もちろん、翁長雄志氏が勝った選挙である。

 では、敗れたのは誰なのか。

 時計を昨年12月に戻す。

 名護市辺野古の埋め立てを仲井真弘多知事が認めるかが注目された局面。

 政府は仲井真氏の要望を満額受け入れた3400億円超の振興予算を確保し、仲井真氏は「有史以来の予算。いい正月になる」と笑い、2日後に埋め立てを承認した。

 沖縄ではいまだに不満を聞く。「なにがいい正月だ」「知事の言うことか」。仲井真氏の支持者だった企業役員すら「腹の底から怒りを覚えた」と言う。

 問題は、恨みと嘆きの先に、ひとり仲井真氏だけがいるのかということだ。

 時計をさらに戻す。

 3代前の知事、故・西銘順治氏は1990年までの在任中、「沖縄の心」を「ヤマトンチュ(本土の人)になりたくて、なりきれない心」と表現した。その2代後、98年就任の稲嶺恵一氏が頻繁に口にしたのは「県民のマグマ」だった。

 戦後27年間も日本から切り離され米軍の支配下に置かれた沖縄。日本復帰後も「日米安保の要石(かなめいし)」に一方的に位置づけられ、重い基地負担を背負わされ続ける沖縄。県民の胸のよどみをどうしたら本土は理解してくれるのか。知事の苦悩がにじむ言葉だった。

 それからすると、「いい正月」はいかにも軽い。ただ、本土の人間が忘れてはならないのは、あの発言と対を成す、政府と我々自身のありようだ。

 普天間問題で国にはかつて、沖縄の声に耳を傾けようという一定の配慮がまだしもあった。問答無用の強行を避けてきたからこその、日米が返還に合意してからの18年にわたる混迷だったともいえる。

 今はどうだ。反対運動が続き、移設問題を争点とする知事選が控えているにもかかわらず、「過去の問題」(菅義偉官房長官)と言い放つ政権。これに対する批判がさして広がらない本土世論。「いい正月」の向こうに県民は、「差別」の2文字を見て取っている。

 琉球大の比屋根照夫名誉教授は投票前、「沖縄が本土に対し、どの程度の親近感を持っているのかが示される選挙」と見立てていた。そして、この結果だ。

 沖縄に押しつけ、沖縄を切り捨て、沖縄を忘れる。私たちの政府、そして本土が、敗れたのである。