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風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

記憶の花びらが

2025年04月22日 | 「2025 風のファミリー」



このところの妻の言動や行動に惑わされていると、だいぶ以前に亡くなった母のことがしばしば思い返される。当時、母の近況が書かれた手紙を妹からもらったことがある。
新しい介護施設に移って2週間、環境が変わったけれど、母にはなんら変わった様子もみえないという。
妹は1日おきに施設を訪ねているが、そのたびに、初めて訪ねてくれたと言って淋しがるらしい。それでいて、ケアマネージャーには、娘が毎日来てくれることが唯一の楽しみだと言ったりするという。まばらになった記憶が、時と場所をこえて繋がったり切れたりするようだった。

手紙の中で妹は、
「わたしたちは、まばらではあっても記憶が1本の糸で繋がっているのだけれど、ばあちゃんにはもうその糸が無くなって、花びらが舞ってるみたいなのかもしれません。その花びらの1枚がひらひらと目の前に落ちてきたとき、その1枚の記憶がとつぜん蘇ってくるのかもしれません」と書いてあった。
介護施設の窓からは、以前に月参りをしていた稲荷神社の鳥居が見えるので、母は喜んで手を合わせているという。当時は駅前で商売をしていたことなども介護スタッフに話したという。その頃のことは、母の記憶からすっかり抜け落ちていると思っていた妹にとって、そんなことは驚きだったという。

また入所者の中に、顔が合うと手を上げてにっこりするおばあさんがいるらしく、その人のことを母は、アベのおばあちゃんだというのだが、アベのおばあちゃんというのは、妹が子供の頃に相当なおばあちゃんだったから、今でもおばあちゃんで健在かどうか、妹には信じがたいという。
先日は、不眠症ぎみの母が眠れないでいたら、誰かが一晩中そばで付き添っていてくれたという。そのような親切な人がいるのかどうか分からないが、それも記憶の花びらの1枚だったのかもしれないと、そのような手紙だった。

どこかで満開の山桜などが咲いていて、ときどき花びらが風に乗って舞い降りてくる。アベのおばあちゃんだったり、お稲荷様だったりして、花びらはとつぜん母の枕元に舞い散ってくる。そうやって母の記憶の中から、たくさんの花びらが降ってくれれば、それもすばらしいことかもしれないと、その時は思った。
いまは妻の周りで花びらが舞い散っている。記憶の花びらが窓から舞い込んできたり、雲の向こうに舞い上がったりする。1枚1枚の花びらは花の真実であろうが、その花びらがどこから舞ってくるのか判然としないことが多くて、私は日々花びらの風に翻弄される。

 

 

「2025 風のファミリー」




 


花は咲き 花は散り

2025年04月17日 | 「2025 風のファミリー」



あっという間に、花から若葉の季節にかわった。
季節の足が速すぎるような気がする。私の脚がだいぶ重くなってきたせいもあるかもしれない。桜という言葉を失ってしまった妻は、もっぱらピンクピンクと言いながら花を追った。季節と駆けっこするつもりはないけれど、なんとなく周りのいろいろな動きに、置いてきぼりにされている思いがする。引きこもりがちの春だったから、仕方ないといえば仕方ないか。

季節の歩みが遅いと感じていた頃もあった。
その頃は若かったのだろう。先走っていたり慌てていたりすることが多かった。速いということがなにより優先と、習慣づけられていたのかもしれない。せっかちといえばせっかちだった。
それが生来のものだったのか、それとも躾けられたものだったのかよくは分からないが、背後にいつも父の声がしていたことも確かだ。

「はよせえ、はよせえ(速くしろ速くしろ)」という父の声が今でも聞こえてくる。
私がのろまだったのか父がせっかちだったのか、どちらかだったのかもしれない。何かをしようとすると、背後に父の声がしてくる。ぼんやりしていても聞こえてくる。ついつい何かをしなければと焦ってしまう。何かをやり始めると、早くしてしまえと尻を叩かれているような気分になる。

いつのまにか歩くのも速くなった。食べるのも喋るのも速くなった。
仕事をするのも速かったと思う。おかげで得をしたこともあるが損をしたことも多い。
会社で仕事をしていたときは、手早いぶん仕事量が増えて、いつも忙しくて疲れ気味だった。サラリーマンをやめ独立してからは、早くこなせた分は、それだけ収入が増えて良かった。大阪人はせっかちが多いから、速いということは仕事上は利点にも信用にもなるのだった。

大阪では「せえて、せきまへん」という言葉をよく使う。急ぐけれど急がない、といった矛盾した言葉だ。「せきまへん」の方を真に受けてゆっくり構えていると、まだかまだかと催促してくる。何事にしろ大阪では、せっかちになる環境は整っているのだ。
季節の移り変わりも、大阪では早足なのかもしれない。きっと地面の底でも、根っこの親父たちが「はよせえ、はよせえ」と急かしているのだ。

 

 

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ラブレター

2025年04月10日 | 「2025 風のファミリー」



ラブレターにまつわる思い出は、どれもほろ苦くて、心に痛みを伴うものばかりだ。
最初の関わりは小学生の時だった。
クラスのある男子からある女子に架空のラブレターを渡す。そんな悪戯を考える悪ガキがいた。グループの中で、たまたま私が清掃委員だというだけで書き役にされてしまったのだ。好きだとかキスしたいとか、それぞれが好き勝手に言い出す内容を、作文の才もない私が手紙らしくまとめていく。内容は覚えていないが、とても稚拙なものだったと思う。
その手紙を、グループのひとりが紛失してしまった。

担任は若い男の先生だった。ひとりひとり詰問されて、気の弱い子が白状してしまった。その結果、書いた私が犯人ということにされてしまった。昼休みに教室にひとりだけ残された。いきなり先生のびんたが顔に飛んできた。私はそばの机で体を支えているのがやっとだった。
自分では悪いことをしたという認識はなかった。けれども、先生の怒りは尋常ではなかった。きっと私は悪い奴なんだ。もう誰も私と遊んではくれないかもしれないと思うと、頬を叩かれた痛さよりも悔しさが残った。

ひとり教室に残って弁当を食べていたら、先生が教室に戻ってきて、さっきは痛かったか、と慰めるように声をかけてきた。その声は優しくて、まるで別の先生のようだった。それまで必死に堪えていた悲しさが、一気に涙になって溢れ出てきた。
そのあと、しょんぼりして校庭に出ていくと、みんなは何事もなかったように遊びに入れてくれた。
結局、私は悪いことをしたのかどうか自分でも解らず、先生の怒りの意味もよく解らないままだった。

中学生になったばかりで、またもやラブレター事件に関わってしまった。
クラスのある女子が、誰かに宛てたラブレターを持っているという。友人がそのことに興味を持っていて、その女子からラブレターを奪うことに、私も加勢してしまった。
その手紙は、奪った友人当人へ宛てたものだった。彼はそのことに感づいていて、ただ確かめたかったのかもしれない。お前なんか嫌いだと言って、彼は彼女を殴ったり蹴ったりした。
私は彼女のことが嫌いではなかったので、この展開は残念なことだった。じっと耐えている彼女がかわいそうだったが、共犯者になってしまった私は、彼に味方することしかできなかった。

恋というものがすこし分かるようになって、私は初めて自分のラブレターを書いた。もやもやした思いを素直に表現できずに、藤村の『初恋』の詩を流用したりした。そして、どきどきしながら投函した。すぐに返事は来た。優しい言葉で拒絶されていた。
すっかり自信をなくしてしまったので、次にラブレターを書いたときは、恋や愛などという感情は押し隠して、ちょうど夏だったので蝉のことばかり書いた。蝉について知ってるかぎりのことを熱をこめて書いた。ラブレターのつもりだった。けれども、何気ない手紙には何気ない返信しか貰えなくて、その恋は進展しなかった。

そののち少しばかりは大人になって、ラブレターを書く機会は再びやってきた。書き方もだいぶ上達していたと思う。長い長い手紙を書いた。何通か出した。けれども一通も返事は来なかった。彼女は字も下手で、文章を書くのが苦手なのだと言った。だから手紙を書いたことがないらしかった。皮肉なことに、この恋は成就した。
いつのまにか、文章を書くことが私の習性になった。もしかしたら、私は今でもラブレターを書き続けているのかもしれない。詩を書くときも散文を書くときも、自分のハートの熱いところを探りながら、それを誰かに届けたいと思って書いている。その結果、いくらかの快い反応を得ることもあるし、冷たくそっぽを向かれては落胆することもある。
心がおどる思いを言葉で表現して、しっかり誰かの心に届けるというのは難しいものだ。

 

 

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夢の感触

2025年04月03日 | 「2025 風のファミリー」



夜中に目が覚めた。
みていた夢の残像でもあるかのように、手のひらに柔らかい感触が残っている。
その感触に懐かしさがある。小動物の柔らかさだった。子供の頃の、記憶の底深くに沈んでいたものが、突然なんの脈絡もなく、眠りの切れ目に浮かび上がってきたみたいだった。

ぼんやりと、記憶のさきに知らない人が現れた。
その人は大きな布袋をぶら下げていた。その袋のふくらみをそっと撫でた。温もりのあるものが動いた。とっさに胸に込み上げてくるものが大きくて、声もかけられなかった。
それが子犬との別れだった。

子犬は6ぴき生まれた。
茶色が2ひき、黒が1ぴき、白が1ぴき、そして茶色と白のブチが1ぴき。もう1ぴきは憶えていない。もしかしたら5ひきだけだったかもしれない。
茶色と白のブチだけが、他の子犬よりも食い気が勝っていて成長が早かった。いつも真っ先にじゃれついてくるので、いちばん可愛がった。育ちすぎていたからか、ほかの子犬が全部もらわれてしまった後に、1ぴきだけ手元に残っていた。

このままずっと残っていて欲しかった。ブウという名前もつけた。
いつも後ろにくっついてきた。私が細い疎水を跳びこえたとき、ブウは跳びそこなって流れに落ちたことがあった。すこしドジな子犬だったのかもしれない。そんなことまで思い出した。
だがそれは、子犬とのわずかな楽しい思い出にすぎない。

こんな真夜中にどうしたというのだ。手のひらに残った布袋の感触がぬぐいきれず、眠りの続きに入っていくことができなくなってしまった。
あの時どうして、布袋からすぐに手を引っ込めてしまったのか。別れの悲しさや悔しさをどうして黙って押し殺してしまったのか。その時こころの奥に押し込めてしまったものが、こんな真夜中の、いま頃になって浮かび上がってくるなんて。
小動物のこころも知らず、悲しさも悔しさも、ただ受け入れることしか知らなかった内気な少年が、眠りの淵でぼんやり突っ立っている。

 

 

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花は忘れない

2025年03月25日 | 「2025 風のファミリー」



今朝はじめて、ハナニラの花が咲いているのを見つけた。
ハナニラは触れるとニラに似た強い匂いを放つが、それ自身も季節を嗅ぎつける鋭い嗅覚をもっているのか、冬の間ベランダで忘れられていた植木鉢に、いち早く春を運んでくるのもこの花だ。ささやかではあるけれど、忘れてはいなかったよと。

ベランダの植木鉢で、ハナニラが咲き始めたのはいつ頃からだろう。
最初はおそらく、小鳥か風が運んできたものではなかろうか。ある年の春、うす青色の小さな花が咲いているのが見つかった。その花はひとつかふたつ、ひっそりと咲いた。雑草にしては可憐だなと思った。そんな春があった。

また、ある年には、ベランダの植木鉢のすべてを侵食するほどの勢いになった。ハナニラは雑草のように繁殖力も旺盛だった。
その頃は家族も増えて、家の中もにぎやかだった。手狭になると幾度か住まいもかわった。やがて娘が結婚して、孫も生まれた。最後に息子が家を出ていくと、あとには夫婦だけが残った。
それからも変わらずに、ハナニラはわが家のベランダで咲きつづけた。

今年もまた、ハナニラの花が咲いたことを知らせると、妻はさっそくベランダに出て確かめている。可愛い花だと言いながら眺めていたので、その花の名前や花にまつわる思い出話をする。
いつものように妻は、私の言葉に頷きながらも、その花の名前を繰り返し聞き返してくる。妻にとって、花は確かにそこにある。しかし花の名前はすぐに消えてしまう。
いまやっと、一輪だけ咲いたハナニラの花、名前を忘れられても季節を忘れない花は、やがて賑やかに花の言葉を語り始めるだろう。

 

 

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