風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

星の神さま

2025年01月21日 | 「2025 風のファミリー」



地上の夜があまりにも明るすぎて、夜空の星がどこかへ隠れてしまった。そんななかで偶然、ひとつの星を見つけたようなものだったかもしれない。
ごく最近のこと、図書館でのことだった。山尾三省、それは初めて目にした名前ではなくて、私の記憶の本棚の中の、ずっと古いところに埃をかぶったまま置かれてあった、そんな懐かしい本の名前との再会だった。

いつかどこかで会ったことがある、かなり昔の知人に出会ったみたいだった。記憶をたどると、実際にいくどかサークルの部室で会ったことがあり、名前と顔だけは知っていた。その頃の彼は小説を書いていた。大学の文学同人誌に載った彼の小説が難解すぎて、彼とは距離を感じて近づくことができなかった。
いちどだけ彼からデモに誘われて同行したことがある。そのときは、早稲田から代々木だったか四谷だったかまで歩いたのだが、道中、彼とどんな話をしたか、ほとんど記憶がない。その後、私は病気をして東京を離れたので、その後の彼の動向はまったく知らなかった。

年譜によると、彼は1977年に一家で屋久島に移住し、それから2001年に63歳で亡くなるまで、ずっと島での生活が続いたとなっている。屋久島の原生林や海や風と向き合いながら、哲学的宗教的な思考を深めていったようだ。
彼は、彼の著書『森羅万象の中へ』で書いている。
「ある種の岩なり草なり木達が、実際に声を放って語りかけてくるわけではない。草や木達、特に寡黙な岩がなにごとかをささやきはじめるのは、こちらの気持が人間や自我であることを放棄してその対象に属しはじめる瞬間においてのことであり、実際にはこちらの胸におのずから湧き起こるこちらの言葉として、それはささやかれるのである」。「ぼく達は、そのような岩達の無言の声に導かれて、なぜかは知らぬが、より深い生命の原点と感じられる世界へとおのずから踏み入っていくのである」と。

そのようにして、森羅万象の中から彼が見つけ出したものこそ神だった。彼はそれを、カミと表現した。
「太古以来、地上のすべての民族がカミを持ちつづけてきたのは、カミというものが「意識」にとって最終の智慧であり、科学でもあったからにほかならない」という。「「意識」に支配されている人間という生きものは、自分の根というものを持たないと、深く生きることも安心して死ぬこともできない特殊な生きものである」と。人間とは、とても弱い生き物なのだ。
彼にとっては、彼が焚きつける五右衛門風呂の焚き口で燃える火もカミであった。「火というカミは、教義や教条を持たない。また教会も寺院も持たない」という。彼のカミとは、そのような神だった。

やがて彼の意識は、銀河系や太陽系の宇宙へと広がっていく。彼は夜空の星座に向かって、「あなたがぼくの星ですか」と問いつづける。

夜も昼も絶えず
春も秋も絶えることのない 雨のような銀色の光がある
母が逝き
その年が明けて
世界孤独という言葉をはじめて持った時に
その光が はじめてわたくしに届いた
                   (詩集『祈り』から)

彼は死の間際になって、彼の意識が還っていける、母星ともいえる自分の星を見つけることができたという。自分そのものでもある星を持つことができたのだった。それは彼の究極の「星遊び」(沖縄の言葉)でもあった。
彼は星の輝きに永遠なるものを見たことを確信する。「星は、眼で見ることのできる永劫である。この森羅万象は、永劫から生まれて永劫に還る森羅万象であるが、星はその永劫そのものをぼく達にじかに光として見せてくれるのである」と。

彼は、祈っている自分自身の状態がいちばん好きであると、詩の中で書いている。

僕が いちばん好きな僕の状態は
祈っている 僕である
両掌を合わせ
より深く より高いものに
かなしく光りつつ祈っている時である

そんな彼が天の星となって、かなりの年月が過ぎたことになる。私は今やっと、星になった彼に出会えたといえるかもしれない。

 

 

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いま森の神はどこに

2025年01月15日 | 「2025 風のファミリー」

 

近くの森は、いまは冬の森だ。落葉樹はすっかり裸になって、細い枝々が葉脈のように冬空にとり残されている。深い海のような空があらわになって、そのぶん森は明るくなったけれど、森にひそむ神秘な影が薄くなった。
この森はとても小さな森なのだが、冬はいちだんと侘しくなったみたいだ。サワグルミやトチノキ、ヒマラヤスギなどの大木も幾本かはあるが、シカもリスもいない。ヘビくらいはいるかもしれないが、いまは地中に隠れて冬眠中なので、この森の中で動くものは小鳥しかいない。

熊楠の森には、「奇態の生物」というものがいるという。
熊楠とは南方熊楠(1867〜1941)のことだが、和歌山の熊野の森にこもって粘菌の研究をした学者である。
熊楠は柳田國男への手紙の中で、「粘菌は動植物いずれともつかぬ奇態の生物」だと書いている。この「奇態の生物」は生きているかと思えば死んでいる。死んでいるかと思えば生きている。この変形体の生物は動物のように捕食活動もするところから、熊楠は粘菌を「原始動物」と呼んだ。

このような粘菌の不思議な世界に、熊楠は生命の神秘を見ていた。さらには仏教的な輪廻の思想にまで接近していったようだ。
粘菌が活動する姿の中に、熊楠が重層構造をもつマンダラをみていたとするのは、宗教学者の中沢新一だ。「粘菌と森が、彼をして、生命の秘密をにぎるマンダラの中心部へと、導いていった」(『解題 森の思想』)と述べている。「鬱蒼と生い茂る熊野の森。そこで、熊楠は生と死の向こう側にある、マンダラとしての生命の本質を見たのである」と。
熊楠にとって、熊野の森は単なる森ではなかったのだ。

森は、真性に出会える聖域として、日本人が古代から手つかずで護ってきたものであり、神の鎮まる場所でもあった。
熊楠の森は、彼のいう奇態の生物を観察する場所であると同時に、神そのものでもあったといえる。だから、そんな森を冒涜しようとするものは許せなかった。明治政府による神社合祀の動きに、いち早く反対運動を起こしたのも彼だった。
村々の小さな神社が壊され、粘菌が棲息する神社の森が失われるということは、それまで保たれてきた自然の有機的なバランスが崩れてしまうことを、彼は何よりも危惧したのだった。

「神社合祀は国民の慰安を奪い、人情を薄うし、風俗を害することおびただし」(『神社合祀に関する意見』)と、熊楠は書き残している。それは自然界のバランスのみでなく、そこに暮らす人々の心のバランスまで壊してしまうというものだった。
自然のあらゆるものに八百万(やおよろず)の神が宿るとする、日本人の宇宙的な宗教感覚が生まれたのも、あらゆるものが有機的なつながりをもって生きている、そんな森の存在は大きかったと思われる。
いま、冬の森の索漠とした寂しさは、熊楠のいう奇態の生物も森の神も、どこかに身を潜めているからだろうか。

 

 

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北の国の神たち

2025年01月09日 | 「2025 風のファミリー」



その言葉が耳から入ってきたら、どんな風に聞こえるだろうか。もしかしたらそれは、神の声に聞こえるかもしれない。

シロカニ ペ ランラン ピシカン
コンカニ ペ ランラン ピシカン

この美しい響きのある言葉は、アイヌ語とされる。もちろん、もとの言葉は口伝えによるもので、これは『アイヌ神謡集』に収められた13編の神謡(カムイユカラまたはオイナ)の冒頭の部分である。
それまで口承によって伝えられたものを、ローマ字で表記し初めて日本語に訳したのは、知里幸恵(1903〜1922年)という女性。彼女はアイヌの血を引き、アイヌの環境で育った19歳の若い女性だった。

その言葉は、次のような美しい日本語に訳された。

銀の滴(しずく)降る降るまわりに
金の滴(しずく)降る降るまわりに
さらに不思議な言葉は続いている、 
という歌を私は歌いながら
流れに沿って下り、人間の村の上を
通りながら下を眺めると

このとき下を眺めているのは、梟(ふくろう)の神とされる。この話は、梟の神が語る形になっている。だから物語の最後は、「と、ふくろうの神様が物語りました。」となっている。ほかにも、狐の神様や狼、獺(かわうそ)、沼貝などの神様が登場する。

これらの神様というのは、アイヌ語ではカムイと呼ばれているが、われわれが考えている神様とはすこし違う。神様を表現するカムイという言葉に対して、人間を意味する言葉をアイヌという。
アイヌ人にとっては、人間以外のものはすべてカムイ(神様)である。カムイとは、人間にないような力をもったすべてのもの、ということになる。それは梟や狐などの生物だけでなく、一木一草、山や川、風や太陽、さらには天然痘などの病気までもカムイだった。アイヌ人は、神様に取り囲まれて生活していたのだ。

カムイはカムイモシリ(カムイの国)に、アイヌはアイヌモシリ(アイヌの国)にと、カムイとアイヌはそれぞれに住み分けていたことになっている。
カムイたちはカムイモシリでは人間と同じ姿をして、人間と同じような暮らしをしていると考えられていた。そして、カムイたちが人間の前に現れるときは、それぞれ熊や狼の姿をしてやってくる。すなわち訪れる神である。熊の神は肉や毛皮をお土産として持参し、人間はお礼として酒やイナウ(御幣)で歓待する。すなわち狩猟と熊送り(イオマンテ)という祝祭がセットになっている。

カムイとアイヌの関係は対等だという。お互いに持ちつ持たれつの関係とみられている。人間からみれば自分勝手な考えのようだが、狩猟民族であるアイヌが、飢えから逃れるための生きる知恵だったのかもしれない。神と人間が対等であるということは、人間は神の罰を受けると同時に、神を罰することもできるということになる。たとえば子どもが川で溺死したりすると、川の神様の不注意だということで、人間は川の神様を糾弾したという。
カムイは全能の神ばかりではない。谷地にいる魔神というのは、人間の村を襲って大暴れするが、最後は報復されて「地獄のおそろしい悪い国」に追いやられてしまう。

また、『アイヌ神謡集』の中には、悪戯な蛙の神様が殺される話がある。悪戯といっても、ただ「トーロロ ハンロク ハンロク!」と綺麗な声で鳴いただけなのだ。若者が「それはお前の歌か、もっと聞きたいね」と言うので、蛙はさらに鳴いてみせる。すると「それはお前のユーカラか、お囃子か、もっと近くで聞きたいね」と若者。そこで、さらに近くで鳴いていると、いきなり燃えさしの薪を投げつけられて、蛙の神様は死んでしまう。なぜか理不尽な殺され方が強く印象に残る物語である。
「トーロロ ハンロク ハンロク!」という、美しい蛙の鳴き声もつよく耳に残る。そのような神様の声がきこえる国があったのだ。

知里幸恵が残した本は、『アイヌ神謡集』1冊だけである。この記録を残した直後に、彼女は持病の心臓病が悪化して、19歳の若さで死んでしまった。
この本の序文で、彼女は書いている。
「その昔この広い北海道は、私たちの先祖の自由の天地でありました。天真爛漫な稚児の様に、美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活していた彼等は、真に自然の寵児、なんという幸福な人たちであったでしょう」と。
大正11年(1921年)3月1日の日付が記されている。

 

 

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反骨の神さまが居た

2025年01月04日 | 「2025 風のファミリー」


正月は、ふだんは疎遠な神さまが身近に感じられたりする。お神酒やお鏡や初詣などと、神事にかかわることが多いせいだろう。最近では、初詣も近くの神社で済ませてしまうが、かつては山越えをして奈良まで出かけたものだった。
大阪平野と奈良盆地を分けるように、南北に山塊が連なっているが、その中のひとつに葛城山という山があり、この山の奈良県側の麓に、地元では「いちごんさん」と呼んで親しまれている神社がある。かつてよく通った一言主神社である。境内には樹齢1200年の大銀杏がある。
 
この神社の神さまは、司馬遼太郎の『街道をゆく』にも登場する。その中で、この神は葛城山の土着神であり、ひょっとすると、葛城国家の王であったものが神に化(な)ったものかもしれない、と記述されている。
また『古事記』や『日本書紀』にも記録があるらしい。雄略天皇が葛城山で狩りをしていると、自分と同じ顔をした、装束までそっくりな「長人」(のっぽな人)が現れた。天皇が「この倭(やまと)では自分以外に主はない。主のまねをするとはなにごとだ」と問い詰めると、「自分は神である。悪いことも一言、良いことも一言で言い放つ神、葛城の一言主の神である」と答えたので、天皇は「現人(あらひと)の神さまとは知りませんでした」と詫びてひれ伏したという。

また別の話もあり、そのとき葛城の神と天皇は大げんかになり、一言主の神は四国の土佐へ流されてしまったとある。そして300年後の764年にようやく許されて、再び現在の場所に戻ってきたことになっている。
このような話の背景には、当時広がりつつあった崇仏思想との軋轢も感じられる。「異国の神はきらきらし」と表現されたように、すぐ近くの斑鳩の地には法隆寺のきらびやかな堂塔伽藍が聳え立ち、あたりに威容を誇っていたにちがいない。そんな状況にあって、蕃神に屈服することなどできるかと、葛城の神は「今の世に至りて解脱せず」(『日本霊異記』)と、ひとり反骨を貫いたのだった。

元旦の早朝、私と家族は葛城山の懐を貫通する長いトンネルを抜けて、葛城の神様にお参りするのが恒例になっていた。この鄙びた神社を詣でるのは殆どが地元の人たちで、元旦の朝といえども閑散として、かえって荘厳さが保たれているところが好きなのだった。
神社の境内は葛城山の山腹にあるので、飛鳥の山々の上からのぼってくる太陽を正面に望むことができた。山の稜線が浮き上がるように、次第に褐色に縁取られてくる。突如はじけ散った太陽の光に射抜かれて、寒さに固くなっていた体が荘厳な神の世界に包まれる感じになる。ときには社殿の回廊から、「今年は晴れていて良かったですなあ」などと、現代の葛城の神主の声も聞こえてくるのだった。

一陽来復と大書された神社のお守りには、南天の実が入っている。南天と難転摩滅を掛けているのだろう。このお守りは節分の日の真夜中に、その年の恵方に面した壁に貼り付けることになっている。こうして1年の厄を払う。
「悪いことも一言、良いことも一言」と言い放つ葛城の神さまに、ことしのお前の願いごとは何か、一言で言えと問われたら迷いそうだ。欲の多い世の中に生きている人間にとって、一つだけの願い事というのは案外むつかしいことである。

 

 

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