地上の夜があまりにも明るすぎて、夜空の星がどこかへ隠れてしまった。そんななかで偶然、ひとつの星を見つけたようなものだったかもしれない。
ごく最近のこと、図書館でのことだった。山尾三省、それは初めて目にした名前ではなくて、私の記憶の本棚の中の、ずっと古いところに埃をかぶったまま置かれてあった、そんな懐かしい本の名前との再会だった。
いつかどこかで会ったことがある、かなり昔の知人に出会ったみたいだった。記憶をたどると、実際にいくどかサークルの部室で会ったことがあり、名前と顔だけは知っていた。その頃の彼は小説を書いていた。大学の文学同人誌に載った彼の小説が難解すぎて、彼とは距離を感じて近づくことができなかった。
いちどだけ彼からデモに誘われて同行したことがある。そのときは、早稲田から代々木だったか四谷だったかまで歩いたのだが、道中、彼とどんな話をしたか、ほとんど記憶がない。その後、私は病気をして東京を離れたので、その後の彼の動向はまったく知らなかった。
年譜によると、彼は1977年に一家で屋久島に移住し、それから2001年に63歳で亡くなるまで、ずっと島での生活が続いたとなっている。屋久島の原生林や海や風と向き合いながら、哲学的宗教的な思考を深めていったようだ。
彼は、彼の著書『森羅万象の中へ』で書いている。
「ある種の岩なり草なり木達が、実際に声を放って語りかけてくるわけではない。草や木達、特に寡黙な岩がなにごとかをささやきはじめるのは、こちらの気持が人間や自我であることを放棄してその対象に属しはじめる瞬間においてのことであり、実際にはこちらの胸におのずから湧き起こるこちらの言葉として、それはささやかれるのである」。「ぼく達は、そのような岩達の無言の声に導かれて、なぜかは知らぬが、より深い生命の原点と感じられる世界へとおのずから踏み入っていくのである」と。
そのようにして、森羅万象の中から彼が見つけ出したものこそ神だった。彼はそれを、カミと表現した。
「太古以来、地上のすべての民族がカミを持ちつづけてきたのは、カミというものが「意識」にとって最終の智慧であり、科学でもあったからにほかならない」という。「「意識」に支配されている人間という生きものは、自分の根というものを持たないと、深く生きることも安心して死ぬこともできない特殊な生きものである」と。人間とは、とても弱い生き物なのだ。
彼にとっては、彼が焚きつける五右衛門風呂の焚き口で燃える火もカミであった。「火というカミは、教義や教条を持たない。また教会も寺院も持たない」という。彼のカミとは、そのような神だった。
やがて彼の意識は、銀河系や太陽系の宇宙へと広がっていく。彼は夜空の星座に向かって、「あなたがぼくの星ですか」と問いつづける。
夜も昼も絶えず
春も秋も絶えることのない 雨のような銀色の光がある
母が逝き
その年が明けて
世界孤独という言葉をはじめて持った時に
その光が はじめてわたくしに届いた
(詩集『祈り』から)
彼は死の間際になって、彼の意識が還っていける、母星ともいえる自分の星を見つけることができたという。自分そのものでもある星を持つことができたのだった。それは彼の究極の「星遊び」(沖縄の言葉)でもあった。
彼は星の輝きに永遠なるものを見たことを確信する。「星は、眼で見ることのできる永劫である。この森羅万象は、永劫から生まれて永劫に還る森羅万象であるが、星はその永劫そのものをぼく達にじかに光として見せてくれるのである」と。
彼は、祈っている自分自身の状態がいちばん好きであると、詩の中で書いている。
僕が いちばん好きな僕の状態は
祈っている 僕である
両掌を合わせ
より深く より高いものに
かなしく光りつつ祈っている時である
そんな彼が天の星となって、かなりの年月が過ぎたことになる。私は今やっと、星になった彼に出会えたといえるかもしれない。
「2025 風のファミリー」