「スラックキー・ギター」はハワイ生まれのオープン・チューニング・ギター奏法のこと。
30~40年前に比べれば知られるようになったし、FMラジオ、インターネットラジオから毎日流れる時代になった。
しかし「そのギターは、ハワイのどこへ行けば買うことができるの?」といった質問があるように、まだまだ日本では一般的ではない。
チェット・アトキンスのギャロッピング奏法は知られているが、ギャビィ・パヒヌイに代表されるスラックキー・ギター奏法の知名度は低い。
ハワイ音楽評論家の早津敏彦先生のライナーノーツには早くから記述が見られたものの、YOUTUBEもなかったあの頃、何を持ってスラックキーを指すのかわからない時代が長かった。
そしてライ・クーダーの「チキン・スキン・ミュージック」が発売された頃「あのスライド・ギターは誰だろう?」「生ギターの響きが、普通じゃないぞ」となった。
そう、ギャビィ・パヒヌイとアッタ・アイザックスJr.の登場だ。
あの頃ライ・クーダーファンの方が、いち早くハワイアン・ルネサンスの動きをキャッチしたような記憶がある。
レイ・カーネ、サニー・チリングワースに師事して帰国した山内"Alani"雄喜氏が弾いたギターのサウンドが忘れられない。
ギターから行ったこともないハワイの香りがするのだ、、、、驚いた。
そして日本で初となるスラックキー・ギターを全編にとり入れた2枚のアルバムの制作を始め、コンサート活動を行った。
でも聞いてくれる人は少なかったし、レコード会社もハワイアンでなく「アイランド・フォーク」と知恵を絞らなければいけない時代だった。
わずかに我々のサウンドを聴いてくれたのは、やはりライ・クーダーファンの皆さんだった。
米軍の基地周りをしても理解してくれたのはハワイ出身者だけだったのかもしれない。
やがて時が経ちジョージ・ウィンストンがやってきて彼との接点が持て、彼はスラックキーを押し出したレーベル「Dancing Cat Records」を立ち上げる。
ハワイのオアフ島で行われていた「Slack-key Guitar Festival」に協賛したのもその頃だった。
当時のスラックキー・フェスは、ロコが野外で一日中楽しむ地場のイベントであった。
ハワイのローカルTV局が撮影し、ラジオで実況中継するお祭りイベントで「Sons of Hawaii」「Sonny Chillingworth」「Ledward Kaapana 」「Cyril Pahinui」 などなど錚々たるメンバーが出ていた。そうSonnyが少年だったMakanaを見守るように見つめていたのが印象的だった。
丁度ギャビィとアッタのメモリアルフェスに参加した我々は、舞台袖にいたギャビィの奥様「Ma Pahinui」にご挨拶できて感激した。
たった3曲ながら演奏させていただいて、感動とともに本場のレベルの高さ、層の厚さなどに身の引き締まる思いだった。
スラックキー・フェスも「Na Hoku Hanohano Awards」もハワイアンたちのものであり外国人には閉ざされていた感があった。
しかし昨今米本土西海岸のフラ、ウクレレ、スラックキーといったブームもあり、今やフェスはハワイ各島、米本土でも行われているようだ。
そのスラックキー・ギター・フェスティバルが、一ヶ月後の東京大手町で開催される。
長いことフェスを牽引してきた「Milton Lau」率いるハワイの新進気鋭のミュージシャンが大挙して日本にやってくる。
そう、願わくばダカインサウンドをここ日本で再現してほしい。
日本のミュージシャンを育て本場ハワイとの交流を続けスラックキー・ギターの普及に貢献してきた山内"Alani"雄喜が昨年「Na Hoku Hanohano Awards」で表彰された。
長年の夢である「フェス開催を日本で」が実現する運びになったことは40年の歳月をともに活動してきた者として感慨深い。
今年9月18日、フラのイベント「Na Hiwa Hiwa Hawaii」の前夜祭として開催される「Slack-key Guitar Festival in Tokyo」
今年の成功が来年以降の継続につながる重要な第一回イベントだ。
全てへの愛とハワイへのリスペクトを忘れぬギター・フリークよ、集まれ!
Hawaiian Slack Key Music Festival held in Kona
THE GABBY PAHINUI HAWAIIAN BAND - IPO LEI MANU 1974 - YOUTUBE