何の罪もない純真無垢な障害者の方々が大勢、命を奪われました。
心よりご冥福をお祈りいたします。
私には父親違いの障害を持った兄が居ましたから、他人ごとでは無いのです。
入院先の病院で何があったのか、兄は46歳の時、額に大きな傷口がある状態で亡くなっていましたが、病院からは何の説明もなく、
戦争未亡人の弱い母と、世間知らずの私は何の追及もしないまま、遺体を引き取って帰りました。
もう30年ほど前の事です。
弱者は常に孤独とみじめさに纏わりつかれている人間社会、障害者は苦しみも悲しみも怒りも訴える術さえ無いまま、
あまりにも惨い一生ではありませんか。
健常者よりも優しい心遣いや愛情を持った障害者の人々が安心して暮らせる世の中の形成は
、国であり自治体であり、公僕と称される人たちの責務ではありませんか。
その昔、兄は滋賀県の障害者施設に預けられていましたが、母が面会に行くとおしっこでびしょ濡れで震えていた兄をみて、
母はたまらず福知山まで連れて帰ってきました。
それからは貧困でも家族3人が一緒に暮らしてきました・・・
親にとって障害を持つ子供が不憫でならないのです。
誰よりも美しく優しい心を持った障害者の方たちと関わりを持つ手段として、私はアルミ缶を袋いっぱい溜めては近くの施設へ届けています。
些細な事だけど、心を届けたいのです。
今朝の墓地の傍にツキミソウ1輪咲いていました・・・・・花言葉は「自由な心」を選びます。