花が咲いて春がやってくる。今はそう思っている。
まるで花のことなど無関心だった子どもの頃は、春は水の中から生まれてくるのだった。
すこしだけ暖かい日に、田んぼの畦道を歩いていると、水たまりのように流れの止まった水路から、懐かしい匂いが立ち上ってくるのだった。それは冬のあいだ忘れていた土の匂いのようであり、草の匂いのようであり、風の匂いのようでもあった。
匂いは動いていた。軟らかい湯気のように空気を動かし、そばの水たまりを動かしていた。水辺に近づいてみると、小さな命が動いているのだった。ゴミのような幼虫だったり、泥からのぞいているどじょうのヒゲだったり、おたまじゃくしの黒い塊だったりした。
幼い生き物たちが水をまきあげ、水はさらに水面を離れて空中に立ち上ってくる。大気がだんだん水の匂いで満たされると、まわりの風景もしだいに水色に染まっていくのだった。
*
わたしは水のなかに棲む
おたまじゃくしです
水の底は静かで
時間はゆっくりと流れていました
けれども平穏なときは長くは続きませんでした
水の生活を優雅に導いてくれた
長い尾っぽに異変が起きはじめたのです
日ごとにつやとしなやかさが失われていくようなのです
この尾っぽが無くなったら
自由に泳いで夢みることも失われるのでしょうか
貝殻のようになって
水の底に忘れられてしまうのでしょうか
それに昨日きょうは
まわりもすこし騒がしくなりました
そうです、あの声です
「クラムボンは死んだよ」
「クラムボンは殺されたよ」
「クラムボンは死んでしまったよ……」
だれかが殺されたようなのです
死んだようなのです
わたしもそうなってしまうのでしょうか
それだけではありません
これまで流れる雲を静かに写していた
お気に入りの水の天井を
とつぜん何者かがかき乱していくのです
銀色の閃光がわたしの空をかき消すのです
するとまた
あの子供たちの不安げな声が
「おとうさん、お魚はどこへ行ったの」
「魚かい、魚はこわいところへ行った」
「こわいよ、おとうさん」
わたしはもう幾日も何も食べていません
わたしの川底がわたしのものではなくなっていく心細さと
あの空の裂け目に突然のみ込まれてしまう不安
それよりもこの体が
日ごとみすぼらしくなっていくのが心細いのです
でも嘆いている時間もないかもしれません
とつぜん水面に黒い影がおちて
「にわかに天井に白い泡がたって、
青びかりのまるでぎらぎらする鉄砲弾のようなものが、
いきなり飛び込んで来ました」
わたしはびっくりして川底の砂にしがみつきました
まわりの水が濁って真っ暗になったのです
これで何もかも終わったと思いました
静かでした
それはほんの一瞬だったかもしれません
その時また
あの子供たちの声が聞こえてきたのです
「こわいよ、おとうさん」
「こわいよ、おとうさん」
まわりの水が澄んでくると
おもわず喉の奥がげろっと鳴って
大きな空気のかたまりが水中で弾けました
そして、なんということでしょう
川底の砂をしっかりと掴んでいたのは
はじめて見る
わたしの4本の足だったのです
(「 」の部分はすべて、宮沢賢治の『やまなし』からの引用です。)