まだ夏の暑さが残る朝は、こもれびの光を浴びながら歩く。
アスファルトに落ちた、光と影のまだら模様がまぶしい。
かつてはそこに、黄金色に光り輝くものが落ちていた朝もある。
それは、まるで小さな宝石のようだった。
朝の光が生み落とした、小さな美しい虫だった。その虫のなまえは、タマムシ(玉虫)。
あの法隆寺の宝物、玉虫厨子の装飾に用いられたというタマムシである。
そんな美しい虫とは、めったに遭遇するものではなかった。それも、なにげなく路上に落ちているのだった。
タマムシをひろった朝は、一日の始まりが明るい光で満たされるようだった。
だが、そのような幸運な朝はとっくに失われている。
もう何年も、その虫を見かけていないのだ。
タマムシは、榎の木を好むという記事を読んだことがある。
近くの公園には、榎の大きな木がある。
その木の下を通るたびに、小さな光の粒が落ちてはいないかと立ち止まってみる。木のてっぺんを飛び回ってはいないかと見上げてみる。
だが足元には落葉ばかり、大木の空には青い空と白い雲。
美しい虫は人里を逃げ出してしまったのか、あるいは、美しいゆえに絶滅してしまったのか。
もう朝の光にかがやく虫はいない。そう思うと、朝の光もすこし陰ってみえる。

アスファルトに落ちた、光と影のまだら模様がまぶしい。
かつてはそこに、黄金色に光り輝くものが落ちていた朝もある。
それは、まるで小さな宝石のようだった。
朝の光が生み落とした、小さな美しい虫だった。その虫のなまえは、タマムシ(玉虫)。
あの法隆寺の宝物、玉虫厨子の装飾に用いられたというタマムシである。
そんな美しい虫とは、めったに遭遇するものではなかった。それも、なにげなく路上に落ちているのだった。
タマムシをひろった朝は、一日の始まりが明るい光で満たされるようだった。
だが、そのような幸運な朝はとっくに失われている。
もう何年も、その虫を見かけていないのだ。
タマムシは、榎の木を好むという記事を読んだことがある。
近くの公園には、榎の大きな木がある。
その木の下を通るたびに、小さな光の粒が落ちてはいないかと立ち止まってみる。木のてっぺんを飛び回ってはいないかと見上げてみる。
だが足元には落葉ばかり、大木の空には青い空と白い雲。
美しい虫は人里を逃げ出してしまったのか、あるいは、美しいゆえに絶滅してしまったのか。
もう朝の光にかがやく虫はいない。そう思うと、朝の光もすこし陰ってみえる。
