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・・・🌸  山も花も初夏を迎えています  🌺・・・

南木佳士さんの本

2016年12月31日 | 日記

南木佳士(Nagi Keishi)さんの本にはまってる。

南木佳士さんとの出会いは「山と渓谷」で読んだ南アルプス登山の記事。

名前が珍しいので覚えていた。

著者紹介:南木佳士(なぎ・けいし)

1951年、群馬県に生まれる。現在、長野県佐久市に住み、総合病院に

内科医として勤めつつ、地道な創作活動を続けている。

81年、難民医療チームに加わり、タイ・カンボジア国境に赴く。

同地で「破水」の第53回文學界新人賞受賞を知る。

89年、「ダイヤモンド・ダスト」で第100回芥川賞受賞。

(中略)他の著作に、「阿弥陀堂だより」「医学生」「山行記」

「生きてるかい?」「熊出没注意 南木佳士自選短編小説集」

「猫の領分 南木佳士自選エッセイ集」「陽子の一日」などがある。

二度目は朝日新聞に毎日掲載されている「折々のことば」 鷲田清一 No567

【とても静かな、食うか、食われるか。】

 夫の心身の不調を十数年見つづけてきた妻が、

  夫の快復とともに精神に変調をきたしはじめた。

 彼は「この身が生き延びるために言葉や態度に載せて排出した 毒を酢ってくれる者がいて、

  だからこそいまこうして生きている在ることの罪業の深さ」を思い知る。  

 支えあうというのは身を削りあうこと。 時とともに重くのしかかる場所は映る。

                ・・・ 短編小説集「先生のあさがお」から・・・

この「先生のあさがお」を買い求め、読み始めた。

短編が多いので読みやすい。

山の話・植物の話・病気の事等、自分の興味ある分野の内容が詰まっていた。

作家で医師でもあった故渡辺淳一が短編を書くことについてこんなことを言っている。

短編を書くことは、作家にとって欠かせない勉強の場でもある。

短編は基本的には文章を削ぐことであり、その過程を重ねることによって

冗長な表現を除く一方、さらに鋭利な表現を身につける訓練にもなるからである。

そして、なによりも短編の魅力は短いことで、短い時間で、人生や人間の一面を

鮮やかに感じとることができたら読者も満足してくれることだろう。  と

               ・・・理でないリアリティのあとがきより・・・

短編の魅力をいい当てている文章だし、各作品もその通りの仕上がりになっている。

印象に残った「薀蓄」のある言葉を紹介します

<阿弥陀堂だより>

九十六年の人生の中では体の具合の悪いときもありました。

そんなときはなるようにしかならないと考えていましたので、気を病んだりはしませんでした。

なるようになる。なるようにしかならない。

そう思っていればなるようになります。

気を病むとほんとの病気なってしまいます。

                   ・・・阿弥陀堂だよりから・・・

病気の本質をとらえた文章だと思います。

約20冊前後の本が出ています。

”amazonで”ブックオフで著作を買い求めている。

芥川賞受賞作品

**

今日は久しぶりに新装なった「酔亭」でみそらーめんと水餃子を食べた

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ミソラーメン(キヤベツが甘く美味しかった) 

水餃子 

今年もあとわずか、良いお年を・・・・  


ミツバ岳・世附権現山

2016年12月22日 | 関東百名山

12月21日(冬至)冬を越す[ミツマタ]を激励にミツバ岳~世附(よづく)権現山を歩いてきた。

今日も小田急新松田駅にきています(駅舎からの富士山)

9:20 西丹沢行きバスで「浅瀬入口=丹沢湖畔」下車

手前は権現山の直登ルート、今日はミツバ岳経由なので落合隧道へ

手前は世附橋、一点の雲もなく富士山は終始この状況でした。

丹沢湖(人造湖)晴天です、季節外れの気温も20℃近く、暖かかった。

9:45 丹沢湖畔を歩いて登山口

西側は杉林

東側も杉植林帯、この下は滝壺沢(遭難事故)も発生しているとか

10:00 急傾斜、標高差で約200m登ってきた、眼下に丹沢湖と世附大橋が

10:38 二ツ目の道標、落葉で踏跡が不明瞭だが、”忠実”に踏跡を歩いた

冬至:中国の二十四節気では「大鹿が角を落とす」頃とあります

 残念ながら、鹿には出会えませんでした

ミツマタが出てきました

ジンチョウゲ科ミツマタ属:その枝が必ず三叉、三つに分かれるめに「ミツマタ」と名付けられた。

秋に枝の先端に花芽を作り、冬になれば葉を落とす落葉性の低木。

3月から4月ごろにかけて、黄色い小さな花を半球状にまとまって咲かせて芳香を放つ。

(山頂付近のミツマタは確かに多かった)

丹沢湖とミツマタ

11:45 ミツバ岳山頂

   

:花芽膨らんでいた     :ミツマタと 

落葉樹の林を権現山へ向かう、一旦下って登りかえす

(標識は一本もなかったが、木にペンキでマーキングされていた)

権現山(鞍部から)

北側は杉林、南側は落葉樹林帯  

   

:テラス            :朽木に根をおろして

最後の尾根道、ほぼ直線

11:40~12:05 ミツバ岳分岐・

11:42~12:05 (世附)権現山頂、近くの畔ケ丸:1298mの南に

 (前権現)権現山:1138mがあるので、ここは(世附)権現山と呼ばれる。

分岐に戻って昼食(ブナの樹林越しに富士山が見える)

この看板を作るなら、(仮でも)標識に1~2本作った方が・・・)

二本杉峠へ下る、所どころ落葉に埋もれた階段が見える

   

:丹沢主稜線の眺望  

奥の山並みは甲(斐)相(模)国境稜線です

  

12:35 二本杉峠

屏風岩山:1051mは 次の機会に

細川橋に降りる、杉林、石が転がっていて歩きづらい

落葉樹林帯に

麓の神社 

13:20 細川橋に降りた、バスは14:55発(想定内)

 バス通りを歩いて~ひたすら谷峨駅へ下った。

右奥が岩屏風山か?(細川橋から)

13:55 丹沢湖

    

:永歳橋と紅葉       :大野山 

     

:山茶花           :冬桜 

権現山(一番高いピーク)丹沢湖から

      

ミツマタが(もう)咲いていました

14:15 神縄バス停

馬頭観音(歩いてわかりました)

15:10 東名高速と大野山(#246から)

15:18 御殿場線谷峨駅(JR西日本) 

 バスより早く到着、カウントしたら約11km、2時間歩きました

            行程:標高差665m、約6時間、18.6km   

      8:25 小田急新松田駅 =9:20 浅瀬入口 ⇒9:45 滝壺橋登山口

       ⇒10:45 ミツバ岳 ⇒11:42~12:05 世附権現山・昼食 

       ⇒12:35 二本杉峠 ⇒13:20 細川橋 =15:18 JR谷峨駅 

**

12月15日世田谷ボロ市へ   

http://kototoki.net/boroichi-2109 

「三軒茶屋」~東急世田谷線で、「世田谷」へ

凄い人出でした(想定内)だったが、それにしても・・・・・

戦前の教科書、1冊300円で売られてました

油絵get!!!です、イーゼル(百金で購入)に置いていますが。

額の方が高そうです。

「家紋印」これも購入【沢沢潟=さわおもだか】といいます)

ボロ市(骨董市)ここにしかないものが売られているので、面白い。

      日にもあります。 


「義士祭」

2016年12月16日 | おばあちゃんと遠足

12月14日高輪泉岳寺へ、「義士祭」を見てきた。

泉岳寺駅です

 2分

あいにくの、正面が中門、周囲はこの通り(・・らしい雰囲気です)

山門

泉岳寺は曹洞宗の寺院。慶長17年(1612年)に、徳川家康が外桜田に創立された。

ところが、寛永の大火によって焼失、現在の高輪の地に移転してきた。

時の将軍家光が高輪泉岳寺の復興がままならない様子を見て、

 毛利・浅野・朽木・丹羽・水谷の五大名に命じ、今の泉岳寺になった。

浅野家と泉岳寺の付き合いはこの時以来のもの。

赤穂藩主浅野家の菩提寺であったことから、元禄15年の義挙の後は、

 赤穂四十七義士の墓所となった。

「大石内蔵助吉雄」銅像、故人のいは、知る由もないですが

 

本堂、雨にもかかわらず、人は出ていました

赤穂義士墓地へ

浅野内匠長矩公と正室瑤泉院の墓所では「墓前供養」が始まっていた

元禄十五年十二月十四日、本所松坂町の吉良邸に討ち入った赤穂義士。

吉良上野介の首級を上げ、主君である浅野内匠頭の仇を見事に討ったあと、

 死罪切腹となり泉岳寺に遺体が集められた。

簡単な葬儀の後、彼らは全員内匠頭(たくみのかみ)の墓の横にあった

 竹藪を切り開いた場所に葬られたとある。

赤穂義士の墓の並びが書かれています

同じような作りの墓が並んでいます。

興味を引いたのは戒名、「刃」や「剣」が入っています。

堀部安兵衛が「雲輝信士」、大高源五が「無一信士」等々・・・

戒名は死出の旅に出る亡くなった者が名乗る名前です、非常に重要な意味を持つ。

出きるだけ良い戒名を付ける事が、亡くなった方への何よりの弔いでもある。

「刀」や「剣」は刃物そのものを指す言葉であり、この様な不吉な単語は普通は絶対に使用しない。

例外が「罪人への懲罰的意味での銘銘」です。

「罪人が生きている時に終生の罪を担う証として刺青を入れられる事」と同じです。

「死んで後も罪人として永遠の罪を担わされる」意味では、更に悪意に満ちた名前と云えるかもしれません。

戒名は泉岳寺の住職、酬山長恩がつけたと伝わっている。

「院」「居士」の院号をつけられたのは大石内蔵助だけで、あとの義士は「信士」号である。

 内蔵助の戒名は「忠誠院空浄居士」。

忠誠院の字はまさしく「忠臣蔵」の主人公にふさわしい院号である。 

四十七士は今「義士」と呼ばれますが、

当時は犯罪者であることを考えると当然の処置だといえます。 

:実は、同じ事が浅野内匠長矩公にもおきています。

戒名は「冷光院殿前朝散大夫吹毛玄利大居士」。

一見、良い名前にも見えますが、是も罪人特有の最悪の戒名です。

「冷光」はその名の如く冷たい光で不吉な言葉、「吹毛玄利」は抜き身の刃を現す。

戒名をそのまま訳すと「不吉な冷たい光を放つ抜き身の刃」、不吉な戒名です。 

線香の煙が凄かった、多くの外人さんも墓に手を合わせていました。

最後にお墓ですが、誰が何時作ったのかは不明だそうです。

同じような墓石だったので、同じタイミングで建立されたのは推測できますが?

昼食は浅草まで足を伸ばし食べてきました。

「葵丸進」牡蠣の天麩羅です・・・初めて食べた、美味、値段もいい。

 浅草は正月モード、外人しか歩いていませんでした。

2016年12月”浅草寺とスカイツリー”

線香臭い話にお付き合いいただき感謝します。


御前山ⅲ

2016年12月12日 | 東京都の山

12月10日御前山(奥多摩)を歩いてきた。

境橋から登って、小河内峠から藤倉へ降りた。

3回目の御前山だが初めて歩くルートに仕立てた。

9:45 奥多摩駅から鴨沢西行のバスで境橋で降りる。

(大きなリュックを背負っているのは取山へ行く登山者多かった)

境橋の下を流れる「栃寄沢」

What is this? 橋の手摺に描かれた?模様です 

御前山までの上りコース

10:05 林道を歩いて分岐、栃寄の大滝を経て御前山への登山道です

 今は九竜山:942mで「森林伐採」をしているので閉鎖されています

九竜山、植林した杉を伐採していました

      

:スギゴケ                          :キランソウ(冬仕度完了)

都心の最低気温は5℃、標高800mのここでは霜が降りています

石尾根でしょうか(北側の眺望)

林道で作業する伐採業者(直ぐ道をけてくれました)

10:50 栃寄の大滝(林道から)

11:00 やっと登山道

   

:冬の百合          :カラマツの広場にて   

「奥多摩都民の森」を登って行きます

陽だまりの道、(もうすぐ稜線)

12:03 大岳山~御前山の稜線に合流です

春になると「カタクリ」が楽しめる、最後の登りの階段です

12:10~12:25 御前山頂(標高差1000m登ってきました)

丹沢山塊をおかずに昼食です(先週居た山です)

惣岳山への道、柱も字の色も”オレンジでした

(富士山は樹林越しにチラっと姿を見せています)

12:40 惣岳山、今日は小河内峠に下ります

落ち葉に埋まった道、ここを下ります、足元は滑る、滑る・・・・

      

:富士山            :鷹ノ巣山(北側)      :鹿倉山(北西側)

落ち葉の道を下った場所にある、岩場からの眺望です 

多摩湖

こんなヤセ尾根も 

日本山岳耐久レース:通称ハセツネカップの45kmポイントとあります

http://www.hasetsune.com/      → ハセツネカップ

13:20 小河内峠:1050m

ここから陣馬尾根を藤倉バス停(約3.2km)まで下ります

 

中ノ平遺跡:竪穴式住居跡があった場所 

  

登山安全祈願して建立された「荷付け場地蔵」石碑はあったが地蔵さんは?

杉の植林帯(向うは陽が射していますが)

「浅間尾根」秋景色です 

14:25 麓にあった春日神社です

14:30 藤倉バス停、日陰です。

次のバスまで60分あるので、バス通りを歩くことに   

15:20 小岩バス停(浅間尾根登山口がある)、ここからバスで武蔵五日市駅へ

 

           行程:標高差1005m、約15km、5.5時間  

      9:30 奥多摩駅 =9:45 境橋バス停(林道歩き) ⇒10:05 登山道分岐

       ⇒(栃寄の滝)11:10 登山道(奥多摩都民の森) ⇒11:40 カラマツの広場 

       ⇒12:03 稜線 ⇒12:10~12:25 御前山・昼食 ⇒12:40 惣岳山

       ⇒13:20 小河内峠 ⇒14:30 藤倉バス停 ⇒15:20 小岩バス停          


大石山(同角山稜)

2016年12月05日 | 神奈川県の山

12月3日、長い玄倉林道を歩いて、大石山(同角山稜)をピストンしてきた。

大石山:1220m、丹沢山地西部、檜洞丸から南に伸びる尾根にある。

 西側が同角沢で、遺言棚などの滝がある峻嶮な谷となる。

8:10 玄倉、歓迎してくれました

檜洞丸あたりかな?

9:20 青崩隧道(ここのみ明が必要です)

(名もない)滝らしきものもいくつかあります。

(玄倉ダム)ユーシンブルーというそうです

   

10:10 ユーシン(分岐)塔ノ岳は昨年ャレンジしました

10:15 ユーシンロッジ(【現在休業中】”布団を干していた)

 行政は”民間活力を利用して”再開のチャンスを待っているようです。

大石山まで往復3km(標高差:477m)

最近登りが”きつい”と言い出したT﨑さん、先行してもらいます

たぬきの溜糞(久しぶりに見ました)しかも道の真ん中

結構な登でした

11:05 山の由来と云われる花崗岩の大石、/歩いてきました

大きな岩です

   

:丹沢主稜線         :富士山は雲の中

大石山でしょうか?

大きな橅の木

      

:なん~だ?         :苔の            :シジミ茸?

鎖場らしい場所でした。

キレット(かなり落ち込んでいます)

11:36~11:55 山頂です・昼を食べて疲れを取ってから撮りました

今日はここまで、檜洞丸4.3kmと標示されています。

(同角山稜は次回、来年秋ということに)

   

:丹沢主稜線         :同角山稜

ここから同角のノ頭を越えて、石棚山稜に合流するには、まだ3時間はかかる 

 

12:15 大石に食い込んだ橅の木、まさに(奇跡)木石

12:40 急登を下り東屋に

12:45 ユーシンロッジまで降りてきました

大石山(玄倉林道より)

      

:次世代            :イワシャジン        :ミツマタ

      

最後の紅葉です 

山茶花と彩づいた山並み 

 

               行程(標高差860m、24km、6.5時間) 

      8:10 玄倉バス停 ⇒(玄倉林道) 9:20 青崩隧道出口 ⇒10:00 雨山橋

       ⇒10:15 ユーシンロッジ(登山口) ⇒10:35 東屋 ⇒11:05 大石(岩)

       ⇒11:36~11:55 山頂 ⇒12:45 ユーシンロッジ ⇒14:45 玄倉バス停