その数日間、ぼくは毎日あてもなく近くの山を歩き回っていた。
風景は春がすみに覆われて、焦点の合わない夢のようにぼんやりとしていた。遠近感が曖昧になった視界の果てに立ちのぼる、阿蘇の噴煙も雲と見分けがつかなかった。
外輪山から幾重にも、山々が層をなしてなだらかに下りてくる。その中を、とぎれとぎれに白い煙が縫っているのがみえた。汽車が吐きだす蒸気だった。
汽車はいくつもトンネルを抜け、古代の大火山が噴き上げた、黒土と熔岩に覆われた原野を駆け下りてくる。そして、下りきった辺りに、ぼくの駅はあった。
いま回想の風景の中に、17歳のぼくはいる。高校を卒業したばかりの、希望と不安のないまぜな中で見つめていた風景だった。
そのころ、ぼくには将来の夢というものがあった。そのために、いつか文章にするかもしれない風景を、しっかりと記憶しておこうと考えていたのだった。大それた夢をもっていたものだ。
ローカルな鉄道では、汽車はまだ石炭で走っていた。窮屈な4人がけの木製の座席にすわって、一昼夜をかけて東京を目指した。昔も今も、線路は東京まで続いていたのだ。
そして歳月は、光のように超特急で走り抜ける。
いつのまにか郷里の駅は、ひっそりと無人駅になっていた。
誰もいない待合室から、木で囲われた懐かしい改札口を抜けて、廃駅のようにがらんとしたホームに出ると、ベンチに座ってしばらくぼんやりしていた。こんなに静かな駅というものに慣れていなかった。
とつぜん線路がかたかた鳴って、オレンジ色の列車が通過していった。体の中を風が吹き抜けていったようだった。歳月というものが目に見えるものだとしたら、無人駅を快速列車が通過するような、こんなあっけない光景かもしれないと思った。
小学生の頃に、この駅に見学に来たことを思い出した。
タブレットといって、手の平に載るほどの金属の小さな円盤を見せてもらった。それがないと、汽車は走ることが出来ないのだと、駅長さんが説明してくれた。
タブレットは汽車よりも先に駅に送られてきて、到着する汽車の車掌に手渡される。そこで古いタブレットと新しいタブレットが交換される。線路が単線であっても、汽車同士が衝突しないのはタブレットのお陰だということだった。
駅長さんの説明の仕方には、鉄道の仕組みを面白く話すことで、子どもたちの興味をひきつけようとする意図があったかもしれない。彼の話しぶりや身ぶりは手品師のようで、巧みにトリックが隠されたまま、小さな金属の円盤はぼくの頭の中に謎を残した。
そんな小さな金属の円盤が、どうやって汽車よりも早く駅から駅へ送られるのか、いくら考えても解らなかった。おそらく、ぼくは駅長さんの説明の大事な部分を聞き逃したのに違いなかった。
見学の帰途、駅長さんが大声で叫びながらみんなを追いかけてきた。筆箱の忘れ物があったらしいのだ。よくみるとそれは、ぼくの筆箱だった。
タブレットを忘れて発車しては駄目じゃないか、と駅長さんにからかわれた。
あれから幾度も、ぼくはタブレットを忘れて発車したようだ。大事なところで、大事な何かを置き忘れてしまう。幾度も脱線し、どこの駅を発ってどこの駅へ向かうのかも分らなくなることもあった。誰でもそうかもしれないが、人生なんて、レールの上を走るようにきちんとしたものではなかったのだ。
祖母から聞いた話がある。
昔は汽車が駅に着いてから家を出ても、じゅうぶん発車に間に合ったという。祖母の家から駅までは30分ほども歩かなければならなかったのだが、それほど長い時間、昔の汽車は駅に停まっていたらしいのだ。時間もゆっくり動いていたのだろうか。
寝静まった夜中に、貨物列車が鉄橋を渡ってゆく音が、遠くから聞こえてくることがあった。
音はいつまでも途切れずに続いている。チキだとかトラだとか、見学で憶えたばかりの、貨物列車のさまざまな形を思い浮べながら、さらに闇の中に、どんどんと貨車を繋げていくうちに、やがて列車は、ぼくの夢の線路を疾走しているのだった。