風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

美しい言葉

2017年04月28日 | 「新エッセイ集2017」

『わたしが一番きれいだったとき』という、茨木のり子の詩を読んだことがあるひとは多いと思う。実際もきれいなひとだったらしくて、『櫂』という詩誌の同人だった川崎洋が、初対面のときの印象をきれいなひとだったと、どこかで書いていた。

彼女の『二人の左官屋』という詩の中に、「奥さんの詩は俺にもわかるよ」という詩行がある。たしかに彼女の詩はやさしく読める詩が多いので、幅広い年齢層に親しまれているようだ。
彼女の詩の読みやすさは、散文に近いということもあるが、一見やさしそうにみえる詩の背後に、社会に対する透徹した見識や厳しい創作の姿勢があるから、何気ないやさしい言葉が、共感を得る美しい言葉となっているのだろう。

『美しい言葉とは』という自身のエッセーの中で、日常会話においても文学作品においても、美しい言葉とは「いつまでも忘れられない言葉」のことだと述べている。
読むひとや聞くひとの胸に、棘のように刺さってくる言葉であっても、「良くも悪くも一人の人間の紛れもない実在を確認できるもの」であれば、それは美しい言葉であるという。ひとりの人間が、その言葉の中に見えるか見えないか、それは美しいと同時に重い言葉でもあろう。
そのひとの弱さをあえて隠さない言葉であり、整理しても整理しきれない部分を含んだ言葉であり、語られる内容と過不足なく釣り合っている言葉、などが美しい言葉だという。言葉に対しての、かなり厳しい姿勢が要求されている。

どんな些細なことであっても、そのひとなりの発見を持った言葉は美しいという。そのことを、表現する言葉が正確であり、あるいは正確さへと近づこうとしている言葉は美しいという。
そしてさらに、言葉以前の問題として、そのひとの「体験をみずからの暮らしの周辺のなかで、たえず組みたてたり、ほぐしたりしながら或る日動かしがたく結晶化させる」ことだと述べている。

独自の発見があるということ、表現が正確であるということ、さらには内容において、これまで見聞した経験が十分に自分の中で純化され、自分独自の認識になっているということ。これらのことは、あたりまえなことのようだが、美しい言葉へのハードルの高さを感じさせられる。

倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ
       (『倚りかからず』)

できあいの思想や宗教や学問には倚りかかりたくないという。さらには、いかなる権威にも倚りかかりたくないと、凛として言葉と真摯に向き合い、倚りかからない詩人の言葉は、ことさらに美しくもあり厳しくもある。



飛鳥の風になって

2017年04月25日 | 「新エッセイ集2017」

近鉄飛鳥の駅前で、レンタサイクルを借り、中学生の健太くんとふたり、飛鳥の風になって野を駆けた。
風が気持ちええなあ、と健太くん。
うん、飛鳥は千年の風が吹いてるよってな、特別なんや。

古代の不思議な石像なんかに出会いながらの、気ままなサイクリングになりそう。猿石からスタートして、鬼の俎板と雪隠へ。
石棺も主が居なくなると、鬼の棲みかになってしまうんやな。
iPodをポケットに入れた健太くんが低い声で歌っている。

    私のお墓の前で
    泣かないでください♪

その次の亀石は、あまりにも何気ない民家の陰にあったので、通り過ぎてからUターン。
亀はあざ笑うかのような笑みを浮かべて突っ伏していた。
そやけど蛙にも見えるなあ、と健太くん。
そう言われれば大きながま蛙にも見える。
飛鳥はすべての石像が、千年の謎をかけてくるから敵わない。

甘樫ノ丘で持参のおにぎりを食べる。
大和三山も、春霞みの中で小島のように浮かんでいる。たゆたう風景も、時を超えて流れついたようだ。
飛鳥寺の鐘が、ときおり深い水の底からのように、ぼ~んと浮き上がってくる。
お腹が落ち着いたところで、がらんとした国立飛鳥資料館で、軽く学習タイムにはいる。
気に入った川原寺のせん仏を、カメラで覗いていたら、そいつにかぎり撮影禁止とか。シャッター切ったあとだから、データはしっかり残ったけどね。
仏像は記録するものではなく、祈祷するものだったんだね、ちょっぴり反省。

古代の道は平坦ではない。自転車でもときどきは、押して歩かなければならない。
中学生は元気だが、こちらは次第にペダルをこぐ足が重くなる。
竹林を抜けて酒船石へ。この石もまた謎かけをしてくる。だがもう、推理する気力も限界。どうせ学者にだって解けない謎なんだから、謎は謎のままでいいとしよう。
だが元気な健太くんは、しきりに頭をかしげている。これは君の宿題にしておこう。面倒なことは何でも、宿題にしてしまう先生みたいやけど。

最後は、発掘されてまだ新しい亀形石像物を見る。
小石が敷き詰められた窪地に、造形的にもすぐれて美しい石像物がふたつ。先端と尻に穴があり、ふたつは連結している。水が流れたり溜まったりした様子が、容易に想像できる。
ボランティアのおじさんガイドが、何でも質問してくれと言うので、何に使ったものでしょうかと訊ねると、さあ、すべては推定ばかりですと、そっけない。こちらも疲れているので、はあ、そうですか。それ以上の追求は止めた。
しずかに石が歌っている。

    そこに私はいません
    眠ってなんかいません♪

じやあ、どこにいるんだ。なにをしてきたんだ。
おまえのことを誰も知らない。
中学生の健太くん、きみには長い時間が残されている。いつか、千年の時間を超えることもできるかもしれないね。
飛鳥の風が、千の風になって吹き渡っていた。


涙は小さな海だろうか

2017年04月19日 | 「新エッセイ集2017」

娘の家族が、潮干狩りで収獲したアサリをくれた。
さっそく妻が砂ぬきをするのだといって、アサリを塩水に浸ける。
海水と同じ濃度の塩加減でないと、うまく砂を吐き出さないのだと言う。いつのまにどうやって、妻は海水の濃度など覚えたのだろうか。女だからわかるのか、それとも、年を食っているからわかるのか。
女はやはり、海の生き物に近いのかもしれない。

塩加減がよかったのか、アサリは活発に潮を吹いたので、すぐさま台所から風呂場に移されてしまった。
ぼくは気になって、ときどき風呂場を覗いてみる。
アサリは生きている。触角だか舌だか、軟らかそうなものを伸ばしている。
生き物だと思って眺めていると、なんだか情が移っていきそうになる。
縄文人ではないのだから、お前を食わなくても生きてはいけるのだ。

海水と、ひとの体液や涙の成分は似ているらしい。
アサリがさかんに飛ばしているものも、アサリの涙かもしれない。
「なみだは にんげんのつくることのできる 一ばん小さな海です」
といった詩人がいた。
海を恋いながら、風呂場の小さな海で溺れている、囚われのアサリは憐れでもある。

だが、そんな憐憫の情も明日になったら忘れているだろう。
酒蒸しだ、潮汁だ、アサリご飯だと、縄文人のしょっぱい血が騒ぎはじめるのだろう。
「夜が明けたら ドレモコレモ ミンナクッテヤル」
といった女の詩人のように、ぼくもまた生き物の涎をたらすだろう。
小さな海は、すぐに干上がってしまう哀しい海なのだ。


     (文中の詩句は、
        寺山修司「一ばんみじかい抒情詩」、石垣りん「シジミ」から引用)


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西行の桜

2017年04月13日 | 「新エッセイ集2017」

ことしも、吉野の桜を見てきた。
こよなく桜を愛した西行も、いつかこのような吉野の花を見たのだろうか。
1985年4月に桜の吉野山で、作家の中上健次と俳人の角川春樹が対談している。
「やっぱりいちばん華やかで、いちばん怖くて気持ち悪いなあ、という感じの時が、この花の時ですね。いちばん妖しい感じですね」と中上がしゃべっている。
そんな桜が、満開の吉野である。

路地の作家と呼ばれた中上健次は、1992年に46歳の若さで病死しているから、ふたりの対談が行われたのは、その7年前のことになる。
その対談の中で、角川が「桜の人間くささ、動物くささ」ということを言い、中上が「(西行は)桜と話し、桜と寝ていた」と語っている。
中上「感度を上げると植物の言っていることが分かるように、西行はやっぱり話せたと思うし、ひょっとすると桜と寝ていたかもしれないという……。」
角川「そういうことなんだね。いや、それを感じたのは〈花の下にて春死なん〉、つまり桜の精とセックスをしているような感じさえあるんだよ、ある種ね。その言葉の中に……。」

    ねがはくは花の下にて春死なんそのきさらぎの望月の頃 (西行)

吉野山の一番奥まったところに、小さな西行庵がある。西行はそこで3年間ひとりで暮らしたのだった。
現代人は、こんな孤独な生活にはとても耐えられないと思う。けれども西行の孤独は、現代人の孤独とは異質のものだった。彼の生活は、非常に強靭な意志と情熱に支えられていた(角川)し、さらに西行は、自然・万物と交感する能力を持っていた(中上)。現代人よりもはるかに強かったのだ。

    吉野山こずゑの花を見し日より心は身にも添はずなりけり (西行)

西行の歌には、心という言葉がよく出てくる。
西行の心は、ただ桜の心と通い合っていただけではなく、その歌は主情的ではあるが、
「〈万葉〉にあった神話の輝きみたいなものが、既に言葉からなくなっている。その代わり〈心〉というのが出てきて、〈心〉が同時に、春樹さんのおっしゃる〈仏心〉というか〈仏性〉というか、そういうものをくっつけて保証されている感じがする」と、中上は言う。
修験道のような、土俗的な〈仏〉だろうか。

歌人としての繊細な心だけでなく、北面の武士としての、「荒法師のような、あるいは非常に強い、男性的な意志みたいな」(中上)ものを、西行はもっていたにちがいない。 そんな男としての西行が心酔した桜が、女性の象徴であったとしても不思議ではないような気がする。
角川は、西行の桜の中には「女」がみえると言う。

    西行の庵の闇に花女郎 (角川春樹)

満開の桜の下にいると、温かいものに包まれている感じがしてくる。 それは春の陽気に加えて桜の妖気、女の妖気のようなものかもしれない。そのとき、ぼく自身も男であることを意識してしまう。
懐かしいひとに会っているような、初めてのひとに会っているような、受け入れられているような、拒まれているような、なぜか戸惑いながら魅了されてしまう桜だ。


   (引用した対談は、角川文庫『俳句の時代』に収録されています)


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花の下にて春死なん

2017年04月07日 | 「新エッセイ集2017」

また桜の季節がきた。
父は桜が咲く前に死んだ。父の妹である伯母は、桜が満開のときに死んだ。
伯母は90歳だった。老人施設で、明日は花見に行くという前夜、夕食(といっても、流動食ばかりだったそうだが)を気管に入れてしまった。
まさに桜は満開、花の下にて逝ったのだった。

伯母の娘が嫁いだ寺で、親戚だけが集まって静かな葬儀が行われた。
葬式にしか集まらない親戚だ。これも仏縁と言うそうだが、いつのまにか親の世代はいなくなり、集まったのはいとこばかりだった。3年ぶりや5年ぶりに会って、それぞれに年だけはとって老けたが、話しぶりや話の内容は相変わらずで、がっかりしたり安心したりの、そんな仏縁である。

伯母は、晩年のほとんどを老人施設で過ごした。
その間はつねに病気がちで、娘は忙しい寺の雑務の合い間に呼び出されることも多く、病人の付き合いにほとほと疲れきったと言う。親が死んだというのに、こんなに嬉しそうにしていていいのかしらと、真に肩の荷が下りたふうだった。母親の死顔に接しても、あんなに安らかな顔をはじめて見たと言った。
出棺の前のお別れで、久しぶりに伯母の顔を見てみた。もはや現世の全てのことが抜けきった表情で、これが永遠の眠りに入った人の表情なのかと、しみじみ見つめてしまった。

戦中戦後の厳しい時代を生きて、舅姑にはひたすら尽くし、やっと育て上げた子どもや嫁とは、大きな時代の変遷の中でギャップができてしまい、年老いてみれば、若い頃の生活の無理がたたって、体のあちこちにガタが来てしまっている。
趣味をもつ暇もなかったので、老後はひたすら、体の不調を気に病みながら生きることになってしまう。
痛いだとか苦しいだとかの訴えにも、医者は最新の医療機器で細かく検査するのだが、目立った異常も認められないとなると、最後は病状を訴えることが病気であると判断して、大量の施薬のなかに抗うつ剤が加えられる。こころの部分が弱ってくると、いちばん厄介だともいえる。本人もまわりも、どんどん病いの泥沼にはまり込んでいくのだ。

伯母にも花の季節があったのかどうか。棺の中は次々ときれいな花で埋められ、死人は安らかな顔をして、花の人になってゆくようだった。
そとは花散らしの雨が降り、満開の桜も散りはじめている。

   願はくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月の頃

満開の桜の下で逝く人を、西行法師も羨んでいるかもしれない。