クリンの広場

たまっこくりんのおもいのたけ

大谷君からの誕生日プレゼント

2017-08-31 | 日記・エッセイ・コラム

 今日は、しん(親)友・チットの たん(誕)生日


プレゼントを、

どうするか

 朝から、おにいちゃんと そうだん(相談)です


そういえば、今夜、日本ハムVSソフトバンク戦で 

大谷君(大谷翔平選手)

先発するらしいぞ」 


「ええっ


 (ケガしちゃって以来、今シーズンまだ一回しか・投げてない

大谷くんが・・

 「これは、大きなバースデーブレゼントになるな 

チットは

大谷君が 好きだから」(おにいちゃん)


「じゃあ、今から見に行こうか みんなで

 「・・・でも、おにいちゃん、家族全員、札幌ドームまで連れて行ける

お金ないぞ。。」


 「・・・・クリンも。」 


 「そうだ チットに ひこうき(飛行機)代とチケット代、出してもらおうよ


グリン それは、ちがうぞ」 




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石川県に対する勘違い~クリン家ドライブ能登半島旅行・36

2017-08-30 | 旅行記

 ごうう(豪雨)で、たのしみにしていた「奥能登の棚田見学

できなかったものの、

 せっかく・米どころに 来たので、お米を買ってかえりました

 こっちに来て初めて知ったけどさ、『コシヒカリ』の『コシ(越)』は、

福井県(越前)の『越』だったんだね~。

 おにいちゃん、越後(新潟県)の『越』だと 思い込んでたよ

 

 「・・・クリンも、石川県に来る前は、かなざわ県(金沢県)だと

おもいこんでたよ

 

 「旅って、いろいろ、ハッケンできるね

 

 

 

 

 

 

 

 

(クリン家ドライブ能登半島旅行、完。)

 

 

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七尾へ~クリン家ドライブ能登半島旅行・34

2017-08-28 | 旅行記

 「豪雨予報」が出た日の朝、クリンたちは、急きょ

旅を 中止して、

東京へ、かえることを 決めました 


 予定では、これから「輪島市内」を かん(観)光し

「海鮮丼」を食べて、(←イメージです)

 おくのと(奥能登)のたなだ(棚田)・「白米千枚田」を見物

半島の先っちょ「珠洲岬」までつきすすみ、(←イメージ)

 「ゴジラ岩」と「見附島」で、記念さつえい(撮影)

して、

 ちょっと・下におりついでに、左に行って

「能登金剛」なる・ガケに立ち

 ラストは、七尾に入って、七尾びじゅつかん(美術館)で

「長谷川等伯」を見る

 その足で、ムジナがたくさんいたという、「能登島」にわたる

 

はずだったのです。


それなのに・・・

 

 よほう(予報)通り、雨はふたたび たたきつける

ように

ふり出してきて

かえるしかないかんじに

なってしまいました。。


 ・・・・・が


あきらめられない・チットが、

文句を

言いはじめました。

 

 「おにいちゃんとクリンは、初めてだから

金沢だけで満足だろうけど、、

私はね、

 今日の能登半島一周を 旅のメインに考えていたんだから

これじゃ、

来た意味ないよ・・。」

 


すると、

おにいちゃんが 言いました。

 「・・・・チットは、七尾に 行きたかったんだっけ?

 じゃあ、今のうちに七尾だけ、ちょっと行ってみる?

帰り道の方向だから。」「うん」(チット)


 というわけで、クリンたち、「通行止め」が

気になるけど・・、

ななお(七尾市)に よってから、かえります 








(その35、「長谷川等伯の松林と銘菓」に、つづく)



 

 




 

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能登半島を襲った豪雨~クリン家ドライブ能登半島旅行・33

2017-08-27 | 旅行記

<夜、輪島市内のホテルにて。>



 「すごい雨音じゃない


・・東北地方に前線が停滞している影響で、明日は

秋田県を中心に大雨に警戒が必要です。

予想雨量は、秋田市で160ミリ。

輪島市で150ミリ・・・」(天気予報)


 のと半島、ちょくげき(直撃)


・・・まずいな。

 道路が冠水するかもしれないぞ。

 こんな雨の中、海岸沿いを車で移動して 能登半島の先端まで行くのは

危ない

通行止めになる前に

東京に帰ろう


「えー 旅、中止ー(まだ、わじまの朝市行ってないのに・・)







(その34、「七尾へ」に、つづく)



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千里浜なぎさドライブウェイ~クリン家ドライブ能登半島旅行・32

2017-08-26 | 旅行記

 金沢をはなれた・クリンたちは、今夜の宿泊地・わじま(石川県輪島市)

へと、

向かいました

 ここ、米軍基地反対闘争があったとこで、ウンタラ・・」(チット)←内灘通過。

 のと(能登)半島を ドライブするさいには、

 先たん(端)まで行くのに、とっても・べんり(便利)な、

「のと里山海道」っていう、むりょう(無料)

高速どうろ(道路)

あります


 これさえ・のっておけば、わじま(輪島)まで、スイスイ

なのですが、

 クリンたち、とちゅう(途中)で、ちょっとよってみたい

ところがあったので、

今浜インターで、おりました 

 

 お目当ての場所、とは・・・

「千里浜なぎさ・ドライブウェイ です


 ちりはま(千里浜)というのは、石川県はくい(羽咋)市にある、

海水浴場もかねる

ビーチ

なのですが、

 日本で、ゆいいつ(唯一)車で走れる砂浜

いうことで、

 わざわざ、えんぽう(遠方)から来る・ドライバーもいるほど、

人気です


 しかしなぜ 4WDでもない車が、砂浜を走って平気なのか

というと、

 ここの砂はきめが細かく、海水をふくんでひきしまっているので、

「舗装道路」

みたく

かたいらしい・・


 車どころか、バイクもバスも自転車も 

波打ちぎわ(際)

走れるのです


 ・・・ふと、きづくと、ラクダの「タマーム」が

せり出して

きていました


 「ブエエエエエーーーブエエエエエーーー


「どっ、どうしたの タマーム (すごいないてる


・・砂浜を見て、故郷の砂漠を 思い出したんじゃないか?」(おにいちゃん)


 (そういえば、タマームは、ヨルダン出身。。)


すると、今度は、

アラビア語が

きこえてきました


「ヤッラーヤッラー(※レッツゴー


「カビーラクワイス、サハラー(※砂漠、最高

 「ホラ、やっぱり、砂を見て 興奮してるんだよ

いつになく目がイキイキしてる」(おにいちゃん)


 「オニイチャンアナー・インバサット・アウイー」(※とっても楽しかったよ


「オニイチャン、シュクラン」(※ありがとう)

 「アッファワン」(※どういたしまして)←サラリーマン時代、中東にいた人








(その33、「能登を襲った豪雨」に、つづく。)















 

 

 

 

 

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大友楼の利家御膳とおまつ御膳~クリン家ドライブ能登半島旅行・31

2017-08-25 | 旅行記

「ね~、おにいちゃん。

 今夜泊まるホテルって、

 夕食付きじゃないんだよね?」

 そうだ~。どこかで食べていくぞ。」

 

じゃあ、料亭行こうよ」(チット)

 「えっ

 

 前田家の殿様は、代々・美食家だから、加賀料理はレベルが高い

 金沢を訪れたからには、料亭で 正統派の加賀料理を、食べるべし

とは、うちのチットの言い分ですが・・、

 今は、家ぞくで「貧乏旅行」中だから、そんな・ぜいたく、

できません

 

 そこで、金沢駅ビル「あんと」で、りょうてい(料亭)が

出している、

お弁当を、買って食べることにしました

 

 えらんだのは・・・

 大友ろう(楼)の、「利家御膳」(1080円)

と、

「おまつ御膳」(1000円) 安い

 

 戦国一の 仲良しふうふ(夫婦)として、大河ドラマにも描かれた、

前田としいえ(利家)と、つま(妻)・まつ

 二人三きゃく(脚)で、家をもりたてた・ふさい(夫妻)を

しょうちょう(象徴)して 作られたお弁当は、

 2つならぶと、めおとごぜん(夫婦御膳)さながら

です


クリンたち、

数々の

駅弁の中から、

 もっとも・金沢らしい、この2つを、

えらびぬいたのでした



しかし・・・


「弁当忘れても、傘忘れるな」の 言い習わしがあるほど、

雨の多い

この地方の 

気こう(候)も

わすれ、 

 弁当のことだけを 考えていた・クリンたちは、、

 この日の夜から、大雨に 見ま(舞)われてしまいます








(その32、「千里浜なぎさドライブウェイ」に、つづく)






 

 

 

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金沢駅のガラスドーム~クリン家ドライブ能登半島旅行・30

2017-08-24 | 旅行記

 金沢をはなれる前に、えき(金沢駅)を、おとずれました


・・・・うわさには、きいていたけれど、 

 すごい・かっこいい駅です

 「北陸新幹線」が開通するときに、あわせて

リニューアルした

金沢駅は、

 正面に、つづみ(鼓)をあらわした、木の、大きな門


その奥に、

 「東広場」が、あります。(きねんさつえい



さらに、

 このえき(駅)を、アーティスティックに 見せているのが、

天井の ガラスドーム


 雨がたくさんふる金沢を おとずれた人に、「傘どうぞ

って

さし出す、

 地元の「おもてなしの心」を、あらわしてる

らしい。


(・・・・とうめいの、かさ。) 


 (・・ってことは、ビニールがさ(傘)だな


これから

クリン、

ビニールがさを

見るたびに、

 金沢の「おもてなしの心」を、思い出すことでしょう








(その31、「大友楼の『利家御膳』と『おまつ御膳』」に、つづく)




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ほたるいかのソフト素干しを買う~クリン家ドライブ能登半島旅行・29

2017-08-23 | 旅行記

 夕方、おうみちょういちば(近江町市場)に、行ってみました


 江戸時代の、中ごろに開かれた・この市場は、

 以来ず~っと、金沢の台所・・  

 

 「・・・っていうか、今、何時だっけ


早朝オープンの

はずなのに、

 市場内のお店が ほとんど・開いてます (すごくにぎわってます


・・・・・


ひとつたりとも、

はやっていない

お店が

ない。。


 (←伝統食、ドジョウの蒲焼き)


めずらしいものが

いっぱいあるので、

 クリンたち、つい ちょこちょこ・お金を つかって

しまいました

 

 「ひがし茶屋街」みたいな、かん(観)光地で、

うっかり、

「お金持ち向けの高級サバへしこ

買ってしまった

クリン一家でしたが、

 近江町市場では、なかなか、かしこい・買いものができた 

思います

 

 とくに ししょく(試食)して、気に入った、

「ほたるいかのソフト素干」

は、

 「ソフト」っていうだけあって、かむと、

口の中で

イカの胴体の

ワタ(内臓)が、

「ジュワッ」って 出てきて、うまい  やみつき


 ドライブ中、カミカミしていたら、2ふくろ(袋)を

食べきってしまい

車の中が、

海の香りで 

みたされて しまいました・・


 

・・海の香りっていうより、ちょっと生臭くないか

「・・・うん、まあね。。」

 

 

 


 

 

 

(その30、「金沢駅のガラスドーム」につづく。)


 

 

 



 

 

 

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泉鏡花の初恋の人・湯浅しげ~クリン家ドライブ能登半島旅行・28

2017-08-22 | 旅行記

 金沢を代表する、文ごう(豪)・「泉鏡花」は、

明治6年、

ここ・あさのがわ(浅野川)のほとりで

生まれました

 

 「彫金師」の父と、「能楽師」の流れをくむ母の子として、

生まれながらに

美と伝とう(統)へのかんせい(感性)を

そなえていた

きょうか(鏡花)

 

 持ち前のセンスで、和の美しさと古式ゆかしさに こだわった、

あやしい物語を

つむぎ出しました

 

 多くの作品を次々・生み出した、きょうか(鏡花)ですが、

彼の生まれ育ったところに

来てみると、

 なるほど と思わせるほど、町が 物語のじょうかん(情感)

みちています

 

しかし・・・

 それとは別に、彼には、才能としこう(嗜好)を抜きにしても、

どうしても

書かないではいられない

個人的なテーマ

ありました。

 

それは・・

 9才で亡くなった、母へのしぼ(思慕)と、

少年時代に、

自分を助けてくれた、

やさしい女性たち

の 

おもかげです

 

 きょうか(鏡花)は、立場は弱くとも、あい(愛)にじゅん(殉)ずる

女性の 

ひたむきさや、

 りん(凛)とした強さに あこがれていました

 そこに、自分好みの、美しいようし(容姿)が加われば・・

もう、

さいきょう(最強)

 それは、ぜひとも!その手で 作品にとどめたい、

「永遠の理想

なったのです・・。

 

 そうした・フェミニズムは、いっかん(一貫)して 

かわらず、

内弟子時代も、

売れっ子作家時代も、

 きょうか(鏡花)の作品には、美しく

むげん(無限)にやさしい・女性が描かれました

 

 

 ここに、「鏡花の初恋の人」の シャシン(写真)が あります

 

近所の時計店の娘、

ゆあさしげ(湯浅しげ)

です。

 

 やさしい・ひとみ、上品なほほえみ、やわらかな・ほお(頬)・・

 

少年・きょうか(鏡花)は、

この年上の幼なじみに

ほれこみ

 彼女がおよめ(嫁)にいった後も、忘れられず、

何度も

彼女をモデルに

小説を 

書きました


 そして そのついぼ(追慕)の念は、やがて

ちょっと、

行きすぎ

のところまで、

行ってしまいます・・

 

 それは、「鏡花・43歳」の時のこと


所用があって

かえった金沢で、

初恋の人・しげから

お手紙をもらってしまった

ことに

たん(端)を 発します

 

 くすぶる・想いに火がついてしまった きょうか(鏡花)は、

りえん(離縁)して

実家に帰っていた・しげ

プレゼントをおくり

 うれしくて・たまらない気もちを、お便りした

あげく、

 しげへのおもいを、小説に 書いてしまったのです


それが、

 この、「由縁の女(ゆかりのおんな)」っていう作品

です。


 タイトルどおり、「鏡花ゆかりの女たち(妻・いとこ・初恋の人・母etc・・」

全員とうじょう(登場)


 内容は、金沢に里帰りした主人公が、病にたおれた・初恋の女との

再会を

果たすべく、

あさのがわ(浅野川)の上流の、

「魔所」と呼ばれる

谷に向かう・・


 そして、恋する女が、あいする母と ゆうごう(融合)していく幻想に、

コウコツ(恍惚)となる・・・


みたいな、

まんま

自伝とりそう(理想)をもりこんだ

ストーリー・・。


 初恋の人の名を耳にした時の、主人公の描写なんて、こうです


「かれの胸は、

 さながら川の瀬を縦に、滝となして空に輝く月ながら、

 ドと魂に浴ぶる思いがした。

 ・・生まれて十一に恋知りそめて、

 三十年に余る二十年。

 寝る間もいつか忘るべき・・。」



 初恋の人に、対面し、告白するシーンなんか、こうです


「生命を掛けて申します。

 私は生まれました時からの約束のように

 貴女を、貴女を恋い、こがれ、慕うんです。

 ・・・大海の潮と一所に、

 片時も、この世の中に、

 いや、私に、

 貴女という月の 離れたことはありません。

 毎夜のように 夢を見ます・・。」



 初恋の女から、「奥様いるの?」と聞かれた時なんか

こんなこと・言ってます


「私は女房を持ちました。

 しかし、女房は世の一切では ありません。

 ・・・女房のほかに貴女をお慕い申すのは、

 女房と二人して、

 月を見ますのも同じです。」




 ちょっと、ちょっと


 あなたには、東京に、「恋女房」の、すずがいなかった

 あなた好みの、芸者あがりの、すずが・・、ししょう(師匠)に逆らってまで

いっしょになった、

「理想の女、魂の理解者」

である、

すず夫人が、

いませんでしたか


 ・・・クリンたちは、おどろき、また、あきれました。


 しん(親)友・チットも、「一人の妻」として、

いつになく

げきど(激怒)


 「よくまあ、こんなん発表できるわ

すずの気持ち、考えないのかね

憧れの女への想いなんて、

墓場まで持ってけ

すずがいないと、何もできなかったくせに。


愛妻なめんな


ののしった・あげく、

 しばらく・考えて、ニヤリ・・、とわらい、

こんなことを

言いました。



・・・

 鏡花ってさあ、

 菌恐怖症で、

 ナマモノ食べられなかったんだよね~。

 リンゴも、すずに命じて、手が触れないように剥かせたやつしか

食べなかったらしい。

・・・

もし、

私がすずで、

こんな小説発表されたら、

 トイレの床をふいた雑巾をなすりつけた・リンゴを

こっそり

食べさせちゃうかも。


フフフ・・



 (ガタガタ・ブルブル・・・


「おにいちゃんは、ふるえなくていいんだよ









(その29、「近江町市場で、ほたるいかソフト素干を買う」に、つづく)











 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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主計町茶屋街散策~クリン家ドライブ能登半島旅行・27

2017-08-21 | 旅行記

 かん(観)光客でにぎわう「ひがし茶屋街」の対岸・・、

 あさのがわ・おおはし(浅野川大橋)を わたる

と、

 そこは、かずえまち(主計町)です


金沢には、

 「にし茶屋街」「ひがし茶屋街」とならぶ・「三茶屋街」の

ひとつに、

この、

かずえ町があります


ここは、

江戸時代、

「加賀藩士・富田主計(とだかずえ)」の

やしき(屋敷)が

あったらしいのですが、

 そんな、武家の由来を、ぜんぜん・かんじさせないほど、

「茶屋街」として

栄えています


川沿いに、つらなる・こうしど(格子戸)・・ 


 石だたみ(畳)に、せまいろじ(路地)・・


しっとりーーー はなまち(花街)----  

 

 ホンモノのおねえ(姐)さんーーーー

 (ドギマギしちゃいました

 

この川のほとりに 

生まれた、

作家・「泉鏡花」・・。

 

  この道を 朝夕、ブラブラ歩くだけで、きょうか(鏡花)流の

物語が、

いくらでも

うかんできそう・・

 

金沢は、やはり

 泉きょうか(鏡花)の、「創作の源泉」だったのです

 記念館前にて♪)

 

 

 

 

 

 

 

(その28、「泉鏡花の初恋の人・湯浅しげ」につづく)





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味の十字屋でへしことのどぐろを買う~クリン家ドライブ能登半島旅行・26

2017-08-20 | 旅行記

 「金沢・ひがし茶屋街」で、おみやげを買った、うちのおにいちゃん


 お目当ては、ほくりく(北陸)名物の「のどぐろ」

と「へしこ」

で、

 これは、わが家の分です(送ってもらいました


 のどぐろは、にしこり君(テニスの錦織圭選手)が

お気に入りだ

って

言ってから、

全国区になった・高級魚


 その一夜干を 買ってみたのですが、上品なあぶらと

ほんのり甘み

があり、

一枚・1050円も

しましたが、

えらい・おいしかったです

 

 もうひとつの「へしこ」は、「サバの糠漬け

のことで、

 ないぞう(内臓)をとった・サバを、

しお(塩)と

ぬか(糠)に

つけて、

 一年以上おく・・という、わかさ(若狭)の

郷土料理

(こちらは一枚・2300円くらい

 

 生スライス

 生スライス(レモン汁かけ)

 かるく・あぶって、お茶づけ

やき(焼き)  (「ちりとてちん」で見たやつです

 

と、

 

応用のきく、

しょっぱうまい・珍味で、

 クリンたち、「ちょっと高いけど、両方とも本場の買えて、よかったね

まんぞくしてたのです

 

 

・・・・・

そう、、

 

 後に「近江町市場」で、一枚・750円で売られている

へしこを 

見るまでは・・

 

 「知らなかった へしこもピンキリなんだな」「しかたないよ!

十字屋は、デパートに卸してるレベルのお店だから「うまかったよ~

 

 

 

 (※人様へのお土産には、こっちのほうがオススメです)

 

 

 

 

 

 

(その27、「主計町散策」に、つづく)

 

 

 

 

 



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ひがし茶屋街の必見・必食~クリン家ドライブ能登半島旅行・25

2017-08-19 | 旅行記

 しずかで おごそかな「卯辰山」から おりてくると、

 下界は、金沢でいちばん もりあがってる・かんこう(観光)地

 ひがし・ちゃやがい(東茶屋街)です

 ずらり・・とならぶ「茶屋建築」は、1かい(階)がこうし(格子)、

2かい(階)が雨戸に

おおわれて、

 もくぞうけんちく(木造建築)の、すい(粋)を味わえる・・

 そんな、町並み (たんせい:端整っていうやつ

 もちろん、夜は「一見さんおことわり」のお茶屋さんになるところが

多いのですが、

 たてものはそのままに、カフェや おみやげ屋さんにしている

お店も

けっこうあるので、

 せっかくだから、入れるところには、入っておいたほうが

いいと、

クリンたち、思います

 

おすすめは、

 昼間のみ、いっぱん(一般)のお客さんを

受け入れている、

かいかろう(懐華樓)

 写真さつえい(撮影)OKで、おざしき(座敷)・

ひかえの間、

お道具おき場など

750円で

全部見せてくれて、

 申し込めば、お料理も食べれるし、おざしき(座敷)たいけん(体験)も

できちゃう


かんたんに

若旦那気分になれる、

 ゆいいつ・開かれた、お茶屋さんです

そして、

こちらで

必見なのが・・

 いとうしんすい(伊東深水)の弟子が描いたという、

どでかい・日本画のかけじく


よくこれを掛けたよね。。

  金沢の茶屋に、これ以上ふさわしい絵があるかな

  泉鏡花の世界だわ~。。」


うちのチットが 

うなっていました


 あと、ひっしょく(必食)なのが、「金箔ソフトクリーム

です

 金沢は、全国・99%の「金箔生産率」を ほこってる・・

 という・ありがたみを かんじながら、有名店「箔一」で

 金ぱく・一枚のせソフトクリームを 食べる・・


  マストバイです 








(その26、「味の十字屋でへしこを買う」に、つづく)







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徳田秋声の自然主義~クリン家ドライブ能登半島旅行・24

2017-08-18 | 旅行記

  金沢市がい(街)を一ぼう(望)できるという、あの山は、

うたつやま(卯辰山)

って 

いうらしい。

 ふもとに、寺院ぐん(群)があったり、きねんひ(記念碑)も

たくさんあり、

一見のかち(価値)がある

というので、

 クリンたち、お車で ぐるっとまわってみることに

しました


 「とりあえず、展望台行って~。鶴彬の川柳碑と

徳田秋声の文学碑を見て・・」(チット)


とくだ・しゅうせい・・? (きいたことある名前です


 チットにきくと、「徳田秋声」というのは、明治のおわりに

おこった、

「自然主義文学」の作家

の名前。


しぜんしゅぎ文学

とは、

 「汚いものも、醜いものも、がっかりな現実も、

あえて

かくさず、そのまま描く。」

という

リアルな文学のことで、

 直前にはやった、「ロマン主義文学」への 反どう(動)として、

にちろせんそう(日露戦争)後の

こうはい(荒廃)の中、

さめた日本人が

はじめたそうです。。


 とくだしゅうせいは、そんな「自然主義文学」の

きしゅ(旗手)として

名をあげ、

「金沢三文豪

の一人に

かぞえられている、とのこと。


 うたつやまにある、「徳田秋声文学碑」には、

彼が

自然しゅぎ(主義)の

考えを書いた

一文が 

示されています。


 「 書を読まざること三日、面に垢を生ずとか 昔しの聖は言つたが、

読めば読むほど垢の たまることもある  

體験が人間に取つて何よりの修養だと云ふ ことも言はれるが

これも当てにならない。

むしろ書物や體験を絶えず

片端から切払ひ切払ひするところに 

人の真実が磨かれる 」



・・・・・・


 「・・・書をよまないで、3日たつと、かおにアカが

 「・・いやいや、クリン。昔の高僧はそう言ってるけど、徳田秋声は

読みずぎると逆効果、

って言ってるんだよ。

やりすぎないで、

何事も自然のまま、

あるがままのほうが結局いいよ、ってことでしょ。」(チット)



・・・・・・


じゃあ、、

ナチュラル志向の

シンプルおし(推し)だった

とくだしゅうせいは、

それでけっきょく

どうなったの??


けっかは、



(写真:66歳ころ→) 年そうおう(相応)です


・・・・・


 クリン、やっぱり、ナチュラルすぎの、ありのままで

っていうのじゃ、

女子はダメだと

思います。。


 ちゃんと、3日に1回は 本をよんで、アンチエイジングしたほうが

いいと思います

(ずっと若く見られたいから







(その25、「ひがし茶屋街散策」に、つづく)











 

 

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石川四高生リチャード=マッキノン~クリン家ドライブ能登半島旅行・23

2017-08-17 | 旅行記

 

 けんろくえん(兼六園)と香林坊(金沢の繁華街)を

つなぐ道沿いに、

レトロな 

赤レンガの

2かいだて(階建)が 見えます

 

 ここは、げんざい(現在)、「石川四高記念館」&

「石川近代文学館」

という

公共しせつ(施設)

なのですが、


 かつては、金沢がほこる・ナンバースクール、石川しこう(四高)

校舎でした


 せん(戦)前は、「旧制高校」という、エリートしか

いけない学校があり、

その中の

初めのほうにつくられた「一高~八高」

を、

「ナンバースクール」って 呼んでたそうです

 

ナンバースクールは

とくべつで、

 そつぎょう(卒業)生は、「帝大」にすすみ、

政治家、

法りつ(律)家、

財界人、

文化人

など、

社会のトップランナーに なったそうです


 めちゃ・学問をし、めちゃ・本をよんで

むずかしい・ぎろん(議論)

しながら、

バンカラな青春を送る

 それが、全国共通の「旧制高校生スタイル」だった

ようですが、

そこに、

ほくりく(北陸)らしい

きびしい・校風を 

加味したのが、

 四高でした。


 「まわりがどうでも、俺たちは動じない。付和雷同なんかしない。

理想を貫く

それが俺たちの校風、

その名も『超然主義』 みたいなかんじ。


 ちょうぜんしゅぎ(超然主義)という・かっこよくも

きょうちょう(協調)性のない

校風にもとづき、

歴代四高生たちは

ちょうぜん(超然)とした事件

いろいろおこします


 「昭和3年:同盟休校事件、昭和4年:左傾的文芸雑誌発禁事件、

昭和5年:反帝同盟を結成した20人の学生検挙、

昭和19年:右翼的校長排斥事件、

昭和20年:同校長追放事件、

昭和22年:昭和天皇来校拒否事件、


・・・」


 「いやはや・・強いね~~。四高生 戦時中でもこの強さ

妥協がないね

この精神が、

桐生悠々みたいな

反骨のジャーナリストを 育んだんだね~。」


と、

うちのチット

かんしん(感心)しました。


 「大日本帝国」の明日をになう・人材を育成すべく つくられた

「旧制高校」の

学生たちは、

 「われこそは!」の使命にもえて

自己をりっし

家を背負い

世のそんけい(尊敬)を

うけながら、

 学友たちと、とくべつな日々を ここですごした・・

 にんげん(人間)形成期に ここで結ばれた・友じょう(情)

は、

ちょっとやそっとでは

うごかされない、

 生がい(涯)にわたる、固いきずな(絆)となる

 そして、それは、日本人同士だけじゃない。外国人でもいっしょ

 

国せき(籍)をも何も 

とびこえる

 力づよい・れんけい(連携)である


ということを、

今回、

 ある・ひとりの、「外国人・四高生」の 物語をつうじて、

クリンたち、

知るところと

なりました


 そのものがたりの 主人公は、アメリカ人・四高生


「リチャード=ニコルス=マッキノン」

って

いう男の人です。


 リチャード=マッキノンは、戦前の日本で生まれ育った・

ハーフで、

父・アメリカ人

母・日本人。


 お父さんの「ダニエル=ブルック=マッキノン」は、北海道の

おたる(小樽)高商で

先生をしていて、

ロバにのって・つうきん(通勤)

してたことから、

「ロバ先生」としたわれた

おたるでは

ちょっと有名な

おやとい・外国人でした


 日本での仕事を気に入り、日本人とけっこん(結婚)した

ロバ先生は、

息子リチャード

を、

 アメリカの学校ではなく、金沢の四高に 入学させました。

(※欧米人ではすごくめずらしいケースです)


 リチャードは、四高で りょう(寮)に入り、

サッカー部に

所ぞく(属)し、

友だちを いっぱいつくって、

りょうか(寮歌)なんか作ったりして


日本人四高生と

同じように、

バンカラ・ライフを まんきつ(満喫)してました


 ・・・しかし そんな、日米のゆうわ(融和)をひきさく

ように、

太平洋せんそう(戦争)が

ぼっぱつします。


 リチャードは、お父さんともども、日本のけいさつ(特別高等警察)

つかまりました


 お父さんに、スパイようぎ(容疑)が かかったのです


 お父さん・ダニエルは、はげしい・ごうもん(拷問)を

うけて

なかなか・収容所から 

出てこれない

 お母さんは、心労から病気がおもくなり、亡くなってしまう・・


リチャード自身も

なんきん(軟禁)され、

かんしか(監視下)におかれる・・


という、

きゅうてん(急転)直下の

仕打ちを 受けたのです


 さいごは、父子ともども 「強制送還」されました。。



 なのに・・・、せんそう(戦争)がおわったのち、

リチャードは

ふたたび 日本を

おとずれました。


 ふたたび、日本で学び、のう(能)や狂言を 研究して、

ハーバード大学で

「博士号」を

とったのです。

 そして、終生、日本文化を広める・研究者として、


せい(精)力的に

かつどう(活動)したのでした

 

 大切な家ぞく(族)とともに、おそろしく・いやな

けいけん(経験)を

したのに、

それでも日本を

ぞうお(憎悪)せず、

そのような生き方をしたのは

なぜなのか・・?

 

 しんこう(信仰)の力・・母の生国・・自分の故郷・・

アメリカ社会でのようせい(要請)・・


さまざまなようそ(要素)は

あったと思います。

 

 しかし、青春時代を決定づけた、四高の仲間たちとの

きずなこそが、

リチャードから

日本人への信らい(頼)

うばわなかった、


大きなようそ(要素)だったんじゃないかな

 

 って、クリンたちは、思っています。

 それは、リチャードが、なんきん(軟禁)じょうたい(状態)に

おかれていた時、

サッカー部の仲間が

毎日、そのたてものの

周りを、

 「頑張れ~!負けるな~!」と、走り回りながら 呼びかけた

というエピソードや、

戦後に

リチャードが

「四高同窓会」に出席するため、

何度も

金沢をおとずれている


ということからの

すいそく(推測)です。。


 うちのチットは、かつて、「小樽高商の名物教師」

だった、

お父さん・ダニエル=マッキノンの

ひさん(悲惨)な話を

きいたことがあり


心を いためていました・・


 でも 今回、「ロバ先生」に、終生日本と 深いかんけい(関係)を

もち、

金沢で青春を おうか(謳歌)していた

息子がいたんだ!

わかり、

だいぶ、元気になっていました








(その24、「徳田秋声の自然主義」に、つづく)




 

 

 

 

 

 














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金沢の地名の由来~クリン家ドライブ能登半島旅行・22

2017-08-16 | 旅行記

 金沢じょうし(城址)の一角にある、小さなあずまや(東屋)

 そこには、金沢の地名の由来がかかれた、あんない(案内)板

たっています

 

<金城霊澤>

 「昔、芋掘藤五郎が この泉で砂金を洗い、『金洗沢』と

呼ばれていた。

これが

金沢の地名の起こりである。」

 

 

泉・・

 水がわいているふうでは ないけれど・・、

でもなんか、

キレイげ

 

(ここで、砂金が)   



それは、こんなお話です。。

 

 昔、とうごろう(藤五郎)という、イモほり名人がいました。

ある日、

とうごろうのもとへ、長者がやってきて、

 「観音様のお告げにより、娘をあなたに嫁がせたい。」

いきなり・けっこん(結婚)を

申し込みました

 長者は娘に、じさん(持参)金を いっぱいもたせて

とつがせましたが、

よく(欲)のない

とうごろうは、

その金を 近所にばらまいてしまい

娘を

泣かせました・・


 しかし とうごろうは 見ていたのです


山でほった・イモを洗う、いきつけの泉には、

 いつも、娘がもってきたような、金のツブツブが 砂にまじって

いるのを


 「あんなもの、沢に行けば、いくらでもとれる。」

娘をつれていき、

沢の砂を すくわせる

とうごろう


すると、砂金がとれほうだい


・・・


二人がその後、

くらしむきに困ることは

ありませんでした


(っていうお話。)


 「いいなあ~~ 北陸ってさあ、ヒスイとれるわ

金はとれるは、

お宝に

恵まれてるよね~・・」(チット)


 地元の人たちは、地元ゆえに、そのめぐみの大きさに

気づいてないのか・・

 たたみ(畳)に、金ぱく(箔)をはってみたり

せっけんに、金ぱくを入れてみたり 

 パウンドケーキを、金ぱくで コーティングしたり


ソフトクリームに、

 金ぱくを まるまる一枚 のせて食べたりしてます

(ゼイタクすぎでは







(その23、「石川四高生、リチャード=マッキノン」に、つづく)


 



 

 

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