奈良の山奥を、あちこち車で走り回っていた頃がある。
吉野の丹生(にう)川のそばに、丹生川上神社下社という神社があった。
人影もほとんどなく、ひっそりとした静かな神社の雰囲気が好きで、しばしばドライブの途中で立ち寄っていた。とくに信仰心があるわけではなかったが、僅かな賽銭をして手を合わせ、記帳などもしたかもしれない。
そんなことで縁ができたようだった。
毎年、暮れになると神社から1通の封書が届くようになった。中には白い紙を人形(ひとがた)に切ったものが幾枚か入っていた。
またある時期からは、車の形に切られたものも入ってくるようになった。これは車形とでもいうのだろうか。いや車の形代(かたしろ)と言った方が正確だろうか。
神社からの説明書きによると、この形代1枚ずつにそれぞれ家族の名前を、車の形代には車のナンバーを書き、息を吹きかけるようにとのこと。これに祈祷料を添えて返送すると、神社で新年のお祓いをしてくれるというものだった。
形代は半紙を人の形に切っただけの素朴なものだが、神職や神職にゆかりのある人たちが、手作業で作っているのだろうかと想像すると、不思議に神様が身近に感じられてくるのだった。
この神社は丹生川のそばにあるので、丹生川上神社と呼ばれるようになったそうだが、丹生とは朱のことで、昔は朱の色を水銀から採取したらしく、このあたりでは水銀が採掘されていたのかもしれない。
記録によると、この神社は神武天皇が東征のときに親祭されたとある。その後の676年に「人声の聞こえざる深山に宮柱を立て祭祀せば、天下のために甘雨を降らし、霖雨を止めむ」との神託があり創建されたという。
吉野から十津川にかけての紀伊山地は雨の多いところだが、古代から雨や水との関わりが深かったようだ。
「人声の聞こえざる深山」とあるように、この神様は、いまでも人声のあまり届かない吉野の山奥に鎮座している。
そのような山の奥の神様に、ぼくの息を吹きかけた形代が届き、家内安全や交通安全の声を神様に届けてもらう。
時代遅れのような郵便というスローな手段で、1枚の薄い紙の形代は、人と神様をやさしく仲介してくれていたのだった。
のちに車のない生活になってからは、この神社を訪ねることもなくなり、いつしか形代の神様とも縁が切れてしまった。
今年の正月は、コロナ騒ぎで近くの神社にさえ初詣をしなかったので、いまは薄い紙の形代で古い神様と交信(?)したことなどが、ことさらに懐かしく思い出される。
あの神社の境内には、いのちの水「御食(みい)の井」という美味しい天然の水があった。烏骨鶏という珍しい鳥も飼われていた。すこし湿っぽい風に包まれた神域の、それら静ひつな風景がいま蘇ってくる。