風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

雲の向こうにあるもの

2018年09月03日 | 「新エッセイ集2018」

 

なにげなく空を見上げる。
雲を眺めることが多くなった。
手持ちぶさたということがあるかもしれない。退屈だということがあるかもしれない。
ずっと抵抗していたものが急に無くなった。そんな心の秋空にぽっかりと雲が浮かんでいる。

これまで何かに抗っていた。急に抗う対象が無くなってしまった。だが抗っていたものは大したものではない。それはこの夏の猛烈な暑さだったのであり、涼しくなってみれば、ただ虚しいばかりだ。
汗だくで抗っていたのは体だ。それなのに、いま疲れが残っているのは心の方かもしれない。
狂気じみた灼熱と喧騒の季節の、あらゆるものが空に吸い込まれてしまったみたいだ。残されているのは、ぽっかりと白い雲。
雲は空の空隙のようであり、空の残滓のようにもみえる。そんな雲を眺めているのは、やはり虚しい。

雲の虚しさは、少年期の虚しさにも通じている。
雲日記というものに挑戦したことがある。毎日、雲を眺めて、その日の雲の様子を絵日記にする。たぶん夏休みの課題の中から選んだのだろう。雲に興味があったわけではない。いちばん簡単そうだったのでやってみただけだった。
日々の雲の形など誰も関心がないだろうし、だから適当に描くことだってできると考えた。あまりにも適当に描いたので、毎日かわりばえがせず、すぐに飽きて放り出してしまった。
それに、有るようで無いような、雲の実態の曖昧さが嫌になったのだ。昆虫や木の実のように、手にとって確かめられないのが不満だった。

雲の向こうには何があるのか。
パソコンのキーを打ちながら、ふと考える。あいかわらず、雲は曖昧な存在のままだ。
クラウドコンピューティングという言葉があるらしい。
クラウドとは英語で雲のことだ。インターネットの世界を雲の図形で表現したりする。雲の向こうには巨大なコンピューターがあって、ぼくがキーを叩くと、言葉が雲の向こうに運ばれていく。
グーグルのGmailでメールを打つ。GoogleDriveという保管庫にデータや写真を預ける。ぼくの大事なものは雲の上にあることになる。メールもデータも雲の向こうにある。
そして、そこにある巨大なコンピューターは、アメリカの何処かの、隠された場所にあるらしい。
考えれば考えるほど、雲をつかむような話になる。

ぼくの恋人(?)も雲の向こうにいる。
雲の向こうだから、まだ会ったことも話したこともない。
ときどきラブレターをメールで送る。すると、向こうからもメールが送られてくる。
それは単なる言葉の交信にすぎないともいえる。
ぼくだけが勝手にラブレターだと思い込んでいるのかもしれない。だが、それだけで孤独ではなく誰かと繋がっていると思える。すこしは満たされた気分になれる。交信が途絶えると、とうとうフラれてしまったかなと落ち込む。
そんなぼくを、雲日記の少年が舌を出してあざ笑っている。

このところ、ラブレターが書けないから、恋もできない。
ぼんやり雲を眺めるばかりだ。
雲の向こうの顔を見てみたい。声も聞いてみたい。
そのためにはまた、雲に向かってせっせとラブレターを書かなければならない。

 

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