ひと口だけ齧られたリンゴがある。そのリンゴを齧ったのは誰か。
小さなガレージのネズミ(マウス)だったのだろうか。
それとも、ひとりの天才だったのだろうか。
2011年の10月、米アップルの創業者スティーブ・ジョブズが56歳で世を去ったとき、Apple社は公式サイトでコメントした。
「アップルは、明確なビジョンをもった創造的な天才を失いました。そして、世界は素晴らしいひとりの人間を失いました」と。
天才は去った。だが齧りかけのリンゴのマークは消えることはなかった。
かつて、そのリンゴとともに過ごした日々があった。というか、文字(活字)というものが、ぼくの生活の中心だった頃がある。
アルバイトで入った出版社で写真植字というものに出会い、さまざまな文字の形があることを知り、文字を作るレタリングという技術や、文字を視覚的に美しく機能するように組み合わせていく、タイポグラフィというものの楽しさを知ったのだった。
やがて写真植字機が電算化され、ジョブスが開発したマッキントッシュによって、文字もデジタル化されていくことになっていく。
ジョブズが通った大学では、カリグラフィ(欧文を美しく書く)の優れた授業があり、構内のいたるところに手書き文字のポスターやラベルが溢れていたという。
タイポグラフィの美しさに感動した若い魂は、それから10年後にマッキントッシュという、美しい活字を扱えるパソコンを生み出した。
「マッキントッシュは世界で初めて、美しい活字を扱えるパソコンになった」と彼は言った。
カリグラフィの豊富な書体や、字間調整による文字のバランスなどを、彼はパソコンのフォントとして初めて結実させた。
彼の言う「点と点の繋がり」だった。点と点の繋がりは予測できるものではないが、やっていることを信じてやれば、いつかどこかに繋がるというのが彼の信念だった。
ぼくが最初に手に入れたマッキントッシュは、日本語がとても貧弱だった。
文字(フォント)の形も美しくはなかったし、種類も明朝体とゴチック体しかなかった。だから仕事として実務に使えるものではなかった。
それでも、マウスを操作すれば自分で文字を作ることもできたし、モニターの何もないところに文字が浮かび上がってくるのは、未知の新しい世界に接するようで楽しかった。
マッキントッシュという器械自体にもふんだんに遊び心が込められていたし、その感覚を共有できる喜びがあった。ただ、いきなり爆弾マークが飛び出して画面がフリーズしてしまうのは、心臓が止まるほどの衝撃だったけれど。
その後、マッキントッシュの日本語フォントに、モリサワの新しいフォントが導入されていく。
それまで写真植字のガラス板文字で、モリサワの活字とは慣れ親しんでいたので、パソコンで本物の日本の美しい活字に再会できたときは嬉しかった。パソコンの文字の世界がいっきに豊かになって、ぼくの夢も広がっていくようだった。
ジョブズが最後に作り出したのは、iPadという掌にのる小さなコンピューターだった。それはマウスではなく、指先で操作できるようになったものだった。
パソコンが人に近づき、誰でも気軽に扱える器械になったとき、皮肉にもぼくのパソコンは、仕事としての機能を失ったのだった。
パソコンが生み出すものはデータと呼ばれ、小さくて薄いフロッピーディスクというもので受け渡しができた。ぼくはたくさんのデータをディスクに入れて送り出したが、やがて、ぼくの手を離れたデータは他人の手で自由に使われることになり、ぼくの役割は無くなっていった。
"Stay hungry. Stay foulish."(ハングリーであれ、バカであれ)は、ジョブズが若者たちに贈った言葉だった。
ぼくはもう若くはないけれど、今でもハングリーでありバカであると思っている。
「落ちつくことなく、探しつづけること」ともジョブズは言った。ぼくはたぶん、いまでも探しつづけている。文字(言葉)という点と点を繋げながら、ぼくは未知の言葉を探しつづけている。
飢えた魂で、赤いリンゴをがぶりと齧った。そのときの新鮮な感覚と感動を、いまなお忘れることができないでいる。