風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

どこへ行くのか

2021年03月30日 | 「新エッセイ集2021」

 

目が覚めたら枕元に
ぼくのぬけがらが転がっていた
昨夜のままで
皺は皺くちゃのまま
色褪せは色褪せたまま
なんたる奴だ
ぼくはぬけがらをまとう
ぬけがらが腕を伸ばす
ぬけがらが膝を伸ばす
ぬけがらがよたよたと歩き始める
いつまでぬけがらのままで
お前はどこへ行くのか
ぬけがらも知らない

 

 

 

 


16歳の日記より(9)川

2021年03月21日 | 「新エッセイ集2021」

 

春浅い川の水面は静かに澄みきっている。
岩にくっついた川ニナは水垢を被ったままだし、ドンコの子は砂地にはりついて動かない。明るい陽ざしが川底の石の影までくっきりと見せている。
やがて吹き荒れる春の嵐に水面は騒ぎ始め、川は目覚める。魚たちは温んできた流れに不吉な予感を覚え、岩陰を求めて激しく鱗を散らすだろう。
雨が降り続くと、山や田圃から溢れてきた濁流で川は混乱する。魚たちは木の枝や葉っぱや草や虫や、外界のさまざまなものにもまれて厳しい洗礼を受ける。川は肥沃な流れとなり、どん欲な魚たちは丸々と太るだろう。
やがて初夏の太陽のもとで魚たちは狂い、浅瀬は朱に染まる。鉤針に釣り上げられる魚の腹や鰭は、婚姻色で花びらのように美しく燃えている。魚は背びれを激しく水面で振るわせながら、いたるところ白い精液を放出し、白濁した川は祭りのように狂乱するだろう。
僕は着ているものを脱ぎ捨てて川に入る。
最初は恐る恐るしずかに、そして思いきって荒々しく。全身を締め付けてくる水の冷たさをはねのけるように、両手を大きく広げて水をかき、両足に力をこめて水を蹴る。呼吸をするために大きくあけた口の中に、層をなして水と空気が流れ込んでくる。喉から鼻の奥へとひろがっていく水の刺激が、忘れていた感覚を呼び出してくれる。草の根の匂い、岩ごけの匂い、瓜や西瓜のような甘い匂い、魚たちの柔らかい腹わたの匂いとともに。
生まれた川に帰ってくる魚たちのように、僕の本能もすこしずつ新しい水になじんでいく。指の先に柔らかい鰭が生え、僕の飲み込んだ水は耳のエラに漉過されて、次第に体中に染み込んで行く。川の水の一部分だった僕の体は、しだいに川の流れと一体になっていくようだ。
僕は水中に潜る。どっと湧きおこる細かい気泡に眼がくらみそうになる。さらに潜ると、川の水に同化したはずの僕の体は、今度は水の強い抵抗を受けている。視界の中に魚たちの姿は見えず、僕はただ一人きりになってもがいている。急に不安になり、ガラス板のような水面をめがけ水を蹴って浮き上がる。いっしゅん水色の空が飛沫となって弾ける。 (完)

 

 

 


16歳の日記より(8)陽炎

2021年03月16日 | 「新エッセイ集2021」

 

城跡へ登る。
そこはもともと孤立した一つの急峻な山であるが、今は石垣で鋭角的に切り取られた大きな傷跡のようにみえる。古い戦いの跡の傷ともとれるし、いまだ癒しがたい古人たちの夢と野望の傷跡ともとれる。踏み固められた石段の下、そして崩れた石組み、幾百年の闇を湛えた古井戸と桜の老木に絡みつく藤かずらなど、いたるところで古傷が疼いているようにみえる。
石垣の端に立って垂直に落ち込んだ谷を見下ろす。早瀬の白く光る川がこの城山を取り囲み、この地を天下の要塞とする。だがそこに護られ残されたものは何があるだろう。かつて義経を迎え入れるために改築もされたと伝えられる。しかし義経を乗せた船が瀬戸内で嵐にあって断念、義経がこの城に入ることはなかった。
春の陽光のもとで傷だらけの山が呻いている。
そして呻き声は陽炎となって燃え上がっている。僕もまた陽炎に包まれて僕自身の内なる呻き声を発しそうになる。僕の五体も戦い傷ついているような、あいまいな疲労を感じてしまう。
なま温かい風が谷から吹き上げてくる。
眼下の帯のような川も今の僕には囲いにみえる。陽炎のような風に煽られた僕のやり場のない欲情が、堅固な要塞を強く意識しはじめている。僕は鳥のようにただ飛び越えたいのだ。谷を、川を、川向うの切り立った断崖を、さらに続く山々を。
真昼の陽光は全ての風景を包み燃えたたせている。
熱せられた枯草から立ちのぼる陽炎は、淡くて甘い体臭のような香りを放っている。僕も熱せられ煽られている。何かわからない外界から、いや自分自身の内なる何かわからないものから、さかんに煽られている。やがて僕自身の体も枯草の一部となって燃え始めている。
陽炎は波のようにひとつひとつの山を乗り越え、果てしなく拡がっていく。僕の手は陽炎の波にのって泳ぎはじめる。遠くに連なる山脈はなめらかな裸体のようだ。そのやわらかい皮膚が陽炎のなかで脈打っている。その鼓動は次第に早く激しくなる。燃え立った陽炎は山の稜線をせわしなく徘徊し、やがてその頂上に達して、僕の陽炎は宙に果てる。

 

 

 


16歳の日記より(7)メガネ

2021年03月11日 | 「新エッセイ集2021」

 

kは強度の近視だ。彼のメガネのレンズは無数に渦巻が入っている。その渦巻の中心で彼の目は小さく萎んで見える。視力が弱いせいか彼の動作は愚鈍で、お爺さんという不名誉なあだ名をもらっている。だが彼はさほど気にしているようにはみえない。
体育の時間、皆は面白がって彼を目がけてボールを投げつける。彼は受けようとして両手を出すが、その時はすでにボールは彼の顔面を直撃している。それでも彼は笑っている。彼の度の強いメガネを通すと辛辣な言葉や行為も、その視覚と同様にぼやけてしまうのだろうか。愚鈍なのは彼ではなく、彼の視力であり、度の強いメガネのせいなのかもしれない。
僕はときどき彼の眼鏡を借りたいと思う。僕の視力は両眼とも見えすぎるくらいに良い。だから投げられたボールを見失うことはない。僕の両手はしっかりとボールの行方を追って行く。僕がボールを捕り損ねるのは僕のテクニックが劣っているからにすぎない。だが、そのことに僕はたいそう傷つかなければならない。僕の失敗をあざ笑うような多くの眼を、僕はしっかりと受け止めてしまう。僕のいやな習性が、彼等の嘲笑の深さをそれぞれの眼の色に読み取ろうとする。そんな自分がいやで仕方がない。僕が日常生活に無関心を装っているのは、僕自身の心の葛藤を隠したいからでもある。
僕は勝手な夢をみる。夢の中で僕は、Kのような度の強いメガネをかけている。
僕を取り巻くまわりの視界は全てぼやけている。まわりがぼやけているということは、僕自身の存在もぼやけていることだと認識する。一つ一つの事物も風景も全てオブラートにくるまれている。そして僕自身もオブラートにくるまれている。もはや、まわりを傷つけることもないし、まわりから傷つけられることもない。どんな厳しい視線も、どんな嘲罵の言葉も、柔らかく跳ね返し、あるいは柔らかく吸収する。僕は繭のように自分の世界に固執し、少しずつ自分の世界を育てていくことが出来る、ような気がする。
またあるときは、僕は一匹の蛾になっている。
僕の体はもはや僕自身制御できない。僕の体はふわふわと軽くなって浮き上がる。部屋の天井に押し上げられ、やがて窓の隙間に吸い寄せられ、家の外へと飛び出していく。そして中空へ、何もない空へと浮遊しはじめる。もはや自分の体ではない快さで、翅になった両手を揺さぶっている。

 

 

 

 

 


16歳の日記より(6)黒板

2021年03月05日 | 「新エッセイ集2021」

 

僕にとって、黒板に書かれていく化学記号は単なるローマ字と数字の羅列にすぎない。ぼんやり見ていると触手を伸ばしていく昆虫のようにも見える。かたかたと音をたてながら白い昆虫が増えていく。
やがて僕は、それ以上昆虫の増殖を見続けることに耐えられなくなる。いつものように図書館で借りた本を机の上に出す。しばらくはかたかたという黒板の音も聞いているが、やがて昆虫の世界から離れて行く。
開いた本から微かに焦げたおがくずの匂いがする。もうひとつの、より生き生きとした世界の臭いだ。急に活字のひとつひとつが動き始める。活字の形、活字の流れ、活字の固まりと余白、それさえも視覚的に新鮮で懐かしい。今までどこかに潜んでいた名前が、形容詞が、人物が、動き始める。
始めのうち僕は、机の上に小さな囲いを作って彼等の動きを牽制しているが、やがて僕自身もその囲いの中に取り込まれてしまう。僕を取り巻く囲いは次第に拡がり、いつのまにか広い草原になっている。青空の下ではそよ風が吹き、花が咲いている。 
あるいは村で、あるいは都会で、僕は「私」になり、私が感じることを感じ、行動し始める。また、「私」は「彼」にも「彼女」にもなり、彼や彼女の感情を読み、彼らと一体化していく。
言葉は次々に新しい意味をもち、何気ない名詞でさえも時には稲妻のように光るときがある。簡潔な短い文章がもっとも長い余韻を伴っていることがある。しばしのあいだページを繰ることを忘れ、その短い文章を反芻する。今という時間が、時間の観念が失われたところで過ぎていく。
青空と草原と花と、そしてそよ風と。僕はいまどこにいるのか。風は甘い香り、いや微かに甘い香り、いや、この現実的な香りは何だ。これは、ポマードの匂い、タバコの匂い、チョークと背広の匂い……。
次の瞬間、いきなり僕の本が宙に浮き、僕は頭に強い衝撃を受ける。