二十歳前後の頃、
まだ睡眠薬が箱で買えた頃、ひと箱10錠ぐらい入っていたと思うし、
幾粒まで飲んだのかは記憶にないけれど、
お医者さまに胃洗浄をしてもらって助けられた。
母子家庭の母をどんなに苦しめたか計り知れない。
何故死のうとしたのか・・・
18歳の頃、母が仕事仲間の男性を家に連れてきて、
私は些細な反抗をしてそのまま、
当時お世話になっていた和裁の先生宅へ転がり込んだ。
暫く居候をしていたが、
児童相談所の紹介で隣町の観光旅館へ住み込みの事務員で就職。
2年から3年の間に発作的に死にたくなったと思う。
まだ3歳に満たない時、戦争で引き離された父の事がずっとずっと、
恋しくてならなかったから天国の父の処へ行こうと考えたのだった。
そんなに思い詰めては無くて、発作的だったと思う。
母子家庭で繊維会社への就職は出来ず、
担任の先生が私を高校へやらせてくれと日参してくださっても、
未亡人で苦労続きの母は、女は手に職を付けんと苦労するからと、
否応なく和裁の道へ・・・
学校友達も居て職場に友達も居て・・・それでも孤独と同居していたのだろう。
相談したい父が居ないから
今になって考えてみると、自殺=孤独、
それしか考えられない。
俳優 三浦春馬さんの自殺報道を見て、芸熱心な方だから尚追及される何か、
繊細な心の悩みがあったのだろうか、孤独な部分があったのだろうか・・・
と、心から
ご冥福を祈りたい。