こんばんは。
今日は、夜の仕事の日です。
明日、4月8日は、部下だった女性が亡くなった日です。
平成19年 4月からの大きな制度改正があり、システムの改修を請負ました。私は、その当時の責任者でした。
平成19年になり、1月後半から忙しい状態になり、休日出勤も増えました。
ちょうど、同じ時期に、コンビュータ本体の取り換えも行われていて、古いコンビュータで開発して、新しいコンビュータに載せ替える必要があり、追い込みの時期になっていました。
3月上旬に、それまで開発を行っていたコンビュータから、容量の大きなコンビュータへの移行を行いました。移行作業はリーダー等が行ったのですが、その後の動作確認とデータの入力をその女性が担当しました。夜間作業です。
その時、私も居ました。
動作確認を初めてすぐに、画面が異常終了する事態が発生し、なかなか作業が進みませんでした。
私は、お客様の担当者と対策を検討したりしていたのですが、翌朝、彼女は疲れきっていて、私は彼女の先輩になる女性社員を呼び出し、手伝ってもらいました。
うまく動かなかったのは、移行の手順ミスでした。急遽、移行が決まり、準備の時間が不足していました。
その日は、帰宅させたのですが。
翌日は日曜日で、休日出勤。
お客様の方も、この仕事の担当者数人が出ているだけでした。
午後3時頃に、リーダーが彼女が居ない事に気付きました。でも、荷物は置いたままなので、すぐに戻るたろうと、仕事を続けました。
それが、夕方になっても戻らず、リーダーと探しました。
彼女の自宅は、私の自宅の最寄り駅の近く。
メンバーの車を借りて、自宅も確認に行きました。電気はついていませんでした。
彼女は一人暮しで、実家の電話番号は知らなかったので、実家にも連絡できませんでした。
翌朝、会社から電話があり、彼女から電話があったとの事。すぐに、彼女の自宅に電話して、本人と話をしましたが、『すみません』と謝るばかり。
私は、客先を離れられない状況だったので、部下の女性社員2人に自宅に行ってもらいました。
また、実家にも電話して、迎えに来てもらう事にしました。
しばらく、実家で休んでもらおうと思っての事だったのですが。
彼女から、どれくらいの期間、休んだらいいかを聞かれ、私はとっさに『1週間くらい』と応えていました。
私の中では、ご家族が判断して下さるたろうと言う気持ちがありました。
その頃から、仕事の状況は一変し、東京の本社から応援を入れ、昼夜交替で仕事をする状態になり、私も、着替えに帰るくらいで、ほとんど仕事場に居ました。
今と同じ。中身を知る人が少なく、離れられなっていました。
そんな中で、彼女が本当に1週間で福岡に戻り、私に連絡をくれました。
ただ、状況が変わっていて、過酷な現場に戻せる状態ではないと判断し、部下とも相談して、当面、自宅待機してもらう事にしました。
それからも、何日かに一度は、電話やメールで連絡をとっていたのてすが、彼女の仕事への復帰の希望もあり、4月1日に開かれた役員を含めた会社の会議で、修羅場のような福岡の現場より、東京に出張してもらい、福岡の仕事を東京で担当している人のサポートをしてもらう事になりました。
彼女には、その準備に来てもらい、そのための打合せは夜中になり、私は、彼女と方向が同じなのでタクシーでいっしょに帰りました。
久しぶりに会った彼女でしたが、車内では他愛もない話をしたと思います。
彼女とは、他の部下といっしょに、よく中洲へも飲みに行きました。
その送った日の、タクシーの中での会話が、彼女との最後の会話になりました。
翌日、東京に出張した彼女は、4月8日の朝、出社せず、東京で彼女をみて下さっていた部長が、心配して宿泊先のホテルに行ったところ、ベッドで眠ったまま、亡くなっていました。
急性心不全。
まだ、30歳になるかどうかくらいの年齢でした。
その後、いろいろありましたが。その事は、今は書きません。
その知らせを聞いたのが、4月8日の正午過ぎでした。
明日は、私にとって、そう言う日です。
では、また。
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今日は、夜の仕事の日です。
明日、4月8日は、部下だった女性が亡くなった日です。
平成19年 4月からの大きな制度改正があり、システムの改修を請負ました。私は、その当時の責任者でした。
平成19年になり、1月後半から忙しい状態になり、休日出勤も増えました。
ちょうど、同じ時期に、コンビュータ本体の取り換えも行われていて、古いコンビュータで開発して、新しいコンビュータに載せ替える必要があり、追い込みの時期になっていました。
3月上旬に、それまで開発を行っていたコンビュータから、容量の大きなコンビュータへの移行を行いました。移行作業はリーダー等が行ったのですが、その後の動作確認とデータの入力をその女性が担当しました。夜間作業です。
その時、私も居ました。
動作確認を初めてすぐに、画面が異常終了する事態が発生し、なかなか作業が進みませんでした。
私は、お客様の担当者と対策を検討したりしていたのですが、翌朝、彼女は疲れきっていて、私は彼女の先輩になる女性社員を呼び出し、手伝ってもらいました。
うまく動かなかったのは、移行の手順ミスでした。急遽、移行が決まり、準備の時間が不足していました。
その日は、帰宅させたのですが。
翌日は日曜日で、休日出勤。
お客様の方も、この仕事の担当者数人が出ているだけでした。
午後3時頃に、リーダーが彼女が居ない事に気付きました。でも、荷物は置いたままなので、すぐに戻るたろうと、仕事を続けました。
それが、夕方になっても戻らず、リーダーと探しました。
彼女の自宅は、私の自宅の最寄り駅の近く。
メンバーの車を借りて、自宅も確認に行きました。電気はついていませんでした。
彼女は一人暮しで、実家の電話番号は知らなかったので、実家にも連絡できませんでした。
翌朝、会社から電話があり、彼女から電話があったとの事。すぐに、彼女の自宅に電話して、本人と話をしましたが、『すみません』と謝るばかり。
私は、客先を離れられない状況だったので、部下の女性社員2人に自宅に行ってもらいました。
また、実家にも電話して、迎えに来てもらう事にしました。
しばらく、実家で休んでもらおうと思っての事だったのですが。
彼女から、どれくらいの期間、休んだらいいかを聞かれ、私はとっさに『1週間くらい』と応えていました。
私の中では、ご家族が判断して下さるたろうと言う気持ちがありました。
その頃から、仕事の状況は一変し、東京の本社から応援を入れ、昼夜交替で仕事をする状態になり、私も、着替えに帰るくらいで、ほとんど仕事場に居ました。
今と同じ。中身を知る人が少なく、離れられなっていました。
そんな中で、彼女が本当に1週間で福岡に戻り、私に連絡をくれました。
ただ、状況が変わっていて、過酷な現場に戻せる状態ではないと判断し、部下とも相談して、当面、自宅待機してもらう事にしました。
それからも、何日かに一度は、電話やメールで連絡をとっていたのてすが、彼女の仕事への復帰の希望もあり、4月1日に開かれた役員を含めた会社の会議で、修羅場のような福岡の現場より、東京に出張してもらい、福岡の仕事を東京で担当している人のサポートをしてもらう事になりました。
彼女には、その準備に来てもらい、そのための打合せは夜中になり、私は、彼女と方向が同じなのでタクシーでいっしょに帰りました。
久しぶりに会った彼女でしたが、車内では他愛もない話をしたと思います。
彼女とは、他の部下といっしょに、よく中洲へも飲みに行きました。
その送った日の、タクシーの中での会話が、彼女との最後の会話になりました。
翌日、東京に出張した彼女は、4月8日の朝、出社せず、東京で彼女をみて下さっていた部長が、心配して宿泊先のホテルに行ったところ、ベッドで眠ったまま、亡くなっていました。
急性心不全。
まだ、30歳になるかどうかくらいの年齢でした。
その後、いろいろありましたが。その事は、今は書きません。
その知らせを聞いたのが、4月8日の正午過ぎでした。
明日は、私にとって、そう言う日です。
では、また。
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