アタシだって言いたかないよ、言いたかないけど言わせてもらうよ

その時に思った事、面白かった事を書きます

2009年03月12日 20時55分32秒 | Weblog
昨夜のテレビでやってた




都会では、次男や三男が自分の墓を建てる



最近は、子供に「墓を守ってもらうのは大変だから」という理由で



「夫婦二人に墓」がよく売れてる、とか










墓を守るのは、寺がやってくれる




そして33年たったら「永代供養」にする






どういう事か、というと






遺骨を1つの大きな場所にまとめる




そして、今まで墓として使ってた場所を他の人に売る


























ええ商売やなぁ













なんせ、死んだ人は文句を言ってこないからなぁ










もちろん「都会は土地が高いから」という事もあるんだろうけど




田舎の人間には考えられない







でも「先祖代代の墓を守る」というのは



70年くらい前からで



「遺体を焼いて骨にして埋める」様になったから、だと言ってた






そうかな?



田舎では、もっと昔からやってたと思うけどなぁ・・・










映画「おくりびと」の影響なのか



こんな話をよく聞く様になった

おせち料理

2009年03月12日 10時08分58秒 | Weblog
この前、テレビで「西健一郎」の話をやってた





「お父さんとの話」が、マンガの「美味しんぼ」にも描いてあった





マンガと少し違ってたけど、なかなか面白かった










その中で、おせち料理を作ってた




それを見てて思い出した








俺も、商売を始めた年から「おせち」を作った






といっても「スーパー経由」で売ってた








お惣菜を卸してるスーパーに、でっかい写真を置いてもらって





「3重のおせちで1万2千円」で売った






初めは4~5件だったけど



一番忙しい時は30個くらいの注文があった







結局10年ほどで止めた





(あれ?何故止めたんだっけ?)


と考えてて、思い出した










「アンタのおせちは、食べる物が何も無い



せいぜいブリくらいだ」






とお客さんに言われて、頭にきて止めたんだった










今にして思えば、本当に食べる物(美味い物)が無かったら



30個も注文があるはずが無い







まぁあの頃は、料理に自信が無かったんだろうなぁ






それと、ムチャクチャ忙しかったから



(食中毒でも出したらエラい事になる)という理由もあった






材料も値上がりしてきたし、段々注文も数も減ってきた






「ダラダラ続けるより、ここでスパッと止めよう」と思ったんだった






今にして思えば、あの頃がバブルだったんだな





何日もかけて「タラの子」を焚いたなぁ



「棒鱈」を戻して焚くのが大変だった



冷たい水の中で「数の子」の皮をむくのがツラかった





黒豆を焚くのは大変だ、という事は皆知ってるけど



「鶏肉を炊く」のが大変な事は知らないだろうなぁ






懐かしく思い出した