風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

風の中をあるく

2016年06月24日 | 「新詩集2016」


  風の中をあるく

     (『山頭火版画句集』秋山 巌)

この道しかない
「けふもいちにち風をあるいてきた」
ひとは揺れている雑草の
ふるつくふうふうだった

音は声となり
形は姿となり
匂いは香りとなり
色は光となるように

風景は風光とならなければならない
と山頭火は日記に書いた
風を追って
「風の明暗をたどる」

明と暗を
光と影を
版画家はいちまいの板に探り続ける
「何を求める風の中ゆく」

風の姿がなかなか見えない
化けものを観ろ
化けものを出せ
志功の言葉が化けものだった     (志功=棟方志功)

「さて、どちらに行かう風がふく」
風の中をゆく人の
風のことばを板にのこす
「この旅、果もない旅のつくつくぼうし」

とめどなく無骨に
風のことばを刻んでゆく
「べうべううちよせて我をうつ」
ことばは風に似ていた

         (「 」内は山頭火の句から引用)


*

  風のうた

     (『犬のおまわりさん』佐藤義美)

夕方の6時に
ミュージックサイレンが鳴る
愛らしくて淋しい
いぬのおまわりさん

カラスなぜ鳴くのではなく
赤トンボでもない
ゆうやけこやけでもなく
家路でもなかった

だからときどき
そのひとは迷子になった
古い山の道をだれも知らない
名前を聞いてもわからない

おまわりさんも知らなかった
逗子の海を愛した詩人を
帆とともに海の風になってしまった
60歳のヨットマン

どんなに滑走したとても
風よりのろいMISS YOSHIMI号
風のうたはピープー
カモメのうたはギイヨギイヨ

風はただ歌うだけ
海はひろい山はふかい
きょうも迷子が泣いている
犬のおまわりさんも泣いている

*

  風のおと

     (『荒城の月』滝 廉太郎)

風の音がした
ふり向くと誰もいない
古い家を出ていくひとの
いつかの靴音だったかもしれない

風に耳をすまし
音を探すひとかげがよぎる
23年の短い生涯の
3年だけこのまちに彼はいた

耳のふちを流れる
細い水路のせせらぎ
敷石を踏む下駄のひびき
すべてが風の音階となった

彼がきいた音がある
彼がつくった音がある
いまも消えない
うつくしい音がある

15歳で上京
東京音楽学校を首席で卒業
ドイツに留学したが病んで帰国
シューちゃんと呼ばれた日本のシューベルト

ラインの風が流れる
隅田川の春をうたった
新しい風の音をみつけて
みじかい季節を光で満たした

お母さん泣かないで下さい
ぼくには自分の寿命がよくわかる
ぼくの曲が歌われるかぎり
ぼくは生きているのですから

ホームに汽車が着くと
彼が作ったうたが流れる
ふるさとの風のおとを耳に残して
ひとはまた風の旅を始める





雨が降っている

2016年06月17日 | 「新詩集2016」


  天気予報

きょうは
新しい空に着がえた
とてもいい日になるだろう

雨上がりの風が
雲の影を明るくしている
行ったり帰ったり
道の向こうの
かすんだ記憶が
めくれている

夕焼けをみて
祖父は鎌を砥いだ
祖父の祖父は
刀で薪割りをしていたという

もはや5%の殺意もなく
父の遺品の剃刀で
ぼくは紙細工に熱中する

雨の予報は
30%だったのに
雲の形をうまく切り取れなくて
大切な空を濡らしてしまった

*

  雨の子ども

雨が降っている
雨が降ると私はいそがしい
家の中が子どもでいっぱいになる
空から降ってくるように
子どもがどこからか現れる
つぎからつぎと
家のすきまから入ってくる
いつのまにか子どもだらけになって
私のひざや腕の上やら
肩から首をつたって頭の上まで
そしてついには
私のまゆ毛にまでしがみついている
ああ助けてくれ
私はもう子どもは嫌いだ
もはや傘をさすこともできない

やがて雨があがると
子どもたちはいっせいにいなくなる
私はひとりぼっちになって
ただ青空に向かって
傘をひらいている

*

  あまだれ

あまだれが落ちるのを
じっと見ている
そんな日があった
そんな子どもだった

樋の下でふくらんで
まっすぐ地面に落ちてくる
あまだれが
1ぴき死んだ
あまだれが2ひき死んだ
あまだれがいっぱい死んだ

小さな涙のよう
息をとめて
落ちる瞬間が美しい
さよならをする
合図のようだった

おじいさんもさいなら
おばあさんもさいなら
雨あがりのおじいさん
どしゃ降りのおばあさん
茶がゆに卵やき
ちりめんじゃこに茄子の古漬け
うすぐらい土間の
足ぶみの石臼
みんな帰っていった

おじさんもさいなら
おばさんもさいなら
誰もみんな
かんたんな合図だけで
小さく光って小さく消えた
あまだれのさよなら

*

  雨がふり続いている

もう止まないかもしれない
そんな雨が降りつづいている
街も道路も車も人も
みんな水浸しになっている
ほんとに誰かが
大きなバケツの水をぶちまけたのだろうか
梅雨の終わりの最後には
雨の神さまがバケツを空っぽにして騒ぐんや
そう言ってた祖母はいまや雨よりも高いところにいて
ぶちまけた水で溺れそうになった父も
すでに雨の向こうへ行ってしまった

裏には山があり前には川がある
年老いた母はひとりぼっちで泣いているだろう
家財道具を2度も川にさらわれた
雨戸が流されてゆくのを呆然と見ていた父が
海釣りの竿が浮いているのを見つけて
慌ててどろ水のなかに飛び込んだ
がらんどうの家の中に残ったのは
壊れた冷蔵庫と釣竿だけ
あれから父は
黒鯛をなんびき釣っただろう

魚になって生きのびる
雨戸を閉じて母は川の音を聞いている
山の音を聞いている
誰も帰ってこないと嘆いているだろう
電話の呼び出し音が鳴っている
痛い痛いと腰を曲げたまま立ちあがる
急に起きたので貧血でぼんやりしているだろう
黒い受話器まであと数歩……
いやいやちがう
母もとっくに雨の向こうだったんだ
電話は鳴りつづけている
雨もふり続いている




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虫として生きる方法

2016年06月09日 | 「新詩集2016」


  てんとう虫

背中に負った
ななつの星が重すぎて
飛翔しても
飛翔しても落ちる
てんとう虫の
小さな宇宙

広くて大きなものの中で
あまりにも小さく生きている
てんとう虫の恍惚と不安

だから
落ちても落ちても飛翔する
宇宙の外へ
飛びだしてゆく

*

  虫の季節

草の匂いがした
土の匂いがした
水の匂いがした
山は崩落し川は氾濫した
うつむいて日陰ばかり歩いていたら
虫になってしまった

鳴くこともできず
飛ぶこともできず
交尾の仕方もわからず
それでも弱い人間なので
虫になれた

虫の一生は
ひと夏よりも短い
ひたすら太陽のしずくを吸った
いのちの味は甘美だった
風に翅を奪われると
虫たちは
ついと死んだ

生き残ったのは
虫になった人間ばかりだ
なつかしい日陰の匂いがした
やっと我にかえり
必死で脱皮しようともがいた

*

  ディスタンス

虫は
しゃくとり虫は
空へと伸びる木の高さを知りたい
木の動かないことを探りたい
遥かなものを
引きよせ引き離ししながら
木になろうとする

木の生長よりも早く
葉脈の先にたどり着いたあとに
なお宙空に伸びようとして
虫は
自らを測り損ねて
そのまま落ちてしまった

虫は自問する
私は私を測り終えたのか
私の労役は
一本の木として報われたのか
しゃくとり虫は再び
もとの木に戻り
もとの虫に戻った

*

  蜥蜴(とかげ)

人間になったときに
長いしっぽは捨てたはずだったが
ゆうべまた
しっぽが生えてきたので
もういちど蜥蜴になろうと決心した

体が楽になったのは
まっすぐで生きられるからだろう
草の川と 光の風をあびながら
縞もようの風景をすり抜ける

背中が陽に染まる
風に染まる
水に染まる
わきあがる色を吐き出したら
蜥蜴は
小さな虹になった

きゅうに地球がやさしくなる
そんな一日はきっと短い
目が覚めたら
地球の裂けめから這いだしていく
そのとき蜥蜴は
まだ蜥蜴の朝を知らないけれど

*

  蜻蛉(とんぼ)

赤いチョーク
のようなトンボが
風をひっかきひっかき
水平な目で
ぼくの背たけを測っている

よろこびとかなしみの
草の中から
朝ごとにトンボは生まれる
ぼくは大きくなっただろうか
ふと目覚めたように
新しいことばも生まれる

きょう
トンボは蜻蛉
ということばを知った
翅が濡れているので
まだ飛べない




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はじまりの木

2016年06月04日 | 「新詩集2016」


  木の物語

きょうもまた
あの木のてっぺんにいる
あれは多分ぼくだ
ぼくの知らないぼくがいる

忘れていたのかもしれない
すっかり忘れていたぼくがいる
ぼくは手を振った
だがそいつは
だまって空をみつめている
空には何もない

木は知っている
みずからを語ろうとして
枝を伸ばしたことを
手さぐりの
その先にまだ
物語の続きがあるかのように

始まりはいつも
小さな一本の木だった
小さな手で植えられた
小さな椎の木だった
そしてぼくは
木だった

*

  木の川

ぼくは木の中にいて
きみは木の外にいる
毎日ぼくは
木の川を探している

ときどき木の外で
木肌をノックする音が聞こえる
木の川が見つかるまで
ぼくたちは結婚できない

日が暮れたので
ぼくはキツツキの穴から外に出た
それから夜明けまで
ぼくたちは木肌に耳をあてて
遠くの川の音をきいた

*

  ノックする秋

その手は
あなたの手にふれる
あなたの手は木にふれる
木は誰かが
ノックするのを待っている

葉っぱもついに
木の手を離れていった

その手に
あなたの手がふれる
空へと伸びる
木のおもいにふれる
そのとき木は
あなたの背中をノックする

*

  神様の声

大きな木には
神様が住んでいると
子どもの耳が憶えている
木肌に耳をつけて
神様の声をきく
そうやって一度だけ
神様の声を聞いたことがある
言葉はわからない
水が流れるような声だった

いまでも夜中に
ふと子どもの耳がおもいだす
どこかで水が流れている
あの音あの声だ
神様ではないかもしれない
とおい音の存在の
音にならない音
言葉にならない言葉
じっと耳をすましてしまう

大きな木はどこにあるのか
夜の木肌にふかく
耳をあてる

*

  さよならの木

さよならの声にとまどう
秋は
一本の木だった

小さな葉っぱが小さなさよならをする
大きな葉っぱが大きなさよならをする
掌のような葉っぱが
手を振りながらさよならをする

たくさんのさよならが
風に舞ったあとに
ぽっかり残された青空から
風の声だけが戻ってくる
そして

ふたたび始まりの
その日まで
北風が語るさよならの続きを
木はじっと聞いている

*

  はじまりの木

ぼく生まれたい
ぼくの中の小さなぼく
はやく生まれたい

さがしても
どこにいるのか
たずねても
だれも知らない

きのうのぼくではない
きょうのぼくでもない
たぶん
あしたのぼく

風になって
雨になって
葉っぱになつて
年輪になつて
いっぱい生まれる
そのときぼくは
ぼくを捨てる




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