goo blog サービス終了のお知らせ 

風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

いつかの夏は影絵のようで

2020年08月20日 | 「新エッセイ集2020」

 

その小さな駅を降りたときから、ぼくの夏は始まり、再びその駅から発つときに、ぼくの夏は終わるのだった。
汽車が大和川の鉄橋を渡りきると、荷物を網棚から下ろして、ぼくはドキドキしながら降車デッキに移る。
奈良県との県境にちかく、大阪の東のはずれに、関西線の小さな駅があった。乗降客はわずかだった。
駅前には小さな雑貨屋が1軒だけあった。あとは民家もほとんどなくて、ひたすら一本道の坂道をのぼる。

登りきったところに集落があった。
そこは父が生まれて育ったところであり、叔父や叔母や年寄りが暮らしているところだった。
その家はまた、夏休みになると従兄弟たちが集まるところでもあった。カツヒコやマサヒコがいた、トシオやテルコがいた、サヨコやエツコがいた。
広い庭一面をブドウ棚が覆っており、庭の隅っこに井戸と柿の木があった。ぼくらは庭に面した縁側で、タネを庭に吐き出しながら、舌が痛くなるまでブドウを食べた。

昼からは、大きな麦わら帽をかぶり首にタオルを巻いて出かける。
雑草の茂った野良道を下りていくと大和川があった。そのあたりは流れが淀んでいて、土地の人はそこをワンダと呼んでいた。
半日は泳いだり釣りをしたりした。
大きなナマズやタイワンドジョウが釣れた。叔父は網を持って川底深くまで潜り、巨大なウナギを捕らえてくることもあった。
その頃は川の水も澄んでいたので、道の上から鯉が泳いでいるのも見えた。そんな鯉を追いかけていき、網を打って掬い上げることもあった。

夏は、みんな毎日おなじようなことを繰り返していた。
叔父は早朝からブドウ山に行き、何杯ものブドウを天秤棒で前後に担いで戻ってくる。ブドウ山には、石組みだけが顕わになった小さな古墳があった。
午前中は、収穫したブドウを特殊なハサミを使ってサビ取りをし、箱詰めをして集荷場に出していた。その出荷用の木箱を釘打ちするのは、無口な祖父の仕事だった。納屋からは祖父の声はしなくても、釘を打つ音だけは始終していて、そこにしっかり祖父は居たのだった。

祖母は、大阪の外へ出たことはなかったと思う。ぼくの九州がどこにあるのか、いくら説明しても理解できなかった。どこか広い海の向こうにあると思っているようだった。彼女は名家の出だったが、文字の読み書きもできたかどうかわからない。
それでも本人は、自分が知っているだけの世界の中心で、おばあさんとして賑やかに生きていた。
まいにち足ぶみの臼で玄米をつき、朝夕は大きな木のへらで茶がゆを炊き上げる。ときには鯰や鯉をさばき、ぼくのためには特別に卵焼きを残してくれた。

この夏はとにかく暑すぎて、閉じこもりがちな日々の隙間に、夢のような影絵のような、古い夏がしばしば忍び込んでくる。
祖母が新世界の映画館に連れて行ってくれたこともあった。字幕ばかりの慣れない洋画で、ふたりとも退屈して映画館をとびだすと、近くの食堂に入った。そのとき何を食べたかは覚えていないが、祖母がお茶を所望するとき、お茶のことをオブウと言ったのが妙に恥ずかしかった。
短い夏の終り、祖母が駅まで送ってくれた。別れ際に改札口で、ぼくのシャツの胸ポケットにそそくさと何かを押し込んだ。あとで分かったのだが、それはおカネだった。
そしてその時が、祖母との永遠の別れになった。

 

 

 

 

 

コメント (2)

この夏は超ゆったりコースで

2020年08月13日 | 「新エッセイ集2020」

 

この夏は、猛暑とコロナに追い回されるような生活になっている。だが、そこからは逃げ出すこともできない。
夏の暑さそのものはさほど嫌いではないのだが、炎天下でのマスクをしての歩行はつらい。
コロナも怖いが熱中症も怖い。どちらも症状が似ているというから、夏の夜の幽霊とお化けのように、怖さも倍増する。

ベランダの朝顔は、世の中の騒ぎには関係なく、やたら元気に咲いている。毎年ずっと同じタネだから、花柄はいつもと同じ色と形で代わり映えしない。
変わらない夏に、変わらない顔と会っているみたいで、変わらないということの安心感はある。
花も三密はよくないみたいで、密着しすぎて蕾のまま咲けないのがある。早く起きろよとばかりに、蕾の先をちょんちょんと指でつついてやると、寝ぼけた花はゆっくりと目をひらいていく。
あさ開かない朝顔の花は、そのまま蕾で終わってしまう確率が高い。きょうという日を無駄にはできない一日花だから、つい余分なお節介をしてしまう。

ところで、ぼくの本もようやく開花しそうな目処がついた。
沸騰しそうな脳みそをなだめながらの編集作業ののち、やっと印刷所に表紙と本文128ページ分のデータを送ることができた。これで春からの宿題を終えてほっとしている。
納期があるわけでもなく、特に急ぐ必要もないので、費用を節約するために、印刷所とは「超ゆったりコース」というので契約した。印刷所が手隙なときにやってくれればいい、といったエコノミーコース。
ちなみにコースは5段階で、いちばん速いのは「超特急コース」。2日で本が出来上がるという。
あとは印刷所任せになる。だから本が出来上がるのは今月の末頃になる予定。超ゆったり気分で待つことにする。

 

 

 

 

 


夏のひかり

2020年08月09日 | 「新エッセイ集2020」

 

戻れそうで戻れない
記憶をたどる
指のさきに
夏の光があった

光は
しずくとなって
虹色の陽炎をつくった
ゆらめいて
いのちのかたち
輝いて
一瞬を生きる

夏の
光のさきに
白い羽根を失い
帰れそうで帰れない
虫たちの
それぞれの夏が
あった

光の
音階をなぞり
陽炎の指を追いかける
届きそうで届かない
つくづくおしいと
嘆いている
つくつく法師よ

夏の光の
影はみじかい

 

 

 

 

 


てっぽう

2020年07月30日 | 「新エッセイ集2020」

 

とうにもう
枯野の向こうへ行きやったけど
おれに初めてフグを食わしてくれたんは
おんじゃん(おじいちゃん)やった

唇がぴりぴりしたら言いや
フグの毒がまわったゆうことやさかいにな
おれはフグの味なんか
ちっともわからへんかった

フグみたいに
喋るまえに口をぱくぱくしよる
おんじゃんの口はがま口と変わらへんねん
いつも腹巻のどんづまりに入っとった
グチが出よるかゼニが出よるか
そんな腹巻は好きやったけどな

おれたちは引きこもりやった
おんじゃんは関節と入れ歯ががたがたで
おれは背骨と前頭葉がゆるんどった

朝おきて顔をあろうて飯食うて
おれが五七調でじゃれたりしとると
おんじゃんの顔が宗匠づらになりよった
われはあほか
俳句には季語ゆうもんがないとあかんのや
春には春の秋には秋の花が咲きよるやろ

春夏秋冬
のんべんだらりのおれ
花の名前も知らへんかった
念仏のような俳句がなんぼのもんや
おんじゃんの腹巻の中へ突っ返してやった
ほしたら宗匠はきんたまかきながら
口をぱくぱくしとったもんや

五七五や
たったの十七文字や
われはそんなんもでけへんのか言うて
大根でも切るように切って削って
言葉を五七五に揃えようとしとった
ほんでもって言葉がだんだん少のうなって
俳句ひとつぶんくらいになってしもた
それがおんじゃんの一日や
おれの一日も似たようなもんやったけどな

唇がぴりぴりしたら
そのあとどうなるゆうねん
旅に病んで夢は枯野をかけ廻る
とうとう盗作やらかして
おんじゃんを怒らしてしもた
そうやねん枯野をかけ廻ってたんや
おんじゃんの夢もおれの夢も
ほいで四日後におんじゃんが死んでまうなんて
なんでやねん
あほな頭じゃ考えられへんかった

おんじゃんは
辞世の句も残さへんかった
もちろん
フグの毒にあたったんでもない
ほんまにあほや

 

 

 

 

 


桂馬の高とび歩の餌じき

2020年07月21日 | 「新エッセイ集2020」

 

昔は近所に子どもがいっぱいいた。
親戚の家もそうではない家も、いずれの家にも子どもが沢山いた。みんな似通った年齢だったので、ごっちゃになって遊んでいた。ときには大人や老人や犬までも混じっていた。

母の実家は隣にあった。
母が子どもの頃、家は餅屋をしていたので、その名残りだったのだろうか、家の前に大きな縁台があった。餅を買ったり食べたりする通りがかりの客が、その縁台で一服する、そのためのもだったのだろう。
夏の夕方など、その縁台で将棋をする。始めのうちは子どもたちだけで、遊びのヘボ将棋をしているのだが、だんだん大人まで集まってきて、ああだこうだと指図を始める。
岡目八目という言葉もあるが、周りや高みから見ている方が、形勢判断がしやすいようだった。それで周りがうるさくなって、いつのまにか誰が将棋を指しているのか分からなくなるほどだった。

そんな場に父が出てくると、父はぼくの味方をすることになる。
それがぼくは嫌だった。わざと父の指図とはちがう駒を動かそうと必死で考える。自分が思ったように駒を動かしたいのだ。だが父より良い手が浮かばなくて焦ってしまう。
父親がわが子の味方をするのは自然なことだったのかもしれないが、相手にも相手の応援がつく。次第に誰が将棋を指しているのか分からなくなり、勝敗の楽しみも失われていくのだった。

あの縁台将棋の日々は、もう遠い夏の記憶になってしまった。
いつも決まった相手と、決まった手ばかり指しているうち、たぶん将棋にも飽きてしまったのだろう。それに子どもたちも成長し、縁台の夏も忘れられることになったのだろう。
桂馬が歩の餌食になってしまうのは悔しい。飛車手王手はさらに悔しい。飛車はどんなことがあっても相手に取られたくはない。
結局は飛車も桂馬もうまく使いこなせなくて、その悔しさだけが、いまも心のどこかに残っている。

いま将棋の天才が勝ち進んでいる。
おかげで将棋への関心がすこし戻ってきて、棋譜をのぞいてみたりする。プロもアマも飛車は飛車だし桂馬は桂馬、歩もまったく同じ歩であることが懐かしい。でも駒の動きはまったく違う。やはり天才は天才なのだ。棋士は勝っても負けても静かに頭を下げる。そして黙ってお茶を飲む。
ぼくらの、あの縁台は騒然としていたが、それぞれの駒の動かし方だけは覚えた。その駒をうまく使うことまでは届かなかった。いまは将棋でごまかせる相手もいない。