を越す 穴の空いた手袋 小さな手はさみしい さみしいときは 誰かの手をもとめる さみしいという言葉よりも早く 手はさみしさに届いている そして温もりをたしかめる ふたたび手を振って さよならをすると 手にさみしさだけが残る さみしさの手で ガラスと紙の引戸をあける 敷居の溝が好きだった 2本の木の線路を ビー玉をころがしながら 行ったり来たりして 光の旅をする 冷たい木の線路に 小さな耳を押しあてると 遠くの声が聞こえる 木を走りくる言葉は 風の言葉に似ていて 近づいたり遠ざかったり 耳の風景がさまよっている どこかで 音と音が連結する 音はこだまして 山と山を連結する すると山が近づいてくる 大きな背中のような 原生林を駆けくだり 耳の音は風になって 日なたの匂いを運んでくる 夜は夢の橋をわたる 貨物列車の長い鼓動 誰かがこっそり 山を運んでいるみたい 夢のつづきも虹色の ビー玉を転がしている ガラスの風景はすばやく変わり 闇の速度に追いつけないまま 当てのない光の旅が続く 冷たくて丸い ビー玉の小さな光を 追いかけたり追いぬいたり やがてガラスの遊びに飽きたら 山を越える決心をする 発車のベルが鳴って 初めてその時を知る 始まりの時ではなく 終わりの時でもなく 時と時が連結する ガラスが鉄と連結する 今日と明日が連結する 鉄のひびき鉄の匂い 単線の古い線路が 新しい線路と連結する 古い音と新しい音が連結する ガラス玉が響きあうように 誰かが耳をノックする ガラスのドアが回転する 光がとび出して 新しい旅がはじまる 無人駅になった祖母の駅を ビー玉の列車は あっという間 光になって通過する








ふたたび春の匂いがしてくる

2023年03月09日 | 「新エッセイ集2023」

 

春はかすみに包まれる かすみを吸ったり吐いたり 見えるものや見えないものや 夢の続きのように 現れたり消えたりする 風はゆっくり温められて うっすらと彩りもあり やわらかいベールとなって あまい匂いに包もうとする 通りすがりのきまぐれに 記憶の淀みから じわじわと滲み出してくる 曖昧に覚えのある匂い いままた何処かで 花のようなものが咲いているのか 子どもの頃のぼくは それがまだ春浅い川から 立ちのぼってくる水の匂い だと思っていた すこし暖かくなって 水辺が恋しくなる頃 大きな岩の上から 巻き癖のついた釣り糸をたれ 岩から顔だけ突き出して 水面のウキを睨みつづける はっきり川底が見えるまで 水は澄みきっていて 魚の姿もみえるが ずりと動く気配もなく 餌には寄ってこない まだ水の季節はひっそりとして ひんやりとした水の冷気と かすかに甘い匂いが 水面から顔を濡らしてくる それが水の匂いだった ぼくの小さな世界には まだ花というものはなくて だからその匂いの元が 花であるとは思わなかった その季節だけ その季節の初めにだけ 水から立ち上ってくるもの あるいは風の匂いかもしれない と思っていたもの 周りのあらゆるものが かすみに包まれていて すべてが漠然と春の匂いだった ぼうっと立ちつくす日の かすみの風景の中に 五軒ほどの集落が浮かぶ あちこちで清水が湧き出し 家や生け垣の間に 道や草むらの間に 細い水脈となり 流れはそのまま 川にそそいでいた 重い引き戸を開けると いとこの家があった 梶山先生の家があり 同級生のリツ子の家もあった 国語の時間 リツ子はまっ先に手を上げる 彼女の宿題は 字引の文章をそのまま 読み上げているようで 聞きなれない言葉ばかり 春霞のかすみとは 空気中の細かい粒子のせいで 遠くがはっきり見えないこと 細かい粒子ってなんだ 言葉だけが耳から入り 意味はかすみのままで 宿題もしないぼくは 大きな岩の上で いとことふたり 黙って釣りをする 彼は釣り以外には興味がないので ぼくらは会話をすることもなく ぼんやり水面を眺めながら ぼくはぼくでひとり かすみに浸っている まわりに漂うのは甘い香り エツ子はお神楽の姫に似ている 白いお面のままで くねくねと舞いつづける かすみのせいで遠くは見えない あまり家から出てこない彼女は 釣りばかりしている男の子など 軽蔑しているにちがいなく 思えば思うほど彼女は かすみの中で離れていく そしてそのまま数年後 集落の近くにダムができ 五軒ほどの家は ぜんぶ移転させられ 集落は川の底に沈められてしまい なにもかもすべて無くなって 水は淀んで平べったくなって あの春の匂いは 花の香りだったと 沈丁花という花のことを知ったのは それからずっと後のことで 川の匂いだと思い込んでいたものは 沈丁花の花の匂いだったのだ その花はたぶん リツ子の家の庭に咲いていたのだろう その沈丁花も沈んだ 釣り場だった大きな岩も 大きな頭をした魚も沈んた 水草も清流も沈んた なにもかも水の底に沈んた 春霞のかすみとは 空気中の細かい粒子のせいで 遠くがはっきり見えないこと そうかそうだったのか そして春のかすみの中から 春の匂いだけが かすみのように残った

 

自作詩『メダカ』

 

 

 


生きるために骨まで愛する

2023年02月21日 | 「新エッセイ集2023」

 

近くのマンションの 集会所の前に ときどき無人販売の 簡易な店が出る それは店というほどではなく ただ季節の野菜を並べただけの どれも大概は百円均一で 気に入った野菜があれば手にとって 傍らに何気なく置かれた 小さな貯金箱のようなものに 百円玉を入れていく それだけのことであるが マンションの住民の誰かが 近くに農園を持っていて そこで収穫したものを 適当な時期に提供する そんな感じだから 出店は有ったり無かったり 大根と白菜だけだったり 小芋とじゃが芋だけだったり 売れ残りの人参だけの時も われにとっては ウオーキング途中にある ささやかで貧弱な 道の駅みたいなもんで 黄色い幟が立っていれば 必ず立ち寄ってみるのだが 本日は好物のなたね菜と 珍しい大葉たか菜を選んで 百円硬貨2枚を貯金箱にイン 無料のレジ袋に収めたら 買い物帰りの最終コース クールダウンの後は さて今日の料理 初心者コースのわれは スマホのレシピが 頼りのツナ なたね菜は辛子和えで 大葉たか菜は厚揚げと煮て どちらもまあまあ仕上がって 春一番の風の匂いも 懐かしや早春の味覚 そんなこんなの次第であるが 晴れのち曇り なお気がかりな春の嵐 このところプロの相方が 台所から殆どリタイア なので食べるため 生きるため それと食の欲のため 料理のイロハに われは食指をのばし あれやこれやと戸惑いつつも 食い意地のはった日々を 飢えと欲とを満たすため 朝は島原麦みそ溶かし カットわかめや絹豆腐 あるいは大根に白ネギやら お昼はプロもアマもなく 各自勝手の腹まかせ 食パンありメロンパンあり ウドンありラーメンあり どん兵衛ありUHOもあり 食べようが食べまいが 冬の光は低空飛行 豊穣の太陽は急転直下 飢えたる三日月にバトンタッチ 夕闇にしずむ北側のキッチン 無音無灯は相方のダウン はたまたピンチ アマ料理人の出番となり ふたたび片手にスマホ持ち 片手に塩やら醤油やら 大サジ小サジ何杯か いい塩梅のサジ加減 酸っぱさ甘さもいい加減 サジから零れた甘さや苦さ ちょっぴり舐めても 飢餓の髄まで計りかね 生きてくことは遥かなことか われは流浪の餓鬼なりや 朝は食ったし 昼も食ったり ここはトコトン 夜の底まで食ってやる 大羽イワシの頭と腸は 生活ごみへポイ捨てし 焼いたり煮たりほぐしたり さいごは骨まで愛して食べる

 

自作詩「しおざい」

 

 

 

 

 


夢の中の道をあるいている

2023年02月16日 | 「新エッセイ集2023」



なぜか分からないが 夢の中だけにある いつもの道がある しばしば夢の中では その道を歩いている 市場があり商店があり 人も歩いている なぜかパン屋が数軒あり 好みのパンがないか さがしたりするが見つからない 古い家があり 細い路地があり よく出てくる駅がある 見覚えのある道だが その先をたどっても わが家に帰る道がわからない 探しても迷うばかりで そのうちにどんどん 寂しい山奥に入っていく 切り立った崖があり 川が流れている 渡ろうとすると水かさが増して 必死で泳ぐときもあるし 魚を追いかけるときもある 遊んでいるときもあるし その場所から脱出しようと もがいている時もある あまり脈略はない しょせん夢だから 飛ぶことも泳ぐことも 自在なはずだが ただ歩き続ける道があり おなじみの夢の風景があり 夢の中なのに 思いのままに 飛ぶことも泳ぐことも 夢まかせ夢のままで 目覚めたあとは すべて夢の中に そのまま置き去りで あの夢の中の道を 歩いていたのは誰なのか 歩いたり泳いだり 攀じ登ったり駆け降りたり 探したり迷ったりしていた 夢の中だけにいる自分は いま夢から抜け出して 夢を回顧している この自分とは違うのか 夢の中の彼はたいがい若くて 夢の中に現れる知人らも みんな若い姿のままで さらには とっくに死んでるはずの 親や友人が元気でいたり そんな夢の中の自分は 一体全体いつの 何処の誰なのか 夢の中の自分と 現実の日常の自分 夢の中でも夢の外でも ふたりは出会うことはないから 確かめることも出来ない 


『漂って夢の淵へ』



 


淡きのぞみ儚きこころ

2023年01月23日 | 「新エッセイ集2023」


いつものウォーキングの途上 突然浮かんできた 古いうたの歌詞 いまは黙して行かん その続きが出てこない 小林旭だったか 淡く歌っていたのは 夢はむなしく消えて 今日も闇をさすらう ちがったかな 淡きのぞみ儚きこころ 切れぎれに誰かの 歌声が聞こえてくる 仰げばずっと青空 きょうも太平洋側は晴れ 北の国は厳しく寒いらしい 窓は夜露に濡れて いや 結露に濡れていた 冬の夜明けは なかなか明けきらず だらだらとつながる 夢を振り払うように ようやく抜け出すが すこし体は重くなって 明るさの方へ 新しい方へと 踏みだそうとすると 引きずっているもの 夢のつづきが 電車も学校も 座る席が見つからない 帰り道も探せない そんな夢の おぼろな道を辿りながら いつもの道をウォーキング 万歩計は持たない 歩くところは ほぼ決まっている いつもの道だから 距離も時間も 計るには及ばない 刻み続けるのは ただ妄想の歩幅 富も名誉も恋も 遠きあこがれの日の 歌もまた夢のようで 繋がったり切れたりの 記憶の中を行き交い いまは黙して歩かん 歩数ではない 脚のつかれ息のみだれで その日の体調をはかる まばゆい陽ざしに 目を開かれることもある しばれそうな風に 背中を押され 駆け出すこともある ただ黙して歩かん いずこへか何処までか いずこへでもなく 何処まででもなく 淡きのぞみ儚きこころ いまは黙して行かん ゆうべの夢と 古き歌のはざまを ただ歩き続けている