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・・・🌸  山も花も初夏を迎えています  🌺・・・

要害山

2018年03月25日 | 山梨百名山

24日(土)今日も甲府へ降りました、要害山を甲府駅からピストンします

要害山:770m よく聞く名前だ。【日本山名辞典】には紹介されている。

甲府駅の北東5km、釣鐘形の山。

1520年に武田信虎が築城した桝形式山城の跡があり、信玄誕生の地。

西麓には湯治の場、要害山や積翆寺がある。

雲は多いけど晴れています

積翆寺まで上り、約5km   

8:40 武田神社、まだ閑散としてます

甲府は昨日「開花宣言」この桜は7~8分咲

武田神社から竜花池へ、手前から遊歩道に入るが、地元の人が

荒れているよ」と教えてくれたので、バス通りを選択した。

9:13 右)積翆寺バス停を経て要害山

    左)積翆寺を経て要害山 左へ行き積翆寺~日吉神社へ

振り返ると)甲府盆地

9:25 積翆寺(意外と貧弱)

下って「深草山」瑞岩禅寺、深草観音の本尊(高さ5.4cm)が安置されている

日吉神社の蠶(かいこ)神

林道~登山道、まず深草観音へ向かいます 

沢も道も一緒です

10:20 深草観音へ(説明はここに書いてあります)

今は麓にある「瑞岩禅寺」かってここにあった

しっかりした金属製の梯子を上って「岩堂」へ

結構高度感あります。

12:35 深草観音を後に岩堂峠をピストンしてきた

右側の苔むした土塁は「蚕種石室跡」昔はここで蚕の種を保存していたとか。

10:45 岩堂峠:915m、今日の「最高所」です

3月4日「大蔵経寺山」に行った時「岩堂峠2時間」とあった場所です。

   

キブシ(木五倍子)    ダンコウバイ(壇香梅)

の花です

  

11:35 要害山:770m、昼を食べました。 

要害山は山全体が「要害城」という山城。

武田信虎が築いたもので、居館と政庁を兼ねた躑躅ケ﨑の館(現武田神社)

に対して、緊急時に立て籠もる詰の城としての役割を担っていた。

「主廓」と呼ばれる広い場所に標柱が、「武田信玄生誕の地」の石碑も並んでいた。

12:05 下って「武田不動」像、神様になっていたんですね。

また「来るわ」と約束はしませんでした

要害山です

      

野草たち

みんなこっちを見ていますね  

   

                草桜?

13:15 朝と同じ閑散としています

         行程:標高差665m、約5時間、16km  

    8:10 甲府駅 ⇒8:40 武田神社 ⇒9:25 積翆寺 ⇒10:20 深草観音

     ⇔10:45 岩堂峠 ⇒11:03 要害山分岐 ⇒11:35~12:05 要害山

     ⇒12:30 積翆寺バス停 ⇒13:05 武田神社 ⇒13:30 甲府駅

                   山梨百 要害山 73 完登


武田神社

2018年03月17日 | walking

「兜を忘れたのか信玄?」川中島の合戦を描いた絵

昼からの予報、「要害山」は断念し、武田神社を散策しました。

「武田通り」甲府駅北口~武田神社へ続く(やや登り直線の)参道

円光院と「信玄公火葬塚」へ寄り道です   

野辺の道

墓ではなく、「火葬塚」とありました

信玄公の「墓」はこのほか、

山梨県内では大泉寺、恵林寺、長野県の諏訪湖、長岳寺と竜雲寺、和歌山県高野山、

愛知県福田寺、京都の妙心寺など全国にあるようです。

これは信玄公が遺言によって、喪を3年間秘めていたことや万一の外敵を恐れて、

埋葬地をしていた結果とも【推測されて】います。

江戸時代に建立された「墓・火葬塚」

 オオイヌノフグリ 

庚申塔 

積翠寺背後の釣り鐘をふせたような要害山に、信玄公の父・武田信虎公が

永正17年(1520)に築いたのが要害城。標高は770m。

戦の際に立てこもるのを目的とした詰め城で、山頂を整形して主郭とし、

山腹にも連続的に郭を配置し防備を固めています。   【解説より】

「円光院」、信玄公の正室・三条夫人の菩提寺です。

説三和尚を住持として開山し、甲府五山の一つに加えて保護しました。

三条夫人が元亀元年(1570)に没したので、この寺に葬りました。

名刹の雰囲気が漂っていました

「三条夫人墓所」新しい・・・・

事情通に聞くと「傾いていた墓所を掘り返しリフォーム」したそうです。

墓室には何もなかったとも(盗掘にあった?)

隣りの墓所ですが、こちらのほうが由緒ありそうでした

サンシュ 

菜の花 

これは珍しい「牛供養塔」、「頭観音」は多いが・・・・

武田神社:武田信玄公をまつった神社で、大正8年(1919)に創建された。

この地は、元来、武田氏三代(が63年に渡り国政を執った由緒ある「躑躅ヶ崎」の館跡で、

国の史跡に指定されている。    

躑躅ヶ崎の館は戦国大名の館としては全国最大規模を誇るもの。

 

土塁も築かれていました。

種々の話を聞かせてくれたシルバー人材センターWさんです。

「躑躅ケ﨑の館」内も発掘作業が行われていると教えてくれました。

出てくるのは古銭ぐらいだと・・・・・。

豪華な朝食でした

朝からデザートです


貫ケ岳・白鳥山

2018年03月11日 | 山梨百名山

3月10日Ⓜaitabiツアーで貫ケ岳・白鳥山(山梨百)へ行ってきた。

JR身延線沿い、甲斐・駿河境、電車利用では便が悪い低山だ。

貫ケ岳:897m 身延線井出駅の南5km。山頂は展望に恵まれないが、

 南貫ケ岳(平治の段)近くの展望台からは富士山や遠く駿河湾・伊豆半島

 が見渡せる                        【山梨百名山手帳より】

10:25 貫ケ岳中沢登山口(裏の広場はドクターヘリ・ポート)

茶畑を行く「老々女」20人一行

筍林

延々(山頂まで)と続く、杉の植林帯  

御花摘み」も容易にかないません

中沢焼山(稜線)への最後のきつい登りです

12:00 中沢焼山、「平治の段」とは別名南貫ケ岳:937m

一息入れて小さなピークを二つ越えて・・・

最後の登り

12:25~45 久しぶりに with tazaki!!

眺望はこの通り、霙も落ちる空でした、カヤトの刈られた山頂で昼食

冷える山頂、早々に退散です

13:10 分岐へ、急登のいやな下山がはじまります

間伐はされています

一輪咲いていたミツマタ   

転ぶこともなく林道へ降りました

ヤバイ(野梅) 

登山口(中沢公民館前)より見た貫ケ岳 

バスで白鳥森林公園へ移動、登山口です。

白鳥(しらとり)山、城取山とも):568m 身延線芝川町(静岡県)の「西北西3km

 甲斐・駿府境、富士川下流右岸にある。山梨百で最も低い標高 

空身で階段を歩いて(往復600m、標高差68m)のピストンです

ミツマタ(植栽されたもの):ジンチョウゲ科

  呼ばれたる ような気がして 振り向けば 

              ミツマタの花 ふくらみたり 

                     【誕生日の花と短歌365日より】

マンサク:花は字に結んだリボン形

 2~3月、他の木々に先がけて花をつけるから「マンズ サク・・・マンサク」とか?

山頂の表示板で「山座定」

このに映る富士山が「定番」のようですが

      

十枚山           富士川を挟んで      思親山

(いずれも山梨百:既登)

晴れればこの光景です by net

カワズサクラは蕾が膨らんでいました

           行程:標高差617m、3.5時間、6km 

      新東名清水1C =10:25 中沢登山口 ⇒(杉の植林帯) 12:00 中沢焼山 

      ⇒12:25 貫ケ岳・昼食 ⇒13:10 中沢焼山 ⇒14:15 中沢登山口 

      =白鳥山森林公園 ⇔白鳥山(68m、1時間、0.5km) 

              山梨百 貫ケ岳71 、 白鳥山72 完登 

**

 今日の最大の収穫は、

 海老名SAで途中下車、「相鉄海老名駅」までのルートを知ったことでした。 

 ①徒歩10分で「国分寺台バス停」、

 ②ここから相鉄バス分足らずで海老名駅でした。


大蔵経寺山

2018年03月06日 | 山梨百名山

大蔵経寺山(だいぞうきょうじやま)別名:笈形山(おいがたやま)・山梨百名山。

石和温泉駅の北西2km。南・東麓には山神宮、大蔵経寺、山梨岡神社などがある。

笈とは:行脚僧、修験者などが仏具、衣服、食器などを入れて背に負う箱。

 四隅に足があり、戸によって開閉する。後笈(おとおい)とも。  【広辞苑】

 山容を見て付けられたのだろう、大蔵経寺山は「ネーミングライツ」の走りか?

3月4日、気温は20℃あった、石和温泉泊なのでが13:00だった。

甲斐駒ケ岳、高い気温で霞んでいた(手前は中央線)

13:10 大蔵経寺山及び大蔵経寺入口

橿の実?

仏混淆、「物部神社」

13:20 フェンスを開けて登山道へ

簡易舗装道路、落葉樹です

植林帯より情緒があります

13:35 第一展望台

      

御坂山塊です   [クリックして下さい、大きくなります]

13:50 第二展望台から

駅から歩いてきた道をします

簡易舗装道路を終えて登山道へ、

さらに高度を上げると岩も出てきます

14:15 登山口から約1時間で、登山道の中央に山頂標識

若先歩き足らないので、少し先(長谷寺分岐)まで行ってみました

これは長谷寺への「丁石」か道端の岩に彫ってありました。

14:30 防火線の頭:732m (のようです、松の幹にかけてある、手製表示は消えていた)

甲府盆地の先に聖岳・赤石岳が見えるはずですが、今日は・・・・・

その松の木に寄生した物体

14:35 長谷寺分岐

甲斐三十三観音霊場 第十四番礼所 真義真言宗 菩提山長谷寺

養老6年(722年)に行基により開かれ、平安後期には周囲の山々だけでなく平地まで建物が

軒を連ね「千坊」と称され隆盛を極めた。

山門跡の両脇には現在石造仁王像が立ち並ぶ。

本尊の十一面観世音菩薩が女人信仰に厚い仏様であったことに由来し、「女人高野」と呼ばれる。

標示板の下にあった「四」丁石

少し先のピークまで足を伸ばした

14:45 無名のピーク、周囲の木に表示がないか探したけどなかった。

標高は775m(CASIO PROTREK)だった。  ここから戻った

「堺」=「結界」?

15:10 大蔵経寺山~山神宮へ下ります

落ち葉で隠れた登山道、楽な下りではなかった。何度滑ったかわからない

これから山頂へ向かうフトメの”チャレンジャー”

15:40 山神宮(滑り下りたので半分の歩程、30分で着いた)

山神宮:石和温泉駅の北西500mの地に、下宮(里宮)が鎮座。

 階段上には、社殿があり、後方に赤い屋根の本殿。

 祭神は、山の神・大山祇命。神紋は羽団扇、天狗の持物だ。

15:40 麓にあった「山の神・大山祇命」石碑

墓の「墓場」

リッチなお寺です

麓の大蔵経寺、名刹でした

ホトケノザ(三界草)=春の七草

富士山も顔を見せてくれました

宿舎(最上階)からの望です

      

:兜山と小楢山      :黎明の御坂山塊     :大蔵経寺山 

      

食前酒ではじまった食事、

前菜・刺身・向付焼物・蓋物・鍋物・洋皿・揚物・・御飯・清汁・デザート

                                豪華な夕食でした

         行程:標高差545m、約10kmm、約3時間  

      13:00 石和温泉駅 ⇒13:10 大蔵経寺入口 ⇒13:20 登山口ゲート

       ⇒13:35~50 第一・二展望台 ⇒14:15~25 大蔵経寺山:716m 

       ⇒14:30 防火線の頭 ⇒14:35 長谷寺分岐 ⇒14:45 無名ピーク:816m

       ⇒(往路戻る) 15:10 大蔵経寺山 ⇒15:40 山神宮 ⇒16:10 宿舎

                    山梨百 大蔵経寺山 70 完登