ゴールデンウィークも半ばにさしかかりました。やりたい事ややらねばならないことが一杯あるのにどれも手つかずです。
今日(3日)は、7時に家を出て三休さん家で合流して信楽の陶器祭りに行き、メダカとタヌキに逢って来ます。どんなドライブになるのか楽しみです。
ゴールデンウィークも半ばにさしかかりました。やりたい事ややらねばならないことが一杯あるのにどれも手つかずです。
今日(3日)は、7時に家を出て三休さん家で合流して信楽の陶器祭りに行き、メダカとタヌキに逢って来ます。どんなドライブになるのか楽しみです。
気にしない生き方
私は血液型のセイにしたくはないけれど、相当な好き嫌い癖があります。治さなければと思うのですが、この歳まで生きてきたら容易に治すことはちょっとムリ?
人を嫌うことには、実は相当なエネルギーを使います。嫌いな人と一緒に仕事をするために、「何とか上手くいくようにしよう」と頑張れば頑張るほど疲れ果てて、結局36年も勤務した会社を辞める羽目に・・・・
人の性格や態度は、周囲の人の関わり方によって作られる部分があり、その人だけの問題ではないこともあります。嫌いだと思い続けていると、その人の良い面に気づくことが難しくなります。
少し引いた眼線で観察してみると、「案外面白い人だな」と見直すこともあるかも知れません。仲良くなるまではいかなくても、その人の中にも「いいな」と思える部分がきっと見つかるはずです。
人は変わりゆく者。相手の良いところに注目して、かかわって行くうちに、相手の態度や言動が良い方向へ変わって行く可能性は大いにあります。
逆に、「あの人は性格が悪い」「意見を聞かない」「身勝手すぎる」などとみんなで腫れもの扱いをしてその人を孤立させると、事態を悪い方向に向かわせてしまう恐れがあります。
孤立した人は、より一層イヤな思いを強く表出してしまうものです。だんだんチームの雰囲気も悪くなってしまいます。
「喧嘩両成敗」と言う言葉にもあるように、どちらにも非があることを認識し、相手の非を許す寛大な心と気持ち、そして自分の非を認め謙虚に素直に相手に謝ることも大事です。
人間は決して一人では生きてゆけません。お釈迦さまがおっしゃっておられる「一切皆苦」、この「苦」とは自分の思うようにはならないことであり、その背景には「諸行無常」「諸法無我」(一切の存在は関係性によってのみ成立し、関係性を無視した個体としては存在しえないという現実)が横たわっています。
結局、「自分」というものを強く持ち過ぎると、「自分が自分が」と肩に力が入って、失敗しては落ち込んでしまうと言うことを繰り返してしまいます。自分を打ちだし過ぎて「我」にならないようにしないといけませんね。
「気にしない生き方」参照