風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

紙のおじいちゃん

2010年05月03日 | 詩集「紙のいのち」



おまえに綺麗な紙のきものを着せたったら
紙人形のように可愛いやろなあ
そんなこと言うてはったおじいちゃん
いつのまにか
紙のおじいちゃんになってしもて


あれは風のつよい日やった
中学生やった私は下校の途中で
なんや空の方からおじいちゃんの声がしやって
凧のようなもんが街路樹に引っかかっとってん
ひらひら ひらひら
そんなとこでなにしてはんの
おじいちゃんはすっかり紙になってしもうてた


こんなに平べたになりはって
こんなにわやくちゃになりはって
私のラケットよりも軽いやないの
かなしいて かなしいて
私の涙でおじいちゃんが溶けてしまいそうやった


背筋がまっすぐ伸びていたおじいちゃん
朝は5時には起きだして
公園で仲間とおしゃべりするのが日課やった
盗難バイクを解体するヤンキーと喧嘩したり
ランドセルの小学生をからこうてみたり
啓蟄や夏越や爽やか赤蜻蛉やゆうて
昆虫のように季語を追いかけはってた
おじいちゃん


それやのに
ただの白い紙になってしもて
もう五文字も出てきいへん
七文字も出てきいへん
言葉をどこへ置いてきはったん


おばあちゃんがなんもかも
持っていってしもたんやろか
少しずつ少しずつ紙にうずもれて
紙くずみたいになってしもて
おじいちゃんが必死になってさがしたんやけど
終いにはなんも残らへんかった


きりがないねん きりがないねん
おじいちゃんは呟きながら紙をちぎってはった
生きるんかて死ぬんかて きりがないねん
おじいちゃんの体が
あれから急に軽うなりやった


おじいちゃんの紙のきもの
よれよれになった袖やすそを
ときどき鋏で切ったげるとしゃんとなって
わずかだけ昔のおじいちゃんに戻るみたいやった
そやけど すこしだけ小っこうなって
ますます小っこうなって


おじいちゃんは紙の眠り
おじいちゃんは紙の目覚め
すっかり紙にくるまれてしまはって
おじいちゃんのかなしみ
もう紙のいのち


おじいちゃん
風の日はそとに出たらあかんえ
雨の日もそとに出たらあかんえ


あした私は紙人形になって
この家を出てゆくけれど


(2005)


紙ヒコーキ

2010年04月21日 | 詩集「紙のいのち」
Sunset


ゆっくりと空が
失速するとき
寄り添うふたりの体
両手はどこまでも伸びて
風の声をひろう


ずっとこのままでいたい
きまぐれな風に祈る
吐息ほどの浮力があれば
翼のときは続くだろう


折りたたまれた紙の
鋭角はかなしい
切りさいてゆく風の
はやさに追いつけなくて


紙のような
美しい比喩を見失ったら
ただの人となって落ちてゆこう
下降する角度は
たぶんやさしいから


燃えつきた雲の
夢の縁にそって
しずかに水平に眠るとしよう
朝はいつも
地平にあるから


(2005)



おりがみ

2010年04月21日 | 詩集「紙のいのち」
Time


あなたの指先をみつめていました
青磁色の季節のへやで
かなしみを小さく折りたたんでゆく
祈りのかたちを知りました


青いおりがみがいつしか
あなたの手のなかで海になる
深さの色にためらいながら
生きることを見詰めるひと
「わたしもうぢき駄目になる」*


あなたの指の
かたちのままに残されて
飛べない鳥たち
飛ぶということを忘れたころに
折りたたんだ羽がやっとひらく


祈りの鳥でなく
ただ白い海鳥
どこまでも波の軌跡を追ってゆく
魚族なかもめです


あなたの指の記憶をたどる
私の指のかたち
海よりも青いところへ
祈りはもう
届かないけれど


(2005)






栞(しおり)

2010年04月21日 | 詩集「紙のいのち」
Koishi


5月の花と木と草と
光と水と緑と
あなたを運んでくる風と
ゆれ動くものの
すべて


あなたの
言葉のひとつひとつ
言葉にならなかったものも
余白のままで残る
あなたのすべて


熟した果実のたしかさで
あらゆるものが
私の両手のうえで
やさしい均衡をたもつ
このとき


藍と朱色の
にじんだ羽をもった
小鳥のように降りたつ
いまのいま


私の胸の
透明なあばら骨のすきまに
挿しはさまれた
美しい栞


(2005)


ペーパーホーム

2010年04月21日 | 詩集「紙のいのち」
Shio2


初潮という言葉と海とのつながりとかを
ぼんやりと考えていた頃に
おまえの家は紙の家だとからかわれ
私は学校へ行けなくなった


私は紙のにおいが好きだった
鼻をかむ時のティッシュのにおい
障子のにおい
襖のにおい
紙でできた家があったらすてき
そんなことを文集に書いた


けれども紙の家は雨と風によわい家です
とても壊れやすい家です


紙の家を破いて
とうとう弟も家出した
弟のへやの壁に穴があいている
ぬけ殻のように自分のかたちを残していった
威張っていたけれど小さくてかわいらしい穴だ
壁穴のむこうには何もない
弟には何かが見えたんだろうか


弟があけた壁穴のそばには
きょうだいで画いた古い落書きがある
子どもがふたり手をつないで立っている
目と口の線が笑っている
しあわせを表現することなんて
しあわせになることよりもずっと易しい


台所の壁にも穴があいている
3年前に母があけた
こんな家なんかもうすぐ壊れてしまう
母の口ぐせだった
いつのまにか父も帰ってこなくなった
1年以上も帰ってこないということは
この家を捨てたということだろう
私たちを捨てたということだろう


残ったのは祖母と私だけになった
ふたりとも引きこもりだから出てゆけない
祖母は私を愛していると言う
私は祖母を愛していないと思う
このところ祖母はほとんど言葉を失って
もう私たちに通じあう言葉がない
猫のようによく眠る祖母は
そうやってすこしずつ死んでゆくのだろう
私にはもう涙も残っていないから
しずかに死ねる年寄りはしあわせだと思うことにする
死ぬことも生きることも
私は若いから苦しい


弟のぬけ殻の穴を
私は毎日すこしずつ広げてゆく
壁穴のなかの青い空
切り取られた空は水たまりに似ている
水たまりは湖になり
やがて海になるかもしれない
深い茫洋のそとへ
私は紙の家をすててダイブする
あかい血があおく染まり


そのとき私は
初めての潮になる


(2005)