夏の嵐で傷ついた花と木と草に
光と水と言づてを
知らない国から運ばれてくる
風と香りと
揺れうごく魂のそよぎ
言葉にならない声を聞いた
見えるものも見えないものも
そのままの確かさで
揺れうごくもののすべてを
揺れうごくままに掴もうとする
ぼくの記憶は
草よりもあいまいだ
木のことばは
花のことばは
いつか遅れて届くだろう
夏の嵐で傷ついた花と木と草に
光と水と言づてを
知らない国から運ばれてくる
風と香りと
揺れうごく魂のそよぎ
言葉にならない声を聞いた
見えるものも見えないものも
そのままの確かさで
揺れうごくもののすべてを
揺れうごくままに掴もうとする
ぼくの記憶は
草よりもあいまいだ
木のことばは
花のことばは
いつか遅れて届くだろう
もう秋なんだろうか、それともまだ夏なんだろうか。室内は涼しいが戸外は暑い。
誰かが掃いたような雲と、澄みきった青い空。大地を水浸しにした大量の天の水は、ついでに空をもきれいに洗い清めたみたいだ。
超巨大な台風やゲリラ豪雨といわれるものが、日本列島のあちこちを襲った夏だった。
急峻な山を崩し、川を氾濫させ、家や人を押し流した。亡くなった人や行方がわからない人は数知れない。さらに、道路が崩れて孤立してしまったところも多くある。
水害のニュースをテレビで観るたびに、そんな山奥の村のことを想う。ぼくの中の記憶の風景が無残に塗りつぶされていくような気がした。
記憶の道をたどる。どこまでも山があり川がある。
山々がいくつも連なる、紀伊山地も雨の多いところだ。
その中心には十津川村という日本一大きな村がある。土地のほとんどは山ばかりだ。かつては米も作れず、米粒は貴重な薬のようなものだったという。米は薬、「米養生」という言葉も残っている。そんな山深い所に集落が散在する。かつては大きな水害のあったところで、村民がこぞって北海道に大移住したという歴史もある。
かつて十津川村を中心とした、そのあたりの林道や山道を、車で走り回ったことがある。
走っても走っても山ばかり。ときたま突然に1軒か2軒の民家が現れる。
都会の雑踏を逃げだしてきた、逃亡者みたいなぼくだったが、すっかり逃げきれたと思えるような山奥にも、家があり人はいて生活しているのだった。
そんな山の中の暮らしは、どんな生活なんだろうと興味もわき、そこに生活の拠点を置いてみたいと考えることもあった。
ぼくが走っていたのか、時が走っていたのか、走り過ぎていくさまざまな風景があった。走り過ぎていくさまざまな思いがあった。ただ走り過ぎていった一瞬の、風景であり思いであったから、それらは心にひびいて美しい残像となったのだろう。
杉林の薄暗い林道を抜けると、道が途切れるほどの断崖と眩い空があった。静まりかえった秋の道は、どこまでも山の上へと続いていた。
高い山の尾根は、かつては修験者たちの修業の道が走り、谷あいの暗い道は、維新の志士たちの戦いと逃亡の道でもあった。秘境ゆえの歴史の足跡が、道なき道にしっかりと残されていた。
涼しくなったら、久しぶりに十津川の秋の山を越えてみたいという思いもあった。
だが今は、道路がどこで途切れてしまっているかわからない。山も道も家も人も、命のゆくえさえも曖昧になっている。
日本列島、山からは山の水が襲いかかってくる。海からは海の水が押し寄せてくる。水は命の水であるが、命をうばう水でもあったのだ。
嵐はいくども来て、いくども去っていく。あとには静かな美しい空だけが残される。嵐のあとの空は、青く澄んだ底なしの水の深みにもみえる。
過去に書いたブログの記事を、読み返して詩の形にして再生する。あるいは過去に書いた詩を解体し、言葉を補足して散文にする。
そんな試みをしてみる。
そもそも詩と散文の違いがなにか、よくわからない。
詩を書こうとすると、イメージや言葉がやたらに浮遊しはじめるような気がする。書こうとすることから、言葉だけがどんどん独り歩きしてしまう。その結果、言葉のリアルな手応えが希薄になっていく。
詩というものについて、なにか大きな思い違いをしているのかもしれない。
いきなり詩を書こうとすると、言葉だけが膨らんでしまうのだ。
むしろ散文の中にこそ、詩というものはしっかり内在しているように思えてきた。
書きたいことを、まず散文で書いてみる。日常生活から、日記から書きはじめてみる。
イメージというものは、地についた言葉から膨らんでいくものだ。そして膨らんだものは、再び地に戻ってこれるものでなければ、ひたすら霧散してしまうだけだろう。
もともと散文を書こうと思い立つ動機は、その根本に詩と呼んでもいいような、特別な情動が生まれようとしているときではなかろうか。
一編の散文には、一編の詩が含まれているということはできないだろうか。
過去に書いた雑文を漁りながら、ぼくはいま詩の欠片を探している。
先日の台風一過、近くの公園では、ニセアカシアやケヤキなどの大木が根こそぎ倒され、あるいは中ほどからへし折られて、通り抜けることもできないほど見るも無残な姿になってしまった。
台風21号は想像を絶して風の被害が大きかった。
さらに北海道の大きな地震災害が追い打ちをかける。山は崩れ川は氾濫する。この日本列島は一体どうなっているのだろうか。
一方わが身は、久しぶりに受けた健康診断でメタボ検査はパスしたが、不整脈とC型肝炎が指摘されて暑い通院の夏となった。
不整脈は以前から自覚していたが、母親も心臓が乱れ太鼓を打っていると医者に言われながら94歳まで生きたから、不整脈と長寿はセットで遺伝してくれるものだと安心していた。
だが不整脈とは医学的には心房細動というらしく、血液を送り出す心臓の拍動が乱れていると血液の塊ができやすく、それが流れて血管を詰まらせ、心筋梗塞や脳梗塞を起こすのだと医者に脅かされ、血液の流れをよくする薬とやらを飲まざるを得なくなってしまった。
さらには、いつからぼくの肝臓に巣くっていたのか、C型肝炎などというおまけまで付いてきた。
手術の際の輸血や使いまわしの注射針による感染が原因らしいから、ぼくの責任ではない気がして納得しがたいが、最近は薬で短期間に完治すると説得されて薬の服用が決まった。
薬は一日に3錠飲むだけだが、そのたったの3錠が2万も3万もする高価なものだと聞いてびっくり。これには肝炎ウイルスだってビビるにちがいない。さいわい国が多額の補助をしてくれるとあり、窮乏生活中のぼくでもなんとか凌げそうだが、それでも予期しなかった出費は痛い。
高価な薬を口に含むたびに、超豪華な食事でもしているような妙な気分にさせられて、ぼくのような貧乏人がこんな贅沢をしてもいいのだろうかと、申しわけなさと腹立たしさの複雑な気分になる。薬の副作用はほとんどないと聞いたが、メンタルな副作用がすでにおきているのではないか。おまけに、その味ときたら超まずいうえに腹の足しにもならないものだ。ならばビフテキの2~3枚でも食った方がよぽど体のためになるのではないか、などと考えてしまう。
おもえば、日々の猛烈な暑さに加えて次々と襲ってくる天変地異の災害が、貧弱なわが身にもひときわ厳しく感じられた、暑くて長い夏だった。
台風21号でさんざん傷めつけられたベランダのアサガオは、なおも健気に花をつけているが、日ごとに花柄が小さくなって数も減っていく。毎朝楽しませてくれたアサガオの季節も、まもなく終わろうとしているのだろう。季節の移ろいだけは、音もたてずに静かにやってくる。
コップに水を満たす
ごくり
乾いた血管にひろがっていく
潮騒のうみ
つぎつぎに波を
飲みこんでは吐きだし
なぜか背泳ぎをする
水と空気を分けて浮かんでいる
ぼくの半分は嘘みたいに軽い
あとの半分は真実かもしれない
あるいは泡ぶくだったり
星くずや貝がらだったり
コップのうみを飲み干したら
たちまちぼくも
空っぽになる