風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

ゆっくりのんびりと

2019年12月29日 | 「新エッセイ集2019」
春が来たら返すつもりでいます
借金ではありません、運転免許証です
50年間、ぼくの旅のハンドルだった大事なもの
アクセルとブレーキが足だった
阪神高速や東名高速道路や中国自動車道から
東京の首都高速道路や中山道の中央高速道路は幾度となく
瀬戸内海の3つの橋をフェリーで潜る
郷里への道は九州のやまなみハイウェイ
見知らぬ先祖を訪ねる旅は四国しまなみ海道
紀伊半島や十津川の山道は逃避ドライブのようで
さらには北陸自動車道から能登半島へ
北は海霧の常磐自動車道から初めての東北自動車道
わんこそばと宮沢賢治と三陸海岸の
崖と浜と琥珀のドライブだった
ホンダN360から日産ブルーバードまで
忘れられないタイヤ痕はあちこちに
いまも未整理な風景写真のままで
旅の感興もスピード違反でスルーしたかも
これからはゆっくりのんびりと
ハンドルもなし免許もなし
超スローな亀足でゆくつもりです




ことしも応援!ありがとうございました。
いいね!のサインもいっぱいいただきました。
とても励まされました。
新しい年もよろしくお願いいたします。


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ポストマン

2019年12月24日 | 「新エッセイ集2019」
いちにちに
白い氷の丘をみっつ越えるんだ
と彼は言った
手紙の宛先はひとつ
行き先もひとつ
ミエニアヴロ市トゥントゥリコルヴァ村8番地
ミス・イリナ・トゥントゥニン
世界一美しい彼女
世界中から愛の手紙が集まる
彼の配達カバンはいつも重かった

その日もいつものように
白い氷の丘をみっつ越えた
すると目の前に見慣れない川
こんな川がいつのまに
それとも道をまちがえたか
ミエニアヴロ市トゥントゥリコルヴァ村8番地
ミス・イリナ・トゥントゥニン
目をつむっていても迷うことはない
ああ、なんたるこった
川幅はどんどん広がっていく
しかたない手紙は紙ヒコーキにして
向こう岸に飛ばしたが
届いたのはわずか
ほとんどは川におちた

その次の日もまた
白い氷の丘をみっつ越えた
もう向こう岸も見えなかった
彼は泣きながら叫んだ
ミエニアヴロ市トゥントゥリコルヴァ村8番地
ミス・イリナ・トゥントゥニン
こんなにいっぱいの愛の手紙を
どこに届ければいいんだ
美しいひとも白いポストも
ぜんぶ消えてしまった
陽は昇らない陽は沈まない
おおデスタン
彼はポストマンをやめた

そして彼は
愛の手紙をいっぱい書いた
手紙の宛先はもちろん
ミエニアヴロ市トゥントゥリコルヴァ村8番地
ミス・イリナ・トゥントゥニン
あなたは世界一美しい
あなたは青い空と白い丘のすべて
風の道と雲のしるべ
どんなに言葉を連ねても
追いつけない

愛の言葉はどこにある
彼は探した
村にのこる古いうたの言葉
美しいひとが歌った美しいアリア
ミエニアヴロ市トゥントゥリコルヴァ村8番地
その村は水の中
ミス・イリナ・トゥントゥニン
彼女は美しい鯨だったのか
どんなに待っても返事はかえってこない

白い氷の丘をみっつ越えると
目の前には大海原
無数の紙ヒコーキが漂っている






夢みる頃を過ぎても

2019年12月19日 | 「新エッセイ集2019」
眠りに入ったら目が覚めるまで、夢など一切みないという人もいるが、ぼくは就眠中ずっと夢を見ているような気がする。もしかすると、目覚める瞬間だけ夢を見ているのかもしれないが、夢から開放されてぐっすり眠ったと感じることは少ない。ときには夢に疲れて起きてしまうこともある。
記憶に残らない夢もあるし、妙に鮮明に残る夢もある。どちらかというと記憶に残るような夢をみるときは、体調や情緒が不安定なときが多い気がする。それに反して、楽しい夢で目が覚めるときは体も心も安定している。もちろん、ぼく自身の勝手な夢解釈ではあるが。

このところ頻繁にみる夢は、乗りたい電車の行き先がよくわからずに乗り遅れるとか、道に迷ってしまってなかなか家に帰れないとか、学校や会社に行きたくなくて、仮病を使ってサボっているとか、後ろ向きな夢が多い。
夢の中でしきりに焦っていたり、自分の弱さを責めたりしている。
季節的にも冬場は特にモチベーションが下がり気味なのだが、さらに先日来のパソコントラブルの疲れも引きずっていそうで、自分でも意識できない深いところが傷ついているのかもしれない。

冬の寒さにも徐々に慣れてきたし、パソコンの作動も正常に近づいてきたので、ぼちぼち平穏な夢が戻ってくることを期待している。
子どもの頃のように、ライオンや妖怪に追いかけられる夢はもう見ないし、親が死んで悲しんでいる夢ももう見ない。臆病だった子どもの時代はとっくに過ぎたし、両親ともとっくに死んでしまっているからだろうか。
それどころか、子どもがえりしたり、生きている親と会えたりするのが夢の世界だ。そんな夢を見るときは心身ともに穏やかなようだ。

人間は眠ることによって再生すると言われている。
できることなら、夢の中では自分が思うがままの夢をみて、思いきり充足されたいものだ。
夢の中で、夢を自由に操作することはできないのだろうか。
自己催眠とやらの訓練をしたことがある。そのようなやり方で意識下の意識を動かすことによって、夢の世界も自分の思うように動かせないものだろうか。それができれば楽しいと思うが、しょせんは夢にすぎない。馬鹿な寝言か夢物語と言われそうだ。





日常生活ってどこにある

2019年12月15日 | 「新エッセイ集2019」
12月に入ってからずっと、パソコンに振り回されてきた。
そのせいで、日常の生活のサイクルがすっかり狂ってしまった。
ああでもないこうでもない、と迷路に迷い込んでしまったみたいだった。
こんなことをしていたら、すぐに正月が来てしまう。だからどうってこともないのだが、何かと忙しい年末に貴重な時間が費やされてしまうのは残念でならない。
まずこの迷路から抜け出すことだ。

とりあえず楽天市場で、中古のパソコンを購入した。
使い慣れたDELLのパソコンで、型式は少し古いが新品のようにきれいなものが届いた。仕様も今までのものよりランクアップした。
ネットにも簡単につながった。
大げさだが、ここ数日間の悪戦苦闘は何だったのか。
パソコンもスマホもGoogleに連携していたので、モニターにもかつての顔がそっくり戻ってきた。まだ気持ちの混乱は残っているが、とりあえずはひと安心した。

過去のデータはほとんど、別のハードディスクにセーブしてあったので、必要に応じて戻すことはできる。ただしアプリ類が全部失われてしまったので、新たに入れなおさなければならない。古いDVDをさがしたり、ネットにつないだり、この作業がうまくいったりいかなかったりで手間取っている。
なんとなく慣れ切っていたパソコンの操作が、ふたたび初歩の段階に引き戻された感じで戸惑いも多い。この状況は新鮮といえば新鮮と言えなくもない。

同じような繰り返しに慣れ切っていた、ぼくの日常生活までリニューアルされた感じもある。疲れたけれど、何かが何かになったと思うことにする。


  (ブログを通じて、陰ながら応援して下さった皆様に感謝します)





ネットが遠くなった

2019年12月12日 | 「新エッセイ集2019」

パソコンが不調になった。
インターネットにつながらない。
パソコンは立ち上がっているのに、インターネットだけがつながらない。
ネットにつながらないと何もできない。こんな単純なことを今さらに思い知った。

OSが壊れたのかと思って、修復ディスクを入れてみたが回復しない。新しいソフトをインストールしたが、それでも駄目。ウインドウズを更新中に不調になったので、古いバージョンに戻してみたが駄目。
あれこれ同じような操作を繰り返している。先週から今週にかけてずっと。

つい最近まで、さくさくと快調に動いていた。長く使ってきたパソコンなので愛着がある。簡単に手放すこともできない。大して器械の知識もないが、出来る限りの手は尽くしている。
DELLやOCNにも電話したが、話し中ばかりで埒が明かない。どうすればいいのか、パソコンばかりか、こっちまでパニックになってしまいそうだ。

ここ数日、眠ってみる夢の内容まで変わってきた。古い自分や古い生活ばかりが現れる。さほど苦しい夢ではないが楽しくもない。
ぼくの頭の中にもハードディスクがあって、古いセクションにアクセスしてるみたいだ。もはや、壊れたパソコンに同化してしまったのかもしれない。
いよいよ愛機とも訣別しないと、こっちまで壊れてしまいそうだ。

こうなったら最後の手段とばかりに、パソコンを初期化してみた。だが症状は変わらない。
これはもしかしたら初歩的なミスもありえるぞと、突然ひらめいて、モデムとケーブルが断線していないか、最後の最後に望みを託して新しいケーブルでチェックしてみた。だが、これも駄目だった。
万事休す。

慣れないのでやりにくいが、スマホで現況だけ残しておきます。