風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

秋色の向こうに

2018年10月05日 | 「新エッセイ集2018」

 

10月は母の命日で、天王寺のお寺にお参りに行った。
お墓は九州にあるのだが、なかなか帰れないので分骨して大阪のお寺に納めた。それで秋は母の、春は父の法要をしてもらうことになっている。
九州の秋がだんだん遠くなる。

最後に母に会ったのはいつだっただろうか。
記憶力がすっかり衰えていると聞いていたが、ぼくのことはまだ覚えていた。
久しぶりで会ったのに特に驚いたふうもなく、自然にぼくの名前が母の口からでてきた。それは、なにげない日常のつづきのようだった。過去のいくどかの再会の時や、いつだったかの母の病室を訪ねたときと同じだった。変わらずに続いているものがあることに、そのときは安堵した。

何をしに来たんかと母が言うので、会いに来たんだと応えた。
久しぶりに会ったということを、母はぼんやり意識しているようなので、大阪から別府までフェリーに乗って、それからレンタカーを運転して来たんだと説明した。
天気が悪いと船は揺れるやろ、と母が言う。
昔の船旅を、母は思い出しているのかもしれなかった。いまは大きな船だから、ほとんど揺れることはないよと応えると、そうかと頷いた。

そんな会話の後すぐにまた、何をしに来たんかとたずねてくる。会いに来たんだとこたえる。そのようにして、会話はいくども振り出しに戻ってしまう。
母の記憶力は、やはり衰えてしまっているのだった。
今のことは今しかないのだろう。会っている瞬間は、会ってることを自覚している。だが話したことも聞いたことも、記憶には残らずにすぐ忘れてしまう。だから同じ会話が繰り返される。
母にとっては、会った瞬間だけがずっと続いているのだろう。
ぼくの方は、幼い子供と会ってるような気分になって、もはやこの人はかつての母ではなくて、生まれ変わった母なのだと思った。

古い話をした。
ぼくの祖母、すなわち母の母親の手の甲にはピンポン玉くらいの瘤があった。そのことを話すと母も思い出して、ぼくの記憶力に驚いてみせた。
古い記憶は、まだ母の中にもしっかり残っているのだった。
母の実家は饅頭屋をしていたのだが、母が女学生だったその頃の話をしだした。毎朝大きな鍋であんこ練りを手伝わされた。あんこは熱くなると飛び散るので、よく火傷をしたもんだという。
そこには、もうひとりの母がいた。

二日目も同じような繰り返しだった。
母にとっては、昨日のことは何も残っていない。昨日はすっかり消えて今日がある。いくど会っても初めての再会となるのだった。
持参したもみじ饅頭を、入歯を外したままの口でおいしそうに食べた。食べ物はおいしいのだと言う。だが、食べたばかりの施設の昼食で、何を食べたかは思い出せないのだった。
果物が食べたいというので、3日目はオレンジを持参して食べさせた。もういいと言うので控えていると、ふたたび食べたそうに手を伸ばしてくる。食べた記憶も、味の感覚もすぐになくなるのかもしれなかった。

レンタカーにはカーナビがついていた。
知っている道だが、とりあえず目的地だけを設定して走りだした。
ぼくは慣れた懐かしい道路を走りたいのだが、カーナビは新しい道や近道へとしきりに誘導しようとして、うるさい。
いくどもナビの声に逆らって走行するうちに、いつのまにか見慣れない道を走っているのだった。
紅葉が始まりかけた美しい渓谷に迷い込んでいた。ぽつんと一風変わった店があり、狐のような狸のような化粧をした店員たちがいた。そんな不思議な売店で、懐かしいげんこつ飴というのを買った。

18歳でぼくは家を出た。カーナビのように、母はぼくが生きる方向を指示することは一度もなかった。
もしかしたら母にも、ぼくに走って欲しい道はあったかもしれない。ぼくは勝手に自分の道を走りだしたのだったが、あれは母に逆らっていたのかもしれない。
ときには母を憎んだり蔑んだりした。母の思いがわかりすぎる時は、わざとその思いをはぐらかしたりしたこともある。
母はカーナビのように親切でもなかったけれど、うるさくもなかった。
幾日かかけて母が縫ってくれた夜具とともに、ぼくは東京へと出ていったのだった。

そんな古い話もして、母に感謝をすればよかったかもしれない。だが、それはしなかった。
最後の日、母はとても眠たそうで言葉もほとんど出てこなかった。
ばいばいといって手を振ると、布団の中でかすかに母の手が動くのが見えた。その手をとって握りしめたら、水のように冷たかった。
その冷えきった腕の中には、縫いぐるみの犬や猫がなん匹も、しっかりと抱かれていた。

 

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川の声が聞こえる

2018年10月01日 | 「新エッセイ集2018」

 

目をつむると、暗がりの底をいつも一本の川が流れている。
かつて、ぼくの生活の、いちばん身近かにあったのは川だった。

春と秋は、川の浅瀬を渡りながらキラキラ光る魚を追った。
夏は終日、湧水の冷たい流れにもまれながら、ゆるくなった四肢で魚を真似して泳いだ。
上流では山が晴れたり曇ったりするので、川は濁ったり澄んだりした。
冬は背中を陽に温めながら、岩陰で動かない黒い魚の背中をじっと見つめていた。
川の流れのように、無心のときは流れていた。
そして日々の記憶もまた、川の流れそのもののように尽きることはなかった。
それが、川のある風景だった。絵具でスケッチするのではなく、ページを繰るように言葉で綴った。
それは、大人になってずっと後のことではあったけれど。

そんな心の川も、いつのまにか遠くなってしまった。
近くには川はなく小さな森しかない。
太い木の幹に触れると、あるときは冷たく、またあるときは温かい。
耳をすますと、樹液の流れる音なのか、あるいは風の音なのか、とおい川の瀬音が聞こえることがある。
それは言葉にならない声だ。過去から蘇ってくる声か、未来を告げる声かもわからない。
その曖昧な声に、未知なる言葉を探しつづけながら、日記のページを開いたり閉じたりしている。