風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

もうすぐ冬やなあ

2010年04月28日 | 詩集「母の肖像」
Jizou


洞窟礼拝堂には2階も階下もないそうやが


私は2階で寝ている
階下でこつこつと母の杖の音がしている
小さな昆虫のような音
背中もまがり指もまがり
母はだんだん昆虫に似てゆく


幼児よりも歩くのが下手になって
幼児みたいに泣きながら
きっとまた祈るような声で
いたいいたいと言っている
歩幅も小さくなり
声も小さくなり
いっぱい葉っぱが落ちよる
もうすぐ冬やなあ
などと
ひとりごとを言ったりもしているだろう


私の言葉は母をとがめるので
私はすぐに2階に上がってしまう
母は冬の着物を2階に置いたままだが
もう階段を上がってくることもできない


切支丹には夏も冬もないそうやが
そんな話を母から聞いたのは
ずっとむかし


(2004)


2010年04月22日 | 詩集「母の肖像」
Mado2


雨あがりの道を母と歩いていた
虹だ
おかあさん
虹だよ
ふりむくと母はいなかった


手の感触だけがある
母はよく左の胸をおさえていた
あれは母の癖だとばかり
思っていたが


虹は
とつぜん現れてすぐに消える
その一瞬に
おかあさん
と声がでてしまう


おかあさん
胸がいたいの?


きょう虹を見たよ
おかあさん
ふりむくと娘が立っている


(2005)



2010年04月22日 | 詩集「母の肖像」
Ageha_2


鏡のなかに母がいた
ていねいに髪をすき
眉や唇が整えられて
すこしずつ母は女になってゆく


おかあさん
と呼んでみるが声は届かない
母はガラスの向こうにいる


美しい人になって
美しい人の視線のさきには
美しい人しかいなくて
ひとりでうなずいて
美しい人は美しい人と消える


     *


鏡のなかに小さな部屋が残される
みにくい顔の少女が立っている
部屋のなかにも部屋があり
少女のうしろにも少女がいる
少女は幾人もいるが
ひとつの部屋にはひとりしかいない


     *


鏡のなかに私がいる
まゆ毛をぜんぶ剃って
唇をていねいにかく
私はすこしずつ女になって
すこしずつ美しくなる
やがて美しい人になった私は
ガラスの部屋から消える


(2005)



背中

2010年04月22日 | 詩集「母の肖像」
Karin


母の背中におさな児がいる
あれは私かもしれない
ゆうぐれの黒い山にかこまれている
いつのことだか
どこのことだかもわからない
眠ることもできないでいる


いくつもの夜を
いくつもの母の背中に残したまま
ふり返ることもせず
目覚める苦しみばかりを見つめていた


背中の向うにも背中
いつのまにか
母の背中を背負っている
子どもたちが眠ったあとに
たくさんの背中の小山ができてしまうので
えいやっとジャンプして
私も夜の山をこえる


(2005)


2010年04月22日 | 詩集「母の肖像」
Batta


おとうさんは帽子と靴だけになって
夏はかなしいですね
おかあさん


虫は人になれないけれど
人は虫になれる
と母は言う
両手と両足を地べたにつける
そうやって虫の産声に耳をすますだけでいい
生まれたばかりの
透きとおった翅のままで虫は
すすきの葉のように体をまっすぐに伸ばした


夏はおもいっきり雌になって
わたしの体は緑色にふくらんでいる
雄になりたいきみ
足を折り曲げて後ずさりばかりしないで
枯れたハルジオンの上を跳んでおいでよ
翅が茶色くなるまで交尾して
きみの夏がすっからかんになったら
薄っぺらな翅だけ残して
全部わたしが食べてあげる


胡瓜の蔓に嘔吐したり
ときには西瓜の夢にうなされても
雌たちは生きつづける
幾度かの夕立のあとに
虫は土に還ってしまうが
地べたを踏んばったままの母とわたし
ことしも夏にとり残される


これが虫の夏さ
帽子も靴もありゃしない
すっからかん


おかあさん
帽子がいま何かしゃべりましたよ


(2005)