風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

そのとき人は風景になる(3)

2021年05月31日 | 「新エッセイ集2021」

 

 帰途はシェエラザードの海を漂う

いつか確認する日のために、岩に3人の名前を刻印したあと、展望台の麓の草むらで弁当を食べた。母が作ってくれた弁当は、卵焼きがたっぷり入っていた。かつての貧しい弁当とは違っていた。最後の弁当だと思うと胸がいっぱいになった。
食べ終わると、いつもの頭痛が始まったので、ぼくは展望台に登るのはやめて、ひとり残って草の中で寝ていることにした。ぼくの頭痛はしばしば起きた。映画を観たあとだったり寝不足だったりすると起きた。
草むらを抜けてくる風の音に混じって、しばらくの間、ふたりの話し声が聞こえていたが、それも次第に遠くなって、あとは草がそよぐ音だけになった。きゅうに周りの風が静寂の音に変わった。

少しだけ伸び始めた髪の毛をくすぐるように風が吹いていた。髪はほんの数日前に伸ばし始めたところだが、手で触れると、これまでの丸刈りとは違う、やわらかい髪の感触に変わりつつあった。
公立高校だったので、卒業近くになって進路が決まるまで髪を伸ばすことは厳禁だった。だから就職や進学が決まった者は誇らしげに髪を伸ばした。ぼくは進路が決まらなかったので、卒業まで髪を伸ばすことはできなかった。
じっと空を眺めているうちに、脈を打つような激しい痛みは治まってきた。春がすみのせいで空の色も白っぽかった。あるのかないのかわからない空を見つめていると、自分の体が宙に浮いているような不安に襲われた。まもなく始まる新しい生活、東京にはどんな生活が待っているのかも分からない。まるで今の空のように霞がかかっていた。

ふたりが戻ってきた。
高原を吹く風は爽やかさと冷気が控えめに混じっていた。しかし、波のような草原のうねりを越えて歩いていると、すぐに汗をかくほどだった。
視界を遮るものはなく、なだらかな風景が幾重にも広がっていた。遠く低くなるほど霞みの中に沈んでいくようだった。
そんな風景をしっかり記憶しようとしたが、この季節はあらゆる景色がすでに、古い記憶のようにぼんやりしているのだった。いくつもある山々のくぼみの、さらに遠くにぼく達の視線は注がれていた。これまでの生活の痕跡と、やがて置いていかなければならないものが、そこにあると思った。

高原からの帰途は最終バスに乗り遅れてしまい、夜道を歩いて帰ることになった。この日が記憶に残るには十分な、長くて暗い道のりだった。
この暗い道はどこまで続くのか、これは明日からの不確かな道の始まりなのかもしれなかった。今まではひとつの道を歩けたものを、これからは別々の道を歩いていくことになる。夜道はさまざまな思惑の道でもあった。
もう語る言葉も語りつくしたあとの、疲れた体と魂は次第に空っぽになっていくようで、どこか異国の音楽が闇をぬって染み込んできた。ある部分のある主旋律ばかりが単純に繰り返され、ひとりが口にするとすぐに3人で共有されるものがあった。いつかハーモニカで吹いたかもしれない懐かしい旋律だった。そのままどこかへ運ばれていきそうな、もはやあらゆるものが、ひとつの旋律になって流されているようだった。ぼく達は海になり船になって遠くの耳にしたがって漂う。シェエラザード、海とシンドバッドの船、カランダール王子の物語、海とシンドバッドの船、シェエラザード・・・

 

 

 

 

 


そのとき人は風景になる(2)

2021年05月25日 | 「新エッセイ集2021」

 

 高原の、ただそこにある岩 

その高原はそこにあった。ただ大きくて、ただ広くて、ただそこにあった。
以前に初めてその広い風景を眼にしたときの驚きが、ふたたび蘇ってきた。視界の果てまで、ほとんど人の手が加わっていない、原初の姿そのものが放置されてあった。広さは広さのまま、草は草のまま、土は土のまま、風は風のまま、人も人のまま、になりきれそうだった。
その風景そのものが大きな感動としてあった。

詩や小説のようなものを書いてみたくなっていたぼくは、何としても、その時の風景と感動を文章にしたかった。なにかが熱く体の中で燃えていた。その炎が消えないうちに書き留めたかった。
けれども、書けば書くほど何かをただ浪費しているように思えてしまうのだった。ぼくには書けなかった。ぼくが感動しているものが何なのか、その実体が掴めなかった。まるで炎のようであり、風のようだった。

18歳の春だった。高校を卒業して郷里を去る前に、親しかった友人と3人で、その高原にもう一度行こうということだった。
ひとりは九州の電力会社に就職が決まり、地元に残ることになった。もうひとりは関西の大学を目指して大阪へ、ぼくは漠然とした夢だけをもって東京へと、それぞれ別の方向へ離れてしまうことになるのだった。
新たな出発は新たな別れでもあった。それまでと、これからの、はっきりした区切りを残したかった。約束のようなものだった。

盆地の街を発てば、その高原までは上りの道のりだから、往きはほとんど自転車は押していかなければならなかった。それが前のときの行程だった。今回はバスに乗った。自転車をやめてバスに乗るということが、もうひとつの卒業であるような気がした。
高原の入口でバスを降りて、以前と同じ道をたどっていくと、風景が大きく開け、記憶の中に沈んでいた風景がくっきりと浮かび上がってきた。
風の匂いが変わった。土の匂いが濃くなった。少し焦げたような山の匂いも漂ってくる。古い溶岩の匂いや近くの活火山の煙が漂っているのだろう。
種畜場で絞りたての牛乳を飲んだ。牛乳は変わらずに濃かった。農事試験場の貯水池ではたくさんのマスが泳いでいた。そんな高地の一角で、魚が群れて泳いでいるのが不思議だった。そこでは山の水も豊かに湧いているのだろう。

そのあと、展望台に向かって歩いた。
以前に来たときの記憶の道をなぞるように、すっかり同じことをしているのだった。
細い清流がところどころ草原を割って流れていた。水際ではユキヤナギが花をつけ、ねばっこい黒土にしつこく靴を汚された。
草原の中に、ひとつだけ目立つ山形をした大きな花崗岩があった。以前にその岩に刻んだ自分たちの名前を探したが、消えかかって読めないほどになっていた。ぼく達は、あらためて石でなぞって刻印を新しくした。
花崗岩はやわらかかった。再び確認できる日があるのかどうか、それまで刻印が残っているかどうか、漠然としたその時のことが楽しみでもあり、不安でもあった。

 

(1)そこには風が吹いている

 

 

 


そのとき人は風景になる(1)

2021年05月17日 | 「新エッセイ集2021」

 

 そこには風が吹いている

いつも、そこでは風が吹いている。
いつも、春先の柔らかい風の記憶が、一番鮮烈な形で蘇ってくるのはなぜだろう。ある時、突然、そして偶然に、山々の姿を、草原のうねりを、大きな放物線をいくつも描きながら、懐かしい風景を運んでくるのは、いつも風だ。
そのとき風は、草いきれと微かな草の擦れ合う音も運んでくるのだが、ぼくには思わず口ずさみたくなる、記憶の奥にある旋律にも聞こえる時がある。

ぼくは東京にいて新聞を配達したりしながら、代々木の予備校に通っていた。
九州の友人からは、長い手紙が届くこともあった。
名前の判らない小さな花が入っていた。リンドウに似た高地に咲く丈夫そうな花で、咲いた状態が想像できる形がそのまま残っていた。
彼はひとりで久住高原に行ってきた、そのときに摘んできたものだと書いてあった。
かつてぼく達が名前を刻んだ大きな花崗岩には、まだ文字の痕跡が残っていたという。岩は広い草原の中で、何かの目印のような存在感があった。だから、ぼくたちはそこに痕跡を残したい思いにかられたのだった。そのときの気持ちを思い出した。

彼の手紙には、友人が死んだことが書いてあった。
その友人は関東の海岸で自殺したという。幼児期から親しくしていた友人の死は、彼にとって大きなショックだっただろう。
ぼくは毎日、新宿の街をうろついていた。多くの人がいて、それらの人混みの中をただ歩いている。ひたすら流れ続けているものの中で、ひたすら流されている。そんな日々だったかもしれない。
自分の周りも先行きも何ひとつとして見えてこず、ただ都会の幻影を眺めているだけではないのか。生死を考えるほど真剣に生きていない自分を、ぼくは恥じた。

東京には空もなかったが山もなかった。
あの高原の姿にも、友人と過ごしたその日のことにも、ぼくはけだるいような距離を感じはじめていた。
近くの公園の小高い丘に上ると、はるか遠くに山が見えた。富士山だった。そこは視界の果てだった。さらに遠いところに確かにあるもの。ぼくの中にかつてあったものを探そうとしていた。しかし懐かしい高原の風景を想像してみても、いまでは視界の果てに霞んでしまっていた。
東京は平野のせいか、強い風がよく吹いていた。
封筒に何気なく入れられてあった花の軽さが羨ましかった。つい何日か前まであの高原に咲いていたのだ。まだ湿り気を失っていないその花に、あの高原をいまも吹いているだろう柔らかな風を思った。

 

 


作文教室

2021年05月07日 | 「新エッセイ集2021」

 

あさおきて、かおをあらって、ごはんをたべて、
それからがっこうへいきました……
そこでもう、ただ鉛筆を舐めるばかり。その先へは、ちっとも進めない。
楽しかったことや、辛かったことも書いたらいい、と先生。
やすみじかんに、こうていで、やきゅうをしました……
それは楽しかったことだ。しかし文章にしてみると、すこしも楽しくない。
一日のあったことを、ありのままに書いたらいい、と先生。
ありのままに書くとは、どう書くことなんだろう。楽しかったことを、楽しかったこととして書くとは、どう書くことなんだろう。
そもそも、なぜ文章など書かなければならないのだろうか。
ぼくは書くことが苦手だ。というか、文章というものが書けない。
ありのままを言葉にする。本当にあると思えるものを言葉にする。
でも言葉は、ありのままや本当にあると思えるものを、そのままなぞってはくれない。

あの小学生のときの疑問は、いまも解決されないままで、悔しい思いはつづく。
そこで本棚から、かび臭くなった新潮文庫を引っぱり出す。
『井上ひさしと141人の仲間たちの作文教室』
作文の秘訣を一言でいえば、
「自分にしか書けないことを、だれにでもわかる文章で書くということだけなんですね」と。
吉里吉里小学校の井上先生は、やさしい言葉で難しいことを教えてくれる。
ハイ解りましたと頷いてみたが、作文の宿題はいつまでも終わらない。