日付が変わってしまいましたが、
昨日7月15日は、大好きな祖母の命日でした。
去年のこの日も、とても暑かった
日記を見ると、36℃でした。
仕事中、休憩でロッカーの携帯を見ると、
妹から、祖母の危篤を知らせるメールが。
ところが、
この日は、コールセンターの応対コンクールのテープ審査当日
この日のために、1ヶ月くらい前から準備をしていました。
私ともう一名の計2名が、
我々のいるコールセンターを代表して出場。
連絡を受けて、
頭の中でものすごい葛藤がありました。
職場から、いったん身支度をしに家に戻ってから向かって、
最短でも5時間
既に、祖母はいったん心肺停止しており、
「今から飛び出しても、間に合わないかもしれない」
「今、飛び出せば、もしかしたら、間に合うかもしれない」
「仕事を投げ出して、もし間に合わなかったら、どちらも中途半端に・・・」
結局、迷いに迷い、妹に相談したところ、
「きっとおばあちゃんは待っていてくれる、だから、まずは
その仕事をちゃんとしてきたらいいよ」と言ってくれました。
3年前に祖父が亡くなった時は、
頼りなかった妹(年子)が、とても頼もしくなっていました
上司にも相談し、テープ審査を終えるなり、
職場を飛び出し、超特急で喪服や泊りの用意をして、新大阪へ
途中、何度も父や妹と連絡を取り合い、
何とか、地元の駅へ到着。
迎えに来た父が、
私が車に乗り込むのを見届けると、
「ごめんね、間に合わなかった・・・。でも、途中で知らせて気が動転し、
事故にでも遭ったら、おばあちゃんも悲しむからさ」と。
帰宅すると、
すでに祖母も帰宅していました。
5年程前から、施設に入っていたため、
久しぶりの帰宅が叶ったのは亡くなってから
。
結局、テープ審査はダメでした。
後から考えれば、審査を受けずに飛び出せば、間に合うか間に合わないか、
ぎりぎりのところで祖母に会いにいけました。
でも、こればかりは、
後で考えて、あれこれ後悔しても時間は戻りません。
祖父の時には、
やはり危篤の連絡を受け、駆けつけたものの、
翌日、容態が安定したので、母は空腹でぐずり出した孫達のお昼を買いに、
ちょっと席をはずし、私だけが残った時に、眠るように亡くなりました。
これから、
こういう究極の選択を迫られる場面に何度か遭遇するのでしょう
後悔のない選択をするのは難しいですが、
その時、その時の自分の判断に責任を持たねばならない年齢になったのだなと、
思いました
おじいちゃんおばあちゃん子にとって、
祖父母との別れは、言葉では表せない悲しい出来事でした。
時折、「会いたいなあ」という強い思いが、ふと、こみあげます
もう、二度と会うことは出来ませんが、
祖父母に与えてもらった幸せな思い出を胸に、
今度は、私が下の世代にしてあげる番なんだろうな
昨日7月15日は、大好きな祖母の命日でした。
去年のこの日も、とても暑かった

日記を見ると、36℃でした。
仕事中、休憩でロッカーの携帯を見ると、
妹から、祖母の危篤を知らせるメールが。
ところが、
この日は、コールセンターの応対コンクールのテープ審査当日

この日のために、1ヶ月くらい前から準備をしていました。
私ともう一名の計2名が、
我々のいるコールセンターを代表して出場。
連絡を受けて、
頭の中でものすごい葛藤がありました。
職場から、いったん身支度をしに家に戻ってから向かって、
最短でも5時間

既に、祖母はいったん心肺停止しており、
「今から飛び出しても、間に合わないかもしれない」
「今、飛び出せば、もしかしたら、間に合うかもしれない」
「仕事を投げ出して、もし間に合わなかったら、どちらも中途半端に・・・」
結局、迷いに迷い、妹に相談したところ、
「きっとおばあちゃんは待っていてくれる、だから、まずは
その仕事をちゃんとしてきたらいいよ」と言ってくれました。
3年前に祖父が亡くなった時は、
頼りなかった妹(年子)が、とても頼もしくなっていました

上司にも相談し、テープ審査を終えるなり、
職場を飛び出し、超特急で喪服や泊りの用意をして、新大阪へ

途中、何度も父や妹と連絡を取り合い、
何とか、地元の駅へ到着。
迎えに来た父が、
私が車に乗り込むのを見届けると、
「ごめんね、間に合わなかった・・・。でも、途中で知らせて気が動転し、
事故にでも遭ったら、おばあちゃんも悲しむからさ」と。
帰宅すると、
すでに祖母も帰宅していました。
5年程前から、施設に入っていたため、
久しぶりの帰宅が叶ったのは亡くなってから


結局、テープ審査はダメでした。
後から考えれば、審査を受けずに飛び出せば、間に合うか間に合わないか、
ぎりぎりのところで祖母に会いにいけました。
でも、こればかりは、
後で考えて、あれこれ後悔しても時間は戻りません。
祖父の時には、
やはり危篤の連絡を受け、駆けつけたものの、
翌日、容態が安定したので、母は空腹でぐずり出した孫達のお昼を買いに、
ちょっと席をはずし、私だけが残った時に、眠るように亡くなりました。
これから、
こういう究極の選択を迫られる場面に何度か遭遇するのでしょう

後悔のない選択をするのは難しいですが、
その時、その時の自分の判断に責任を持たねばならない年齢になったのだなと、
思いました

おじいちゃんおばあちゃん子にとって、
祖父母との別れは、言葉では表せない悲しい出来事でした。
時折、「会いたいなあ」という強い思いが、ふと、こみあげます

もう、二度と会うことは出来ませんが、
祖父母に与えてもらった幸せな思い出を胸に、
今度は、私が下の世代にしてあげる番なんだろうな
