風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

光の向こうへ

2018年12月29日 | 「新エッセイ集2018」

 

光陰矢の如しなどと呟きながら
古い写真やフイルムをスキャナー駆使して
ようやっとデジタル化しました
消えてしまったモノや残っていたモノ
光の向こうへタイムスリップする
あのひともこのひとも
焚き火のそばで背中をあぶっている
ピースしてポーズする幼い顔たち
カワラ蹴りやナワ跳びや
シャモ(軍鶏)の喧嘩やお地蔵さんや
春はドンコやエノハにユキヤナギ
秋は山グリ酸っぱい木の実
白い光の向こうからやってくる
もう会えない人やモノばかり
カビやキズまでセピア色の懐かしさで
写真の数だけ背中がだんだん重たくなります
大切な思い出は光のアルバムにして
古い写真とネガは断捨離し
一寸の光陰軽んずべからずと背中を鞭うち
明日は明日の風に吹かれて
また新しい風景を探しに行きます



 

 
本年最後になりましたが、このようなブログにお付き合いいただき、ありがとうございました。
新しい年も、よろしくお願い申しあげます。
 
 
 
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星の神さま

2018年12月25日 | 「新エッセイ集2018」

 

まわりでは夜が明るすぎて、星は光を失ってしまったままだ。
そんな中に、偶然ひとつの星を見つけたようなものだったかもしれない。
ごく最近のこと、近くの図書館でだった。
山尾三省、それは初めて目にした名前ではなくて、いつかどこかで会ったことがある、かなり昔の友人に出会ったような邂逅だった。ぼくの記憶の本棚の中の、ずっと古いところに埃をかぶったまま置かれてあった、そんな懐かしい本の名前を見つけたようだった。

彼はかなりの先輩だったと思うが、いくどかサークルの部室で会ったことがあり、名前と顔だけは知っていた。たしか彼はその頃は小説を書いていた。大学の文学同人誌に載っていた暗くて難解な彼の小説をぼくは理解できず、そのことで彼との間には近づきにくい距離を感じていた。
いちどだけデモに誘われて同行したことがあった。そのときは、早稲田から代々木だったか四谷だったかまで歩いたのだが、途中、彼とどんな話をしたか、あるいは何も話さなかったのか、まったく記憶がない。
その後、ぼくは病気をして東京を離れ、文学の環境からも疎遠になっていった。だから、彼のその後の動向については、まったく知らなかった。

ぼくは早速、図書館にあった山尾三省の本を借り出して読んだ。
年譜によると、彼は1977年に一家で屋久島に移住し、それから2001年に63歳で亡くなるまで、ずっと島での生活を続けたようだった。屋久島の原生林や海や風と向き合いながら、哲学的宗教的な思考を深めていったようだ。
彼は書いている。
「ある種の岩なり草なり木達が、実際に声を放って語りかけてくるわけではない。草や木達、特に寡黙な岩がなにごとかをささやきはじめるのは、こちらの気持が人間や自我であることを放棄してその対象に属しはじめる瞬間においてのことであり、実際にはこちらの胸におのずから湧き起こるこちらの言葉として、それはささやかれるのである」(『森羅万象の中へ』)。
「ぼく達は、そのような岩達の無言の声に導かれて、なぜかは知らぬが、より深い生命の原点と感じられる世界へとおのずから踏み入っていくのである」と。

そのようにして、森羅万象の中から三省が見つけ出したものこそ神だった。彼はそれを、カミと表現した。
「太古以来、地上のすべての民族がカミを持ちつづけてきたのは、カミというものが「意識」にとって最終の智慧であり、科学でもあったからにほかならない」。
人間とは、とても弱い生きものなのだ。
「「意識」に支配されている人間という生きものは、自分の根というものを持たないと、深く生きることも安心して死ぬこともできない特殊な生きものである」と。
彼にとっては、彼が焚きつける五右衛門風呂の焚き口で燃える火もカミであった。「火というカミは、教義や教条を持たない。また教会も寺院も持たない」。
彼のカミとは、そのような神だった。

やがて三省の意識は、銀河系や太陽系の宇宙へと広がっていく。
彼は夜空の星座に向かって、「あなたがぼくの星ですか」と問いつづける。

    夜も昼も絶えず
    春も秋も絶えることのない 雨のような銀色の光がある
    母が逝き
    その年が明けて
    世界孤独という言葉をはじめて持った時に
    その光が はじめてわたくしに届いた

                   (詩集『祈り』から)

彼は死の間際になって、彼の意識が還っていける、母星ともいえる自分の星を見つけることができた。自分そのものでもある星を持つことができたのだった。それは彼の究極の「星遊び」(沖縄の言葉)でもあった。
彼は星の輝きに永遠なるものを見たことを確信する。
「星は、眼で見ることのできる永劫である。この森羅万象は、永劫から生まれて永劫に還る森羅万象であるが、星はその永劫そのものをぼく達にじかに光として見せてくれるのである」と。

そんな三省が永劫の星となって、かなりの年月が過ぎたことになる。彼の星に出会うのが、ぼくは遅すぎたかもしれない。
彼は、祈っている自分自身の状態がいちばん好きであると、詩の中で書いている。

    僕が いちばん好きな僕の状態は
    祈っている 僕である
    両掌を合わせ
    より深く より高いものに
    かなしく光りつつ祈っている時である

そのように、かなしく光る星は、今どこで輝いているのだろう。

 

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光の旅をはじめる

2018年12月20日 | 「新エッセイ集2018」

 

ああ、あわれサンタクロース。
年中無休の、春夏秋冬の、老いたサンタクロースが迷子になったとか。
相つぐ地震と台風と。
大地はひび割れ揺れ続け、雨と風は荒れ狂い、地上に生きるものの心の臓は乱れ打ち、血潮は高波となって鎮まらない。
地球では、暑すぎる夏と寒すぎる冬がながくて、花咲く春と秋はみじかすぎるので、日々は無為なままで過ごしてしまったとか。
あっというまに12月になって。
陽ざしがだんだん弱くなって、空の葉っぱもことごとく散ってしまい、虚ろにまぶしくて明るい一日は、あわただしく冬雲ばかりが流れ過ぎていく。
街は光があふれ路地は闇がみちて、サンタクロースはなかなか星のくにへ帰れない。
いちばん明るい星はどこにあるか。
星もまばらな都会の夜空を見上げながら、金星という星がどこかにあることを彼は知った。
聞くところによると、地球では一日はみじかいが、金星では一日はながく、太陽は西からのぼるという。
その夜、サンタクロースはとぼとぼと、夜明けの明星を探しながら西へ向かったとか。
そういえば久しく、彼に会ってないなぁ。

   右のポケットには
   赤い木の実とガラスの星
   長いながい冬の夢路を辿りながら
   光の旅をつづけるため
   そしてときには
   深くて暗い虹の川を渡るため
   左のポケットにも
   赤い木の実とガラスの星

 

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炉端の昔ばなし

2018年12月16日 | 「新エッセイ集2018」

 

細い川が流れている。
地の底からお湯が噴き出しているので、川の水もいくらかは温かいかもしれない。だが濡れっぽい道は底冷えがする。
狭い谷あいの川に沿って、古くからの温泉宿と新しそうな土産物店が混在している。静かでいて賑やかだ。谷の深みへと沈殿するように、人と水が集まってくるからだろうか。

古い民家風の休憩所がある。
囲炉裏があり、薪が燃やされている。壁も天井の梁も煤で真っ黒になっている。火のそばにすわって煙の匂いを嗅いでいると、すこしずつ体が燻されていくようで心地いい。
時をわすれる。ここに今あるのは、いつの時だろうか。
煙のように揺れながら、時間の柱を遡っていくうち、むかしむかしと始まる昔語りの時に引き込まれていく。

むかしむかし。
それは、いつのことかはわからない。時も人も曖昧な過去から現れるけれど、いつのまにか現在の人々の中に住みついてしまう。むかしむかしの時があり、いまの時もありつづける。むかしむかしの、いま。
ぼくが地蔵堂の石段を下りてきたのは、ついさっきのことだが、そこからもう一度、むかしむかしの石段を上ろうとしている。

むかしむかし、塩を売りあるく商いというもんがあったらしい。
その頃の豊後国の中津留というところに、貧しい塩売りの甚吉とその父親が住んじょったそうな。父親は寝たきりの病人で、それも甘ウリしか食べられないという病気じゃった。
しかし、その甘ウリを買うお金もない。悪事とは知りながら、甚吉は他人の畑の甘ウリを盗むことを考える。
近くのお地蔵さまに、商いの塩をほんのすこしだけ供えて、父親の病気が早く治ることを願い、やむなく甘ウリを盗みに行くことを告白する。

いざ覚悟を決めて、甚吉がウリ畑に忍び入るや、いきなり地主に首をばっさりはねられてしまう。あわれと思いきや、落ちたんは甚吉の首ではなく、お地蔵さまの首じゃった。
この身代わりになったお地蔵さまの首を、通りかかった本田勝十郎という旅の修行者がひろうた。
彼はその首を肥後の国に持ち帰ろうとしよったんじゃが、豊後の黒川というところで一休みしちょったら、「ここに安置してくれ」とお地蔵さまの首がしゃべったという。

それから黒川の村人は、お地蔵さまの首を大切に守りつづけたのだが、そのご利益があったのか、この黒川の地に温かい湯が湧き出るようになったという。
この温泉をたずねる現代の旅の修行者たちは、丸い木の入湯手形を手にして湯めぐりをする。
2か所か3か所の温泉をハシゴしたあと、不要になった入湯手形は、さまざまな願いをこめて地蔵堂におさめる。
いまどきの、甘い甘いウリはどこにあるのか。
それは、ここのお地蔵さまだけが知っているのかもしれない。

 

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山の向こう

2018年12月12日 | 「新エッセイ集2018」

 

古代の大阿蘇の溶岩が流れ下った、その麓の辺りで幼少年期を過ごした。周りは山ばかりだった。
山の向こうには何があるか。
  山のあなたの空遠く
  幸(さいはひ)住むと人のいふ……
そのようなカール・ブッセの詩のせいで、高い山の向こうには何かいいことがありそうだと、若いころは思ったものだ。
実際に、いくつかの高い山にも登った。
いいことは山の向こうにも、山のてっぺんにもあったけれど。

いくたび郷里に帰っても、山のかたちだけは変わらない。
そのことは、古い記憶が変わらない形で残されているようで、ときには陳腐で退屈で、目を逸らしたくなったりする。
それは退屈でやるせなかった記憶が、そのまま山の形で残されていたりするからだろう。とにかく、目のまえの山を越えなければならないと焦っていた。そんな若い日々がよみがえってくるからだろう。
ふるさとの山は、懐かしくもあるが憂いでもある。

九州の中央部に、標高1756メートルの祖母山という山がある。二十代の初めに、その山に登った。
どこまでも雑木が茂っていて、眺望はよくなかった。やっと空が開けたと思ったら一面の熊笹の原で、そこが頂上だった。
小さな小屋があり、男がひとり住んでいた。そんな淋しいところに、ひとりきりで生活できるということが驚きだった。丸太を薄く輪切りにしたものに山の名を焼印で押しただけのもの、それが小屋でお金に代わる唯一の土産品といえるものだった。
その日のうちに、山の向こう側へ下りた。そこには古い集落があった。古い神社があり古い神楽があった。かっぽ酒という、竹の筒に入った酒をはじめて飲んだ。

もう山登りもしなくなった頃、父と妻と3人で山道をドライブして、再びその町をたずねたことがある。
道路は林道のような、曲がりくねった細い道がどこまでも続いていた。途中ぽつんぽつんと民家があり、通り過ぎる村々の名前を、父は口に出しては懐かしがっていた。そんな遠くまで、かつて父は自転車で行商に回っていたのだった。
まっすぐなハンドルのがっしりした自転車と、後ろの荷台にいつも積まれていた大きな四角いかご。そんな自転車で、父がどこを走り回って何をしていたのか、その頃のぼくがまったく無関心だったことに、はじめて気づいた。

ずっと後にふたたび、久しぶりに山の向こうまでドライブした。
あえて山道を走った。道路は新しくなったり広くなったりしていたが、ところどころ林道のような細い道も残っていて、その道はかつて走った同じ道にちがいなかった。
街に入ると、幾本も新しい道路や橋が架かっていて、見知らない初めての街に来たようだった。
古びた石の橋から深い峡谷を覗いた。太古の阿蘇の溶岩が流れ出してできたという、切り立った崖と深い川の流れがそこにあった。

夕方になって、天岩戸神社から天安河原まで川沿いの道を歩いた。
岩屋戸に隠れてしまった天照大神をなんとかして外に引き出そうと、八百万(やおよろず)の神々が集まって相談した場所が天安河原だという。古い神に導かれる気分で、そのような神話の谷道をたどった。
天安河原はいたるところ川の小石が積まれていて、まさに賽の河原のようだった。
  ひとつ積んでは父のため
  ふたつ積んでは母のため
かつて母がよく唱えていたご詠歌が蘇ってきた。

そのころの母は、まだ30代だったにちがいない。
自分はもうすぐ死んでしまうというのが口癖だった。ご詠歌を詠ったり般若心経を唱えたりしていたのも、死を受け入れようとする気持ちと、曖昧な病いから救われたい気持ちの、止みがたい心の相克があったのだろう。
そんな母のご詠歌やお経は、少年の日々を暗くした。
天安河原で、古代の神たちは策略をねった。現代人は、父のためでも母のためでもなく、自分の願いごとを叶えるために石を積むという。

 

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