風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

ヒツジを抱いて眠る

2020年12月25日 | 「新エッセイ集2020」

 

ヒツジが眠っている
先を越されてしまったので
きみはなかなか眠れない

ヒツジがいっぴき
きみもひとり
ヒツジの夢を追いかける
やがて指のさきから温かくなり
いつもの枯草の道に迷いこむ

草の先がやわらかい
眠るヒツジの背中があたたかい
きみの国に朝がきて
オレンジ色の小鳥が来るまで
ヒツジは眠りつづける


  *

はるかな光りの国
ミエニアヴロ市トゥントゥリコルヴァ村8番地の
サンタクロースから届いたプレゼント。
可愛いヒツジの湯たんぽ、なまえは“ゆったん”という。
寒い夜は、愛する“ゆったん”を抱いて寝る。
暑がりのヒツジは
夢の中から逃げ出そうとするので
寒がりの羊飼いは
夢の中までヒツジを追いかける。

 
春夏秋冬のサンタ

 

 


リンゴの気持ち

2020年12月20日 | 「新エッセイ集2020」

 

岩手のリンゴが送られてきた。
しっかり歯ごたえがあり蜜もたっぷり入っている。
カミさんは北国の出身なので、庭にもリンゴの木があったという。子どもの頃に、リンゴをいちどに7個食べたと言って自慢する。りんごを食べるたびに言うし、信じがたいが数まで正確に覚えているので、つい納得せざるをえない。
だが今では、いくら美味しくても、いちどに1個も食べられない。

子どもの頃、リンゴは歌の中だけにあった。赤いリンゴだった。
   赤いリンゴに 口びるよせて
   だまってみている 青い空
リンゴは、南国の九州では珍しい果物だった。
細かく賽の目に切って、砂糖をふりかけて食べた。よほど不味いリンゴしかなかったのだろう。
1年にいちどくらいは、たしか青森からだったと記憶するが、リンゴ売りがトラックでやってきた。行ったこともない雪国の、とても遠くから運ばれてくるらしい。そんなリンゴが珍しかった。
記憶が遠すぎて、いまでは信じられないようなことだ。

送られてきたリンゴのダンボールの底に、古い新聞が入っていた。
「岩手日報」の1月10日版となっている。ほぼ1年前の新聞だ。
さまざまなニュースが盛られている中で、新型コロナの記事が小さく報じられている。中国武漢で原因不明の肺炎が発生し、検査の結果、新型のコロナウイルスが確認されたという。まだほんの、ほだ火のような記事だ。
このウイルスが今年1年をかけて、世界中に蔓延して人々を苦しめることになろうとは、この1年の始めと終わりで、世の中の様相は一変してしまった。

古い新聞はいい。つかの間タイムスリップできる。
その中では、恐ろしい疫病も海の向こうの話にすぎない。
そこから広がる諸々の悪いニュースを、できれば一気に消し去ってしまいたい、などと思いながらリンゴを齧る。
ああこれが本物のリンゴかと、甘くて酸っぱい果汁にしびれる。記憶の遠くから古い歌の続きが蘇ってくる。
   リンゴはなんにも いわないけれど
   リンゴの気持ちは よくわかる
作詞はサトウハチロー。
お母さんの詩をいっぱい書く詩人だったと記憶する。




リンゴはなんにも いわないけれど



 

 


冬の木になる

2020年12月14日 | 「新エッセイ集2020」

 

風が冬の匂いを運んでくる。
古代の人たちは、鳥が風を運んでくると考えていたらしい。
さらには、神の言葉を運んでくるのも、鳥たちだと信じられていた。
空を飛べるというだけで、鳥は神の存在に近いものだったのだろう。
いま、季節を運んでくるのも、空を渡ってくる鳥たちかもしれない。

近くの池では、日ごとに水鳥の数が増えている。
寒々とした水面の風景に、そこだけ冬の賑わいが生まれている。
去年の鳥が還ってきたのかどうか分からないが、彼らの記憶の中には、去年の風景があるようにも思える。
彼らが多く集まるのは、去年と同じ場所の小さな橋の下だ。そこではパンくずを投げる人たちがいることを、彼らはよく憶えていたようにみえる。

水鳥たちの池が見下ろせる小高いところで、ぼくはしばし瞑想らしきものをする。
周りの原っぱでは、セキレイのつがいが餌を啄ばんでいる。冬の枯野にどんなご馳走があるのか、嘴を上下させながら忙しく走り回っている。
セキレイは仲がよく、いつも雄と雌のつがいで行動している。
ときどき、雄が尾っぽをつんと立てて雌を追いかけたりする。雌の方は食い気の方が勝っているようで、おバカな人間が見てるでしょといったそぶりで、雄の気分を逸らしている。

ぼくのすぐうしろでは、カラスがごそごそと落葉をほじくっている。その場所に、なにか大事なものでも埋めてあるのかもしれない。
カラスはカアカアと大声でうるさいし、ゴミ出しをすると、漁って周りに撒き散らしてしまう。普段は憎らしいカラスだが、そばで孤独な作業をつづけるカラスは、まったく別種の生き物にみえる。黙々と何かに熱中している姿に、奇妙な親近感まで抱いてしまう。

そんなカラスの秘密を覗いては悪いので、ぼくは銅像のように静止したまま動けない。
体を真っ直ぐにして深く息を吸い込む。
鳥たちへの妄想は、すき間だらけの木の枝々を伝い、冬の空へと吸い込まれていく。そうしているうちに、ぼくの体も一本の木になっていくみたいだ。
しばし木にはなれても、鳥にはなれないから、神の言葉を聞くことはできない。

 

 

 

 


冬は眠ってやりすごす

2020年12月08日 | 「新エッセイ集2020」

 

紅葉した桜の葉っぱが、カメの頭をかすめて落ちた。カメは思わず頭を引っ込めようとして身ぶるいする。
だんだん食欲がなくなってきたみたい。
体が妙に気だるいし、背中の甲羅も重い。
もう水を掻くのもおっくうだ。
やがて、水面に落ちた枯葉と一緒に、カメは一匹ずつため池の底に沈んでいく。中には寝つきの悪いカメもいて、いつまでも水面で頑張っていたが、ついには、その宵っ張りカメも深い眠りに落ちていく。
カメは水温が20℃を切ると食欲が落ちる。そうして少しずつ腸を空にしていく。やがて水温が10℃以下になると冬眠に入るという。カメの冬眠行動は水温に支配されているのだ。

飼育されているカメは、水温が下がらないように保温管理をすると、冬眠をしない。幼いカメなどを無理に冬眠させると、そのまま死んでしまうこともあるらしいから、冬眠というのは危険な選択でもあるのかもしれない。
池の底で、石ころのようになって眠っている無数のカメの姿を、ぼくは想像する。
甲羅には少しずつ泥がかぶさっていく。池の底もカメも見分けがつかなくなる頃、カメは深い眠りの中にある。まさに、泥のように眠る、のだ。

ひとは冬眠しない。だが、ときには深く眠りたいと思うこともある。
現代人は浅く短い眠りが習慣となり、いつのまにか、本当の眠りを忘れてしまっているといわれる。
特にいまは、コロナ禍で厳しくつらい冬の季節を生きるよりも、思い切って冬眠が出来たら、心身ともにリフレッシュできて、新しい生活の展開もあるかもしれない、と思ったりする。
だが、人間はカメにはなれない。

カメは冬の季節を知らない。
カメは眠っている間に、秋からいきなり春を迎える。水温が上がり体が温められると、徐々に生命の感覚が戻ってくるのだろう。
目覚めたカメは、甲羅に積もった泥を振り払いながら、ゆっくり水面に浮き上がっていく。頭上に少しずつ明るい世界が下りてくる。そして、突如、水の幕が裂けて青空がひろがる。
それは、どんな新しい朝だろうか。どんな再生の春だろうか。
そうやって、カメは万年生きるんかな。

 


奈良にて

 

 

 

 


始まりは「あ」、終わりは「ん」

2020年12月02日 | 「新エッセイ集2020」

 

だいぶ以前に『あいうえお88詩』というタイトルで、詩を書きつづけていたことがある。
まず「あ」のつくタイトルの詩を書く。
例えば「愛」だとか「朝」だとか、「い」は「入口」だとか「田舎」といった具合。
その頃は、発想の貧しさを五十音に頼って、むりやり言葉を引き出そうとしていたようだ。
そのうち、子どもの頃から自然になじんできた「あいうえお」だったのだが、いつのまにか五十音というものが、いつごろ誰によって作られたものなのか、脇道の方が気になりだしたのだった。それで少しだけ寄り道をしてみたことがある。

調べてみると(既にご存知の方もおられると思うが)、ぼくにとってはまったくの新しい知識だった。
起源は意外に古かった。有名な『いろは歌』よりも更に古く、平安時代にまでさかのぼるという。
さらに、ルーツは遠くインドにあった。
インドの古典語であるサンスクリットを表すために作られた、デーヴァナーガリーという文字の配列が源流らしい。
当時のインドで発達していた「悉曇学(しったんがく)」という音声学が、仏教とともにわが国に伝わり、「あいうえお五十音」の下敷きとなったらしい。
日本ではデーヴァナーガリー文字のことを「梵字(ぼんじ)」と呼び、そこから五十音図というものを仏教の僧侶が作ったと考えられている。

梵字の母音の基本は「ア」「イ」「ウ」であり、「ア」と「イ」の組合せの「アイ」が「エー」「エ」となり、「ア」と「ウ」の組合せ「アウ」が「オー」「オ」となって「アイウエオ」の5つの基本母音字ができた。五十音図の基本配列は、この梵字の母音配列に習ったものだという。
その頃の日本語には「S」の音と「H」の音がなく、「サ」は「チャ」で、「ハ」は「ファ」あるいは「パ」だった。したがって、最初の五十音配列は「アカチャタナファ(パ)マヤラワ」だったらしい。ちなみに花は「ファナ」あるいは「パナ」と発音されていた。

一方「あいうえお」以外の子音には、調音点(口中で音を出すところ)というのがあり、梵字の子音の配列は、この調音点が口の奥にある音から、次第に口の前にある音へと並べられているという。
「ア」は子音がなく、母音がそのまま声帯から出てくる音なので、五十音図のいちばん最初に置かれることになった。
「カ」の子音である「K」は、口の一番奥で息を破裂させて音を出し、「チャ」(のちの「サ」)は「カ」よりも少し前の位置で破裂させる。「タ」になると舌が歯の内側まで出てきて接触する。「ナ」は「タ」と同じ状態だが声が鼻に抜ける。次の「ファ(パ)」(のちの「ハ」)になると、調音点は唇にまで出てくる。
最後に「マ」で唇は完全に閉じた状態になり、「カ」から「マ」へと調音点が口の奥から唇へと順に移動しているのがわかる。
残る「ヤ」「ラ」「ワ」は半母音と呼ばれるが、これも子音と同じように調音点の移動に従って並べられた。こうして五十音の順列が決められたようだ。

なお、五十音図の最後は「ン」であるが、これは「ン」という音自体が、日本語の歴史の中で遅れて出てきたことによるらしい。遅刻した者は列の最後に並ぶということか。
あらためて「あいうえお」と声に出してみると、なんだか遠いインドや古い仏教の香りが、音の響きにこもっているような気がしなくもない。
かつて「あいうえお」の五十音に誘発されて、ぼくのポエジーはあちこちを彷徨ったのだが、実のところ詩作の初心者ゆえ、迷路に行き詰まっていただけのようである。
そのせいで思わぬ道草をして、88編の詩作は完遂することができなかった。




宇治川にて