風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

そこには鳥の世界もある

2015年10月25日 | 「詩集2015」

天王寺のお寺で、母の三回忌の法要をした。
3人の僧侶が読経する前で、焼香をして手を合わせただけの、きわめて簡略な儀式だった。
お寺という場がひとつの結界だとしても、死者と生者が触れ合う一瞬の時間もなかったかもしれない。死者と生者が出会うそこでは、刻々と時を捨てて死者は死につづけ、生者は生きつづけるしかないのだろう。
けれども日常生活においては、母はぼくの記憶の中で生きつづけている。死者も生者もこの世の結界を超えて、ときには夢やある種の気配のように自由な身軽さで生きつづけている。それはそれで素晴らしいことだと考える。

お寺と地続きで、茶臼山という古戦場がある。
ある年の大坂の夏と冬、大勢の武者たちが戦って死んでいった場所だが、すべてのことが嘘だったかのように、今はことさらに静まりかえっている。
薄暗い歴史の森を抜けると、明るい現代の芝生の公園が広がる。
人々は芝生に寝転がって空を仰いでいる。すこし日常の感覚を離れると、芝生はそのまま青い空に続いている。ひととき芝生と空の中間でまどろむ人たちは、そのとき一体どこを浮遊しているのだろう。

公園の向こうには、のっぽのビルが空へ伸びている。
地上60階建て、60層の現代の塔は高さ300メートルもあるらしい。ビルのてっぺんがあるところは、もはや空の場所なのかもしれない。人々がそこから眺めるのは、空ではなく地上の風景だろう。
地上には空があり、空には地上がある。
その中空を飛び交う鳥たちには、どんな世界があるのだろう。
想像すると鳥にもなれそうで、体がだんだん軽くなっていく。











眠りと覚醒のはざまで

2015年10月17日 | 「詩集2015」

夜中に目が覚めた。
みていた夢の続きでもないのに、手のひらに柔らかい感触が残っている。
その感触に懐かしさがある。記憶の底深くに沈んでいたものが、突然なんの脈絡もなく、眠りの切れ目に浮かび上がってきたみたいだった。
ぼんやりと、記憶のさきに知らない人が現れた。
大きな布袋をぶら下げていた。その袋のふくらみをそっと撫でた。なま暖かいものが動いたが、声もかけられなかった。それが子犬との別れだった。

子犬は6匹生まれた。
茶色が2匹、黒が1匹、白が1匹、そして茶色と白のブチが1匹。もう1匹は覚えていない。もしかしたら5匹だけだったかもしれない。
茶色と白のブチだけが、他の子犬よりもよく食べて成長が早かった。いつも真っ先にじゃれついてくるので、いちばん可愛がった。育ちすぎていたからか、ほかの子犬が全部もらわれてしまった後に、1匹だけ手元に残っていた。残っていて嬉しかった。このままずっと残っていてくれと願った。

いつも後ろにくっついてきた。ぼくが細い疎水を跳びこえたとき、跳びそこなって流れに落ちたことがあった。すこしドジな子犬だったのかもしれない。そんなことまで思い出した。
だがそれは、子犬とのわずかな楽しかった思い出にすぎない。
こんな真夜中にどうしたというのだ。手のひらに残った布袋の感触がぬぐいきれず、眠りの続きに入っていくことができなくなってしまった。

あの時どうして、布袋からすぐに手を引っ込めてしまったのか。悲しさや悔しさを、どうして黙って押し込めてしまったのか。その時こころの奥に押し込めてしまったものが、こんな真夜中の、今頃になってまい戻ってきたのだ。
小動物のこころしか知らず、悲しさも悔しさも、ただ受け入れることしか知らなかった無知な少年が、眠りの淵でぼんやり突っ立っている。今頃になって、悔しがり悲しんでいるのは誰だろう。



秋の詩集2015

2015年10月03日 | 「詩集2015」


 シャボン玉

ストローの息に
虹がかかる
ゆらゆらとぽつぽつと
光の橋をわたる

虹は
たったの六ペンス
触れると壊れる

ストローのさきを伸ばす
星まで届いたら
その日のトリップは終わる
小さな息つぎにも
虹がかかる日があった


*

 紙ヒコーキ

空に放った
思いをのせた言葉のように
紙は

風のままに浮くことをやめて
折られて指のさきへ
みずから真っすぐに飛んだ

山をこえ海をわたる
鳥にはなれなかったけれど
翼のままで紙は
ひととき空の
美しい希いとなった


*

 竹トンボ

すいーっと水平に
赤いトンボが
いくども記憶の空をよぎった

ハルジオンの花の上を
シロツメグサの草の上を
プロペラの竹になって
赤いトンボを追った

そうして竹は
羽になった
風になった
記憶の空の果てまで飛んで
我に返って
トンボになった


*

 紙フーセン

高みへ高みへと
打ち上げるそれは
紙に包んだ
一匁ほどの願いごとだった

風の声にさそわれて
その日
ふたつの手をはなれ
ひとつになって昇っていった
あれから

ふと空を
見上げたくなるときがある
ぱんと音がして
紙フーセンのやわらかい手が
雲の背中を打っている