
「ムジナモ」野生復帰の軌跡 牧野富太郎が発見 埼玉で復活 NHK 2025年3月7日 16時29分
ことし、野生では絶滅状態だったムジナモが、国内でもまれな「野生復帰」を実現しました。
埼玉県が、県内の絶滅の恐れのある野生生物の種をリストアップした「レッドリスト」を改訂した際に、野生絶滅の位置づけから野生復帰としたのです。
「日本植物学の父」とも呼ばれ、NHKの連続テレビ小説「らんまん」のモデル、植物学者、牧野富太郎が発見したことでも知られる水生植物「ムジナモ」。
野生復帰の背景には、埼玉県羽生市での地元の人たちのたゆまぬ努力がありました。
(さいたま局記者 二宮舞子)
国内でもまれ 野生復帰したムジナモ
ムジナモ
ことし1月、埼玉県は、羽生市の宝蔵寺沼でムジナモが自生し増殖しているとして、県のレッドリストの分類を、これまでの飼育・栽培下でのみ存続している「野生絶滅」から「絶滅危惧IA類」に変更すると発表しました。
これは、ムジナモが野生下で自生していることが認められたもので、宝蔵寺沼に野生復帰したことを意味します。
埼玉県では初めての事例で、国内でもまれなことでした。
ムジナモを大切に育んできた羽生市では、市長や保存活動を続けてきた地元保存会、それに研究者がそろって会見を行い、くす玉を割って野生復帰を祝いました。
羽生市ムジナモ保存会 野中孝一さん
「今までみんなでやってきたことが実ったというか、絶滅しないで増えてきてくれたので本当に嬉しいです」
牧野富太郎が発見したムジナモだけど…
牧野富太郎
ムジナモは、プランクトンなどを捕食する水生植物で、NHKの連続テレビ小説「らんまん」のモデルとしても知られる植物学者、牧野富太郎が1890年に発見しました。
根がなく暖かくなると水面に浮遊し、まれに短時間だけ白くてかれんな花を咲かせるのが魅力で、ふさふさした見た目が、たぬきやアナグマの総称の「ムジナ」に似ていることからムジナモと名付けられました。
保存活動は試行錯誤の連続
国内でもまれなムジナモの野生復帰。それを実現させた原動力の1つに、40年以上にわたって続く地元の羽生市ムジナモ保存会の存在がありました。
1966年には、ムジナモの自生地として全国で唯一、国の天然記念物に指定された埼玉県羽生市の宝蔵寺沼。しかし、沼が台風により増水したり、開発で沼の水質が変化したりするなどして消滅してしまいました。
その後、ムジナモを復活させようと発足したのが羽生市ムジナモ保存会です。
ムジナモの放流
当初、保存会が行っていたのはムジナモの放流でした。
沼で採取し自宅で育てたムジナモを沼に放流し、自生させようとしていたのです。
しかし、課題がありました。
放流したムジナモは、夏や秋には順調に成長するものの、沼のなかで冬を越すことができなかったのです。
転機となったのは、羽生市や埼玉大学が行った2009年の緊急調査でした。
調査する金子康子名誉教授(右)
植物学の専門家で埼玉大学の金子康子名誉教授の助言のもと、放流する場所を変えたところ、100株ほどが越冬できたことが確認できたのです。
天敵はオタマジャクシとザリガニ
しかし、ムジナモの野生復帰にはまだまだ課題がありました。
天敵がいたのです。
それは、オタマジャクシとアメリカザリガニでした。
オタマジャクシなどの駆除の様子
せっかくムジナモが成長しても、沼に生息しているウシガエルのオタマジャクシやアメリカザリガニなどの外来種がムジナモを食べてしまっていたのです。
保存会などは、網を使うなどして、オタマジャクシやウシガエル、それにアメリカザリガニの駆除を続けました。
ただ、活動を続けていると、天敵を駆除しすぎることもよくないことがわかりました。
天敵のウシガエルのオタマジャクシやアメリカザリガニを完全に駆除すると、ウシガエルなどが食べていた藻など、ほかの水生植物も増えすぎてしまい、ムジナモが育つ環境を妨げてしまうのです。
このため、天敵をすべて駆除するのではなく、沼に生息する生き物が適度に共存できる環境がいいのではないかと、多様な生物がバランスよく成育できる環境を整えることに力点を置くことにしました。
そのうえで、ムジナモの生育に適した環境を探るために沼の水温や水深、それに水質などを定期的に調査して記録を取り続けたり、沼の周囲に生えている植物をあえて50センチほどの高さを残して刈り取ることでムジナモの流出を防いだりするなど、地道な活動を続けています。
こうした結果、ムジナモは2016年には15万株、2022年には100万株を超えるなど順調に増殖し、現在は110万株以上にまで増えました。
保存会がムジナモを放流しなくても、沼でムジナモが育ち、増えていることが確認できました。
このため、保存会による放流はその役割を終えたと判断されたため、2022年以降は行っていません。
羽生市ムジナモ保存会 野中孝一さん
「今は沼の生態系のバランスがちょうどいいのだと思います。どうやったらこの状態を維持できるのか、すごく難しいが頑張りたいです」
ムジナモの野生復帰を支えた立て役者のひとりで、羽生市や保存会などとともに活動を行い、長年にわたって現地を調査しながら学術的なサポートを行ってきた埼玉大学の金子康子名誉教授は次のように話しています。
埼玉大学 金子康子名誉教授
「野生復帰は簡単なことではありませんでした。チームムジナモとして、金メダルをもらったような気持ちです。まだゴールではなく、研究を続けていくことが必要でやるべきことはたくさんあります。今後は、ムジナモが生きていく上で優れた生育環境がどのようなものなのか、より研究を深めていくことが求められます」
地元の情熱と行政・研究者の連携
もう1つ注目したいのは、埼玉県羽生市が、市全体でムジナモを大切にする機運を育んできたことです。
羽生市は、2003年に市の若手職員の有志でデザインされたイメージキャラクター「ムジナもん」を制作。たぬきのような見た目に、ムジナモの花でできたシッポが印象的で、地域のイベントなどに登場します。
市の担当者は、「かわいらしい見た目のムジナもんを通じて、植物のムジナモについても興味をもってもらえたら」と誕生のねらいを話していました。
市を上げてムジナモの認知度向上を図るなか、保存会のメンバーたちは、ことしも変わらず、オタマジャクシの駆除、それに沼の水温や水深、水質などの定期的な調査など、地道な活動を続けています。
取材を通して、ムジナモは、地域の宝だとして地道な環境整備に取り組み、大切に思う地元の人たちの強い熱意を感じました。
今回のムジナモの野生復帰は、地元で脈々と受け継がれてきた保存活動への情熱とともに、行政と研究者が連携し、諦めずに挑み続けてきた結果がまさに結実したものだと思います。
(2024年12月26日 首都圏ネットワークで放送)
ことし、野生では絶滅状態だったムジナモが、国内でもまれな「野生復帰」を実現しました。
埼玉県が、県内の絶滅の恐れのある野生生物の種をリストアップした「レッドリスト」を改訂した際に、野生絶滅の位置づけから野生復帰としたのです。
「日本植物学の父」とも呼ばれ、NHKの連続テレビ小説「らんまん」のモデル、植物学者、牧野富太郎が発見したことでも知られる水生植物「ムジナモ」。
野生復帰の背景には、埼玉県羽生市での地元の人たちのたゆまぬ努力がありました。
(さいたま局記者 二宮舞子)
国内でもまれ 野生復帰したムジナモ
ムジナモ
ことし1月、埼玉県は、羽生市の宝蔵寺沼でムジナモが自生し増殖しているとして、県のレッドリストの分類を、これまでの飼育・栽培下でのみ存続している「野生絶滅」から「絶滅危惧IA類」に変更すると発表しました。
これは、ムジナモが野生下で自生していることが認められたもので、宝蔵寺沼に野生復帰したことを意味します。
埼玉県では初めての事例で、国内でもまれなことでした。
ムジナモを大切に育んできた羽生市では、市長や保存活動を続けてきた地元保存会、それに研究者がそろって会見を行い、くす玉を割って野生復帰を祝いました。
羽生市ムジナモ保存会 野中孝一さん
「今までみんなでやってきたことが実ったというか、絶滅しないで増えてきてくれたので本当に嬉しいです」
牧野富太郎が発見したムジナモだけど…
牧野富太郎
ムジナモは、プランクトンなどを捕食する水生植物で、NHKの連続テレビ小説「らんまん」のモデルとしても知られる植物学者、牧野富太郎が1890年に発見しました。
根がなく暖かくなると水面に浮遊し、まれに短時間だけ白くてかれんな花を咲かせるのが魅力で、ふさふさした見た目が、たぬきやアナグマの総称の「ムジナ」に似ていることからムジナモと名付けられました。
保存活動は試行錯誤の連続
国内でもまれなムジナモの野生復帰。それを実現させた原動力の1つに、40年以上にわたって続く地元の羽生市ムジナモ保存会の存在がありました。
1966年には、ムジナモの自生地として全国で唯一、国の天然記念物に指定された埼玉県羽生市の宝蔵寺沼。しかし、沼が台風により増水したり、開発で沼の水質が変化したりするなどして消滅してしまいました。
その後、ムジナモを復活させようと発足したのが羽生市ムジナモ保存会です。
ムジナモの放流
当初、保存会が行っていたのはムジナモの放流でした。
沼で採取し自宅で育てたムジナモを沼に放流し、自生させようとしていたのです。
しかし、課題がありました。
放流したムジナモは、夏や秋には順調に成長するものの、沼のなかで冬を越すことができなかったのです。
転機となったのは、羽生市や埼玉大学が行った2009年の緊急調査でした。
調査する金子康子名誉教授(右)
植物学の専門家で埼玉大学の金子康子名誉教授の助言のもと、放流する場所を変えたところ、100株ほどが越冬できたことが確認できたのです。
天敵はオタマジャクシとザリガニ
しかし、ムジナモの野生復帰にはまだまだ課題がありました。
天敵がいたのです。
それは、オタマジャクシとアメリカザリガニでした。
オタマジャクシなどの駆除の様子
せっかくムジナモが成長しても、沼に生息しているウシガエルのオタマジャクシやアメリカザリガニなどの外来種がムジナモを食べてしまっていたのです。
保存会などは、網を使うなどして、オタマジャクシやウシガエル、それにアメリカザリガニの駆除を続けました。
ただ、活動を続けていると、天敵を駆除しすぎることもよくないことがわかりました。
天敵のウシガエルのオタマジャクシやアメリカザリガニを完全に駆除すると、ウシガエルなどが食べていた藻など、ほかの水生植物も増えすぎてしまい、ムジナモが育つ環境を妨げてしまうのです。
このため、天敵をすべて駆除するのではなく、沼に生息する生き物が適度に共存できる環境がいいのではないかと、多様な生物がバランスよく成育できる環境を整えることに力点を置くことにしました。
そのうえで、ムジナモの生育に適した環境を探るために沼の水温や水深、それに水質などを定期的に調査して記録を取り続けたり、沼の周囲に生えている植物をあえて50センチほどの高さを残して刈り取ることでムジナモの流出を防いだりするなど、地道な活動を続けています。
こうした結果、ムジナモは2016年には15万株、2022年には100万株を超えるなど順調に増殖し、現在は110万株以上にまで増えました。
保存会がムジナモを放流しなくても、沼でムジナモが育ち、増えていることが確認できました。
このため、保存会による放流はその役割を終えたと判断されたため、2022年以降は行っていません。
羽生市ムジナモ保存会 野中孝一さん
「今は沼の生態系のバランスがちょうどいいのだと思います。どうやったらこの状態を維持できるのか、すごく難しいが頑張りたいです」
ムジナモの野生復帰を支えた立て役者のひとりで、羽生市や保存会などとともに活動を行い、長年にわたって現地を調査しながら学術的なサポートを行ってきた埼玉大学の金子康子名誉教授は次のように話しています。
埼玉大学 金子康子名誉教授
「野生復帰は簡単なことではありませんでした。チームムジナモとして、金メダルをもらったような気持ちです。まだゴールではなく、研究を続けていくことが必要でやるべきことはたくさんあります。今後は、ムジナモが生きていく上で優れた生育環境がどのようなものなのか、より研究を深めていくことが求められます」
地元の情熱と行政・研究者の連携
もう1つ注目したいのは、埼玉県羽生市が、市全体でムジナモを大切にする機運を育んできたことです。
羽生市は、2003年に市の若手職員の有志でデザインされたイメージキャラクター「ムジナもん」を制作。たぬきのような見た目に、ムジナモの花でできたシッポが印象的で、地域のイベントなどに登場します。
市の担当者は、「かわいらしい見た目のムジナもんを通じて、植物のムジナモについても興味をもってもらえたら」と誕生のねらいを話していました。
市を上げてムジナモの認知度向上を図るなか、保存会のメンバーたちは、ことしも変わらず、オタマジャクシの駆除、それに沼の水温や水深、水質などの定期的な調査など、地道な活動を続けています。
取材を通して、ムジナモは、地域の宝だとして地道な環境整備に取り組み、大切に思う地元の人たちの強い熱意を感じました。
今回のムジナモの野生復帰は、地元で脈々と受け継がれてきた保存活動への情熱とともに、行政と研究者が連携し、諦めずに挑み続けてきた結果がまさに結実したものだと思います。
(2024年12月26日 首都圏ネットワークで放送)